サキュバス男子、愛野くん。

日吉辰重

第01話_夢の中で出会った少女?

 毎日のように見る夢があった。

 毎日見るといっても内容が同じだったわけじゃない。

 ただ、ひとりの登場人物だけが毎日のように登場していた。

 それは庇護欲を掻き立てるような華奢で儚げな女の子だった。


 俺の見ていた夢に、どんな意味があったのかはわからない。

 それにひとつの大きな疑問として、俺はその女の子と現実では全く面識がなかった。

 そもそも会ったこともないし、現実にいるのかさえわからなかった──が、それはつい先日までのことだった。


 高校に入学し、クラスメイトの自己紹介が始まると同時に、夢の中の人物の名前と声が俺の記憶に深く刻み込まれた。


愛野あいの亞夢あゆめです。女子の制服着てますけど、これでも男です。よろしくっ♪」


 そう、夢の中の女の子だと思っていた人物は女装が異様に似合う男だったのである。

 当然と言うべきか、愛野は注目の的となり、クラスの話題を独り占めにしていた。


 高校入学から1ヶ月、高校生活も身体に馴染んできた。

 ひとつ大きく変わったことといえば、夢にあの女の子が──愛野と出会う前まで毎日のように夢に現れていたのに、ぱったりと姿を見せなくなっていた。


 俺があの子を愛野だと認識したから姿を見せなくなったのか。

 あの子と愛野を同一視したことで、俺の中にあった偶像めいた存在だったあの子が消え去ってしまったのかもしれない。


 結局は夢の中の出来事。

 ずっと会いたいと思っていた相手は幻に過ぎなかったし、俺の妄想の産物でしかなかったわけだ。


 夢でしか逢えなかったからこそ、俺にとって特別だったのかもしれない。


 屋上の寒空の下、日に焼けた青白いベンチに腰掛け、あんドーナツを齧りながら空を見上げる。

 空には雲ひとつなく遠く吸い込まれそうなほどに透き通っていた。

 小鳥の囀りが長閑に聴こえているところに割り込むようにして、屋上の扉が軋んで開閉する音がした。


「あ、やっぱりここにいた」


 パタパタと小走りに駆け寄ってくるのは、男子を自称する愛野だった。


「やほ、太椋たむくくん」

「愛野、どうかしたのか?」


 愛野はほおを膨らませ、不機嫌ですとばかりにわざとらしい表情をつくった。


「ボク言ったよね、用があるから教室で待っててって」

「あー、悪い。完全に忘れてた」

「もー」


 自覚して可愛さを演出しているのか、愛野は怒ったふりだけは維持しながら、とすんと隣に腰を下ろした。

 ちらりと横目に愛野の姿を目にして、改めて誰が見ても美少女と評するだろうと思わされた。


「どったの?」

「いや、やっぱり女の子にしか見えないなと思ってな。声も男とは思えないしな」


 俺の返答を受けて、愛野はほおに手を当て、恥ずかしげに微笑んでみせた。


「もしかしなくてもボクに見惚れちゃったのかな?どうしよ、照れちゃうなぁ〜❤️」

「まぁ、それに関して否定はしないさ」


 愛野の言動からは自身の容姿に自信を持っていることがありありと伝わってくる。

 それを否定する気はない。

 俺も初めて教室で愛野の姿を目にしたとき、見惚れてたのは間違いないしな。

 夢では何度も逢ってたが、実際に目の前にしてみると俺の理想とする人物を現実化したみたいで現実感がなかったくらいだしな。


 食べかけのあんドーナツをひと息に口に放り込み、ココアソーダで一気に流し込む。


「実は男を自称してるんじゃないかって、疑いたくなるくらいには女の子してるよな」


 愛野はニンマリと怪しく微笑むとベンチから腰を上げ、ここから逃さないとばかりにベンチの背に両手をついて俺をはさみ込んだ。

 愛野はダメ押しとばかりに俺の脚の間に膝を割り込ませ、身を乗り出して額が触れそうなほどに距離を詰めた。


「それならボクの身体、確かめてみる?」


 愛野の吐息を肌で直接感じるほどの距離。

 動揺しないのはどう足掻いても無理そうだった。

 ベンチについていた愛野の右手が俺の左肩にそっと乗せられ、撫でるようにしてその手は降りて行き、俺の左手が柔らかくつかまれた。

 愛野にされるがままに俺の左手が持ち上げられる。


「男同士なんだし、別に気にすることないよね?」


 愛野につかまれていた手が解放され、俺の手は自由になったが所在なく宙をさまよう。

 相手は男だと自称する愛野とはいえ、言われるがままに愛野の身体に触れるのはさすがにはばかられた。

 寒空の下だというのに嫌な汗がほおを伝う。


「そ、それより俺になにか用があったんじゃないのか」


 愛野の少し熱を帯びた視線に耐えかねて、俺は愛野から顔を背け、多少どもりながら苦し紛れに話題を逸らした。


「もー、照れちゃって❤️」


 つんっと右手の人差し指で胸元をつつかれる。

 それで愛野は満足したのか、俺の前から身体を退かし、スカートのポケットから一通の手紙を取り出した。


「はい、太椋くんにお手紙」


 愛野から手渡されたのは、可愛げな封筒にハートのシールで封された手紙だった。


「ラヴなレターだよ」

「……」


 手紙を受け取って取るべき反応が浮かばず、ふたりの間に沈黙が落ちる。

 妙な間が空いてしまったことに、なにやら勘違いが生じていると感じたらしい愛野は言葉を足した。


「あ、ボクからじゃないからね」

「だよな、少し驚いたぞ」


 愛野からと期待していたと思われないように、どうにか表情を取り繕う。

 いや、俺は愛野からのラブレターだと期待していたのか?

 そんなはずはない……と言い切れるか?

