駆け落ちしようとしたら、婚約者も別の女と駆け落ち中だった話
よし ひろし
第一話 悲劇のヒロインは、ジャージを着込んで宙を舞う
月明かりが照らす令嬢の寝室。
公爵令嬢リリア(十八歳)は、震える手で羽根ペンを走らせていた。
『お父様、お母様。ごめんなさい。
私は、愛のない政略結婚なんて耐えられません。
家名は捨てます。ドレスも宝石も置いていきます。
ただ、愛する人と共に生きる自由だけを求めて――さようなら』
書き終えた手紙を、涙一滴こぼさずに机へ叩きつける。
「よし、完璧な『悲劇の書き置き』だわ!」
リリアはバサッと豪快にドレスの裾をまくり上げた。
その下から現れたのは、動きやすさ重視の特注紺ジャージ(上下セット・サイドに白ライン入り)である。
「待っててね、私のガストン!」
彼女は窓を開け放ち、闇夜に向かって身を乗り出した。
眼下の庭には、一人の男が立っていた。
――庭師のガストン
身長二メートル、体重百二十キロ。シャツのボタンを限界まで悲鳴を上げさせている、筋肉の要塞である。そんな肉体とは反して乙女のようなキラキラした瞳で、彼はリリアを見上げていた。
「リリアお嬢様……。今すぐ助けますぞ!」
「しーっ! 声がでかいわよガストン!」
ガストンは「おっと」と口元を太い指で押さえ、背負っていた『脱出用ロープ』をブンと投げ上げた。
ヒュンッ!
それは正確にバルコニーの手すりに巻き付く。が、それはどう見てもロープではなかった。
「ガストン、これ何?」
「庭の
「ロマンチックだけど、太さが丸太くらいあるわね……」
文句を言いながらも、リリアは極太の蔦にしがみついた。
「いくわよ! せ~のっ!」
彼女は躊躇なく蔦を降り始めた。しかし、それは太すぎてうまく掴めず、彼女は落下するようにスルスル滑り落ちていく。
「うわうわうわうわーーーーっ!」
ひゅ~っ、ズドン!!!!
ガストンが広げた腕でうまく受け止める。ただ、着地の衝撃で、地面が少し陥没した。
「ナイスキャッチよ、ガストン!」
「羽のように軽いです、お嬢様」
二人は見つめ合う。本来ならロマンチックなシーンだ。
しかし、ガストンの背中には、人間一人分くらいの巨大なリュックサックがあった。
「……ねえガストン。その荷物、何が入ってるの?」
「これですか? 腐葉土です」
「置いていきなさいよ!!」
「えっ!? でも、逃げた先で最高のパンジーを育てるには、我が家の熟成腐葉土が……」
「今から夜逃げするのよ! 土なんてどこにでもあるわ!」
「リリア様……土は大地の
「うるさい! 行くわよ!」
リリアはガストンの腕を引っ張り、庭の茂みへと駆け出――そうとしたが、ビクともしない。
「ほら、早く!」
「はいはい、お嬢様」
ドタバタしながらも二人は夜の暗闇へと走り出す。だが、ほどなくして――
「誰だ!?」
不運にも、見回りの兵士が角から現れた。
ライトの光が二人を捉える。
「しまった!」
リリアが身構える。
しかし、ガストンは瞬時に反応した。彼はリリアを自分の背後に隠すと、その場にあった巨大な彫刻の隣で、直立不動のポーズをとったのである。
「……ん?」
兵士が目をこする。
そこには、『槍を持つ女神像』と、その横に並ぶ『ただのマッチョな庭師像』があった。
「なんだ、新しい彫刻か……」
兵士はあくびをしながら通り過ぎていく。
「……通り過ぎたわ」
「ふぅ。危ないところでした。私の『
「……この国の警備体制、どうなってるの?」
二人は冷や汗を拭いながら、裏庭の奥深くへ。
目指すは、古びた井戸――王城の地下水路に繋がり、そのまま城外へ出られるという伝説の抜け道だ。
「見えてきたわ、あの井戸よ!」
リリアが指差す。蔦に覆われた古井戸が、月明かりの下で不気味に口を開けている。
「さあガストン、あの井戸を抜ければ、私たちは自由よ!」
「はい! お嬢様となら、地の果てまでも!」
二人は手を取り合い、井戸の縁に立つ。底は見えない。だが、愛の力があれば怖くない。
「せーのっ、ジャぁ~ンプ!」
ヒュ~~……スタッ!
意外と井戸は浅かった。無事に底に着地した二人。そこには、伝説通り、城の地下へと続く横穴が広がっていた。
「やったわ! これで……」
リリアが勝利を確信して顔を上げた、その時である。
ぼわ~っ……
暗闇の奥、カンテラの頼りない灯りに照らされて、二つの人影が浮かび上がった。
一人は、煌びやかな服を着て、イライラした様子で靴の汚れを気にしている男。
もう一人は、何もない平らな地面でなぜか転んでいるメイド服の女。
「――!?」
リリアの目が点になる。
男の方も、リリアを見て目を剥いた。
「「……は?」」
互いの疑問の叫びが重なり合う。
そこにいたのは、リリアが最も顔を合わせたくない相手――嫌味でキザな婚約者、オスカー王太子だった。
「リ、リリア!? なぜここにいる!」
オスカーが叫ぶ。
「それはこっちのセリフよ! なんであんたがこんな泥だらけの穴に……」
リリアの視線が、オスカーの背後にいるメイドと、彼が握りしめている『駆け落ちセット(高級羽毛枕付き)』に向けられる。
そして、オスカーの視線もまた、リリアのジャージ姿と、隣の筋肉ダルマ(腐葉土持ち)に向けられた。
……数秒の沈黙
そして、二人の絶叫が井戸の底に響き渡った。
「「もしかして、お前も駆け落ちかーーっ!!!!」」
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