飲み会に一人だけ先に行かされ、20人分のキャンセル料10万円を押し付けられた私。→店長が最強の味方で、嘘を暴かれた先輩たちは警察へ。

品川太朗

第1話 『最初の一人』



 店内の喧騒が、今の私にはひどく遠くに聞こえる。


 金曜日の午後六時。

 居酒屋「たちばな」の店内は、仕事終わりのサラリーマンや学生たちの熱気で満ちていた。


 その中で、私はひとり、身を小さくして座っている。


「……遅いなぁ」


 目の前には、誰もいない長いテーブル。

 予約席のプレートと、二十人分のお絞りやお通しがきれいに並べられている光景は、一人で眺めるにはあまりにも広大で、残酷だった。


 私は宮坂(みやさか)ひより。地元の国立大学に通う、ごく普通の二年生だ。


 今日はサークルの飲み会があるため、指定されたこの店に十分前には到着していた。

 遅刻をするのは嫌いだし、先輩たちを待たせるわけにはいかないと思ったからだ。


 だけど、約束の十八時を過ぎても、誰一人として姿を現さない。


 スマホの画面をタップする。時刻は十八時三十分を回っていた。

 サークルのグループLINEには、三十分前に私が送ったメッセージが残っている。


『お疲れ様です。宮坂です。先にお店に着きました』


 既読はついている。二十件以上の「既読」がついているのに、誰からも返信はない。

 電車の遅延情報もないし、場所の変更連絡もない。


(もしかして、私だけ日付を間違えた?)


 背筋が冷たくなるような不安に襲われて、何度もカレンダーを確認するけれど、日時は間違いなく今日、この場所だ。


「お客様、お連れ様はまだでしょうか?」


 通りがかった店員さんが、気遣わしげに声をかけてくれた。

 私はびくりと肩を震わせ、精一杯の愛想笑いを浮かべる。


「あ、はい……すみません。もうすぐ、来ると思うんですけど……」


「左様でございますか。コース料理のほう、皆様お揃いになってからお出ししますね」


 店員さんは笑顔で去っていったが、その背中には――

 忙しい時間帯に大人数用の席を一人で占領している客への、無言のプレッシャーが滲んでいる気がした。


 グラスの表面についた水滴が、だらりと垂れてコースターを濡らす。

 いたたまれない。


 まるで自分が、世界から取り残された異物になったような気分だ。


(さすがに、電話してみよう)


 私は意を決して、通話ボタンを押した。

 相手は三年の黒川(くろかわ)恒一(こういち)先輩。


 今回の飲み会の幹事で、サークルの中心人物だ。普段から面倒見が良く、みんなに慕われている人だ。きっと何か事情があるに違いない。


『プルルルル……』


 コール音がやけに長く感じる。

 七回、八回。出ないか、と諦めかけたその時。


『――はいよ』


 繋がった。

 向こう側からは、ガヤガヤとした賑やかな騒音と、誰かの笑い声、グラスがぶつかる音が聞こえてきた。


「あ、もしもし! 宮坂です。お疲れ様です」


『んー? あー、宮坂ちゃん? どうしたの?』


 黒川先輩の声は、ひどく上機嫌で、そして少し滑舌が悪かった。

 すでにお酒が入っている声だ。


 私は混乱した。


「あの、今日の飲み会なんですけど……今、お店で待ってるんですが、みなさん遅れてるんでしょうか?」


『は?』


 スピーカーの向こうで、空気が止まったような音がした。

 その直後、黒川先輩の、信じられない言葉が耳に飛び込んできた。


『お前、まだそこにいんの?』


「え……?」


『あー、ごめんごめん、そういえば言ってなかったっけ? 俺らさ、なんか気分変わっちゃって。別の店で飲んでんだよねー』


 頭が真っ白になった。


 気分が変わった? 別の店?

 私の目の前にある、二十人分の予約席とお通しは?


「で、でも先輩、ここ予約して……」


『だからさー、もう移動しちゃったから無理だって。そっち、もうキャンセルって言えないっしょ?』


 黒川先輩の声は、まるでテレビの向こうの出来話を話しているかのように軽かった。

 悪びれる様子も、謝罪の色も、一切ない。


『悪いけどさ、店にはお前から適当に言っといてよ。それか、もう料理出ちゃってるなら、お前が責任取って払っといて』


「は……らう……?」


『予約人数二十人で、一人五千円のコースだったっけ? ってことは、キャンセル料十万円か』


 十万円。


 その単語が、重い鉄塊のようにのしかかる。

 私の口座残高をすべてかき集めても、到底足りない金額だ。


『ま、幹事代行ってことで。よろしくー』


「まっ、待ってください先輩! 私ひとりじゃそんなの――」


『プツッ』


 無機質な電子音が響き、通話は一方的に切られた。


「…………え?」


 スマホを握りしめたまま、私は呆然と立ち尽くす。

 画面には、通話終了の文字。


 耳の奥で、先ほどの軽い笑い声が反響している。

 ドクン、ドクンと心臓が嫌な音を立て始めた。


 これはドッキリ? それとも、いじめ?


 わけがわからない。

 ただ分かるのは、私が今、とてつもない絶望の淵に立たされているということだけ。


「お客様、失礼いたします」


 背後から声がした。

 振り返ると、そこにはさっきとは違う、少し年配の男性店員が立っていた。


 その表情は厳しく、手には伝票バインダーが握られている。


 店のざわめきが、一瞬で遠のいた。

 私は震える唇を噛み締め、誰にも届かない助けを心の中で叫んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る