第4話
「あれ?彩珍しいね、今日はコンビニなんだ?」
同期にそう指摘され、私は曖昧に頷いた。同期が言ったとおり、私がテーブルに広げたのはコンビニで買ったおにぎり2つと春雨スープだ。昨日の夜3割引きで買ったやつ。
「例の通い妻先輩のお弁当は?」
「なんか最近忙しいらしくて、全然会ってないんだよねえ」
「ふうん。なんかエリートって言ってたもんね。忙しいよねー」
同期はさらっとそう流してくれた。おにぎりのフィルムをぺりぺり剥がして口に放り込む。お米は硬くて具は少ない。食べれるだけありがたいけれど、いつもあんなにおいしいご飯を食べている私からしたら物足りなかった。
先輩のおかかチーズと梅しそのおにぎり、美味しかったなあ。お米もふわふわしてたし。
「しばらく繁忙期で忙しい」、日向先輩からそう連絡が来たのは1週間前のことだった。最近ちょっと来る頻度が減ったな、と思ってはいたけど、まさかこうぱったり途切れるとは思ってなかった。
いつまで、という明確な期限はなくて、次いつ先輩に会えるかはわからなかった。もやもやした不安を抱えたままなんとか出社してきたけれど、ふとした瞬間に先輩のことを思い出して胸が苦しくなる。
毎日栄養バランス満点だった私のご飯は、スーパーやコンビニで買った出来合いのものに変わった。最初の方は自分で頑張って先輩を驚かせようと思っていたのだけれど、どうにもやる気が出ない。
ふう、とため息を吐いておにぎりを食べ進める。食べることが楽しみな私なのに、全然手が進まない。私が楽しみにしていたのは先輩が作るご飯だったんだって、今になってようやく気が付いた。
玄関のドアを開けても真っ暗なままで、匂いなんて何もしない。リビングは洋服や鞄で取っ散らかっていて、ドライヤーや化粧品が床に散らばっていた。かろうじてコンセントは抜いてあるけれど、何とも言えないありさまだ。
スーパーの袋から割引シールが貼ってあるお弁当を取り出す。大好きなから揚げ弁当なのに、ちっともお腹が空いていない。温めてないからだ、とレンジに向かおうとしたけれど、そのままぐったりと床に倒れこんでしまった。
お化粧落としてシャワー浴びないと。髪乾かしてる間にお弁当温めちゃって、ちゃんと食べて……それで。
「俺がいないからってだらけた生活送るなよ」と、先輩に釘を刺されている。こうなることが先輩にはわかっていたんだろうか。こんな私を見たら先輩は何て言うだろう。あの人は本当に、とても面倒見がいい人だから、「しょうがねえな」って呆れたように笑ってくれる気がする。
「……日向先輩」
呟いてスマホを取り出す。いつもトーク画面の一番上はその人なのに、もうずっと下の方にいる。先輩の邪魔にだけはなりたくないから、こちらからは決して連絡を取らないようにしていた。
瞼が重たくなる。絶対このまま寝ちゃダメなのに、どうにも身体が動かなかった。ぽろり、熱い涙が頬を伝う。こんな姿先輩には絶対見せられないけれど、今目の前に現れてくれたら元気出るのにな、なんて都合のいいことを思った。
やばい。もう本当に今日はやばい。自分が限界突破しているのがわかる。
コンセントに足を引っかけてパソコンを床に落として、シュレッダーを詰まらせて、コーヒーを書類の上にぶちまけた。その他いろんなミスが重なって、とうとう上司に「お前大丈夫か……?」と心配された。いつもは容赦なくブチギレるのに、今日だけはみんな優しかった。
足取りが重い。どうせ家に帰っても誰もいない。けれどどこかに寄り道しようという気力すら湧かなくて、同期の飲みの誘いも断った。冷蔵庫の中に何もないのはわかってるのにスーパーにも行けなかった。
カンカンとアパートの階段を上る音が響く。先輩が家にいるときはここを駆けあがってたのにな。
ドアの前に立って、鞄の中にある鍵を探す。けれどいつもある場所から鍵が出てこない。鞄をひっくり返して隅々まで探すけれど、やっぱり出てこない。
……なくした?
必死に今日の記憶を辿る。けれど全然思い出せなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになった。体中から力が抜けて、そのままへたりと座り込む。
もう限界だ。私は本当に、日向先輩がいないとこんなにダメな人間になっちゃうんだ。
ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。子どもみたいにしゃくりを上げる。こんなところで大の大人が泣いているなんて、ご近所さんに通報されたらどうしよう。
ぶー、ぶー、ぶー。
足元に置いていたスマホが震えた。涙で揺れる視界の中に映ったのは、焦がれた人の名前だった。
大急ぎで涙を拭って、深呼吸をする。そうして指をスライドさせると、聞きなれた声が響いた。
「和泉?」
「先輩、お久しぶりです!繁忙期終わりましたか?」
「ん。……お前泣いてんの?」
「え」
涙が止まった。相手には見えていないのに両手をぶんぶん振って否定する。
「ない、泣いてないです!」
「めっちゃ鼻声だけど」
「鼻水です!」
「鼻水たらしながら泣いてんの?」
「……感動的な映画観ました!」
「仕事終わったばっかだろ」
間髪入れずにツッコまれて、もう言葉が出なかった。
代わりに大粒の涙が落ちて、床を濡らす。
「すぐ行く。待ってろ」
先輩はそれだけ言い残して電話を切った。私の耳には機械音だけが響いた。
私はいつからこんなに先輩に頼りっぱなしになっていたんだろう。気がついたときにはもう遅い。私はもう、先輩なしでは生きていけないのだと気がついてしまった。
「和泉!」
階段を駆け上る音。名前を呼ばれて顔を上げると、久しぶりに会うその人が必死な顔で私を見ていた。額に汗をかいているし、スーツはよれてぐちゃぐちゃだ。
先輩、と呼ぶ前に腕を引っ張られて立たされる。熱い手だった。
「お前なんで外にいんの?中にいろよ、寒いだろ」
「……鍵、なくして」
「あ?なら俺の使えよ、合鍵もらっといてよかったわ」
ガチャガチャと鍵を開ける先輩をぼーっと見つめる。やがてドアが開いて、先輩は私の腕を引いて中に押し込んだ。バタンとドアが閉まったと同時、私の目からはまた涙がぶわっと溢れ出す。
「和泉?」
「好きです」
「………………………は?」
「日向先輩、好きです」
ひとこと言ったら止まんなくて、私はわんわんと子どもみたいに大声で泣いた。視界が涙で歪んでもう何が何だかわからない。先輩たぶん、びっくりしてる。だって何も言わないもん。
「わ、私、もう先輩なしじゃ生きていけない!」
「……」
「先輩のバカ!先輩のご飯がおいしすぎるのが悪い!!わたっ、私、舌がおかしくなっちゃったー!!」
ぎゃーぎゃー泣きわめく私に対し、先輩はしばらく無言で立っていた。
だけどしばらくして、ゆっくりと腕が背中に回る。
抱きしめられてる。そう気づいた瞬間頬が熱くなって、涙が止まった。
「うん、知ってる」
「………………その返しはずるい!!!」
「ははっ」
先輩が笑う。腕の中で泣きわめく私の頭を、先輩は私が泣き止むまで撫でてくれた。ここ最近ずっと焦がれて待ち望んでいた、私の大好きな先輩の手のひらだった。
今日の夕飯何食いたい?【完結】 北葉 @kitababba
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