第3話余は如何にして恋人となりし乎(ヒトミ)

「それで?」


仕事終わりに同僚のケイコに呼び止められ、飲食店に連れられた。ケイコは、私はケーと呼んでいるのだが、親友と言ってもいい。大人になってからできた友人だ。彼女は非常にスリムな体型をしている。脂肪燃焼や美容の分野に強く、脂肪燃焼のエクササイズのレッスンを担当している。もともとは水泳選手だったので、プールとの掛け持ちだ。「メダルに届かなかった女」と自称するが、聞いてみると代表選考で敗れて引退しているので少し水増し感がある。三度の飯より他人の恋愛が好物な女だ。


「ケー、内緒にしてね。それで、と言われもなんだけど。もやしくんと付き合うことにした」


「うん、なんで付き合うことにしたの? なんでだろう、とか言わないでね」


「気があるなっていうのは感じていて、久しぶりに女扱いされて嬉しくなっちゃって、あとは実家の犬を思い出したからかなあ。私が教えるじゃん。『できてる?』って都度振り返るのね。褒めると満足するし。あとは尻尾はついてないけどお尻が可愛い」


「なにそれウケる。にしても、もやしくんからのアプローチ待てばよかったのに」


「でもなんか、気になっちゃって、お客さんに教えている時も出てくるのよ、もやしくん。なんかもやもやしちゃって、私から誘っちゃった」


「キミい、それは恋だな。私らが喪失してしまった感情。あんたも可愛いとこあるんだね。でも私の持論としてはだね、男が女にアプローチする図式って大切だと思ってるわけ。頑張って他の男との競争に勝ち、女を獲得したという達成感を持たせる。苦労して手に入れた女って大切にするんじゃないかな?」


「それってケー的には、実績ある話? 大切にされたの?」


「うーん。五分五分かな。あ、こら、笑うなって。でも待つべきだったと思うな。だって、それもやしくんからしたら棚ぼただよ。自分で獲得したものじゃない。ありがたみってもんがないと思うんだ」


「結構理論派だね。私は男女どっちからアプローチしてもいいと思うけどなー、別に」


「けどけど、男が数撃ちゃあたる戦法で数をこなして、女がそれに対して選択するという世の中であれば、アプローチされた男はなんて思うかな。私はあなたが軽い女だと思われないか心配です」


「オカン! 心配してくれてありがとう」


ケーと別れて、帰宅しながら考える。私は軽率だったのだろうか。彼が気になって、もっと気になってしまう前に、誘った。好きだという確信もないまま付き合いたいと言った。こんな私はビッチ、尻軽、軽い女だろうか。ケーは「恋」だと言ったが、もう私は恋に落ちているのだろうか。よく分からない。よく分からないのが普通なんだと思っているけど、それは少数意見なのだろうか。自宅の最寄駅から歩いて10分。深夜の帰宅も私に恐怖がない。不意打ちでない限り、痴漢がいたら顔面を潰す気概でいる。


自分で自分に対してなんとか誤魔化そうとしているんだっていうのはわかっている。知っている。告白した動機は恐怖だ。おそらくそうに違いない。好きになりすぎるのが、誰かに本気になるのが怖いのだ。本気になった後に、拒絶されることを回避したいのだ。10代の頃の思い出を必死になってかき消す。守備的な攻撃だったのだとわかって、少しすっきりした。ダサすぎ。こんなこと、彼には言えないな。


お風呂に入りながら、今日の彼を思い出す。仕事終わりのスーツ姿でジムに現れた。トレーニングメニューは組んであるので、それを淡々とこなしている。横目で観察する。多分だけど、ルーチーンに満足感を覚えるタイプの人なんじゃないかと思う。ジムから配布された筋肉手帳にトレーニング毎に記録をつける。プロテインなんかも飲んでいるらしい。フォームをチェックしていただけなのに、ケーに目配せされた。他のお客様に声をかけながら近づいて、彼に声をかける。


「橋下さま、どうですか。何かわからないことありますか。いっぺん、フォームみましょうか。それ一セットやってみてください。はい、1、2、いいですね、3、4、そうそう。はい、最後まで同じ負荷をかけましょう。5、6、もうちょっと、7、8、9、10。フォームは体に染み付いてきましたね。はいちょっと足あげてください、その時にここの筋肉も意識してみてください」


指導をしているついでにお尻を揉むと戸惑った反応が見れて面白い。


「最初の頃より、ひとまわり大きくなりましたね?」


嘘だ。そんなに一朝一夕で変わらない。照れたような自信げな表情をするので少しだけ罪悪感があった。


「ちゃんと食べてます? 冷奴追加するとか、普段の食事にちょっとプラスしてくださいね」


5分以上はかけられない。他の常連さんに声をかけたり、最近入会したばかりで勝手がわかっていない人のフォローをしたり、フロアを回って事務所に戻る。彼のトレーニング終わりにすれ違ったので、「お疲れ様でしたー」と声を張る。


事務所に戻ったらトレーナーから頭を切り替える。新しい企画だ。私はボクササイズのレッスンを新規でやろうと思っている。私もボクシング経験はあるものの、プロではないので外部講師を呼ぼうとしている。ジム会員がボクシングに興味を持つかもしれないので、お互いにメリットのある話だ。明日の訪問先のボクシングジムの住所や打ち合わせ資料などをカバンに突っ込んで、帰ろうとした矢先にケーに捕まったのだ。

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