 わからない。

 そうして深く悩み込んでいたからか喉の渇きを覚え、ベンチに置いていたペットボトルに手を飛ばすが、あるはずのものがなく、手が空を切った。

 落としたのかと視線を巡らすと、ペットボトルは愛野の手の中にあった。

 しかもそれを愛野は遠慮することなく、くぴくぴと残りを飲み干してしまっていた。


「これ、代わりに捨てとくね。お返事、ちゃんと返してあげなよ。女の子の大切な気持ち、受け取ったんだから」

「あ、おい」


 愛野は俺の呼び止めようとする声に応えることなく、足早に屋上から立ち去ってしまった。

 またひとりになった屋上はやたらと静かで、妙に寂しさを覚えた。


 愛野亞夢。

 あいつに関して俺の知っていることといえば、やたらと人目を惹く可愛らしい容姿と人懐っこい性格。

 運動はそれなりで、勉強もそこそこと目立ったところはない。

 友人関係の男女比は女子寄りといったところだが、あの容姿だからか男子人気も高い。

 そして──格好も振る舞いも女の子然としているが、何故か男子を自称していた。


 翌日、眠気でしぱしぱとする目にまばたきが意図せず増える。

 昨晩は夜遅くに眠ることになったが、普段通りの時間に目が覚めてしまった。


 教室までの廊下を眠気を隠せず、のたのたと歩きながら昨日の手紙への返信は問題なかったかと考える。

 愛野から受け取ったラブレター。

 そこに同封されていた連絡先の相手とは一切の面識がなく、顔も性格もわからなかった。

 返事を返すにも取っ掛かりとなるものがなにもなかったために、どう断りを入れたものかと悩むことになった。

 愛野の言葉もやたらと脳裏にチラついて、何度も文面を考え直すハメになり、メッセージを送信するまでに夜更けまでかかってしまった。


 思わず漏れ出そうになるあくびをかみころしながら教室へ足を踏み入れる。

 まだ登校するには早すぎることもあってか、誰の姿もなかった。


 あの手紙の一件はあれで落着したとして、あの手のモノには昔からどうにも興味がわかない。

 それは高校に入ってから、より顕著になった気さえする。

 以前は夢の中の女の子に執心していたところがあったから、それが理由かとも思っていたが、今はそれももうないしな。


 頬杖をつき、うとうとと半ば寝落ちしそうになりながら眠気に耐えていると、パタパタと耳慣れた足音が近付いて来るのがわかった。

 今にも落ちそうなまぶたを押し上げようとしていると、むにゅりと右頬がつつかれる。


「おはろ〜、太椋くん。なんだか今日はおねむおねむ〜だね♪」

「愛野か」


 俺のほおをつつく愛野は、ニマニマと楽しげに笑っていた。


「太椋くん、昨日のお手紙断ったんだってね。なんで?」


 昨晩、手紙の相手に俺が送ったメッセージに既読は付いていたが、今朝になってもこちらには特に返信はなかった。

 なのでそのまま流されたのかと思っていたが、どうやら愛野には連絡がいっていたらしい。


「顔すら知らないのに、付き合うとかそれ以前の問題だろ」

「どうだろ、マチアプみたいなものじゃない?」

「ああいうのって、婚活とかで使うようなものなんじゃないのか」

「んー、そうでもないと思うよ」


 愛野はなにかを考え込むようにむにむにと、自身の下唇を人差し指でいじる。


「せっかくラブレター貰ったんだし、太椋くんも青春してみよーよ」

「そこまで言うんなら愛野が付き合えばいいんじゃないか。手紙の相手から相談されてたようだしな」


 ご不満ですと言わんばかりに愛野は、ほおを膨らませる。


「ふーん、そんなこと言っちゃうんだ。ボクが付き合っちゃってもいいの?」


 愛野にじとりとした目を向けられ、居心地の悪さを感じる。

 だからといって意見を変える気にはならない。

 もの言いたげな愛野の視線に長々と晒され、それに耐えかねて愛野から視線を逸らす。


 ふと愛野が顔も知らない相手と付き合っている様子を想像する。

 愛野が女の子と仲睦まじげに笑い合いながら、見つめ合う姿が脳裏に浮かぶ。

 その様子は恋人というより、仲の良い友人と言った方がしっくりする光景だった。

 どうやら俺の想像力は貧困で、この程度が精一杯だったようだ。


「なんかガールフレンドっていうより、女友達と遊んでるようなイメージしか浮かばないな」

「そうかな?」


 拍子抜けしたのか、愛野の声音からすっかり刺々しさが抜けていた。

 愛野に視線を戻すと、さっきまでのじとりとした目つきはなりをひそめ、愛野はきょとんとした顔をしていた。


「でも、ちょっと安心したよ。太椋くんが、真面目に相手のことを考えて返事してくれてたみたいでさ」


 両手を後ろに回して組み、少し前屈みでそう言って微笑む愛野の姿は、窓から差し込む朝日の演出もあってか、強く脳裏に焼きついた。


「……」


 愛野に見惚れていたからか、しばし無言になってしまう。

 それほど長い時間ではなかっただろうが、俺は愛野に見惚れていた事実を誤魔化すように咳払いをひとつはさんだ。


「そうでもないさ」

「それでそんな真面目な太椋くんにひとつお願いがあるんだけど……」


 愛野は懇願するように上目遣いで、控えめな声を出す。


「どうした?」

「いやー、実は昨日勉強が全然手につかなくってさ。一限の英語、予習全く手付かずなんだよね。だからね……お願い。太椋くんのノート見せて」


 愛野は片目をつぶり、祈るように両手を合わせて拝んでくる。


「ダメ……かな?」


 俺の応答を待つ愛野は、ノートの貸し出しは無理だったかなと再確認するように小首を傾げてみせた。


「今日早かったのは、このためだったのか?」


 鞄から水色のノートを取り出し、それをぺちりと愛野の額に軽く当てた。

 愛野は自身の額を撫でながら少し恨めしげな目をした。


「痛いなぁ、もー。でも、あんがと」

「SHRが終わるまでには返せよ」

「わかってるよ」


 ノートを受け取った愛野は、自分の席にとてとてと移動して慌ただしくノートを写していた。

 それを見届けた俺は、いよいよもって眠気に負けてしまい、気付けばまぶたを落としていた。


 とんとんと肩を叩くように揺らされ、目を覚ます。

 ようやくクラスメイトたちが登校し始めたのか、次第に教室はにぎやかさに満ちていた。


「太椋くん。はい、これ」

「ん……」

「そだ。太椋くん、手出して」


 眠い目を擦りながらノートを受け取った後、愛野に言われるがままに手を差し出す。

 すると手のひらの上にパラパラとミントタブレットがのせられた。


「眠気覚ましにどーぞ」

「わるいな」


 貰ったミントタブレットをまとめて口に放り込み、バリバリと噛み砕く。

 一気に口にするには量が多かったのか、強い清涼感に目元がつんとした。


 予鈴が鳴り、愛野は無言でじゃあねとちいさく手をふるとパタパタと自分の席に戻って行った。


 今日は一日中眠気が拭えないまま、あっという間に放課後を迎えていた。

 これまで夢であの子に逢いたいがために、22時に就寝して6時に起床する生活を送っていたために、その習慣が完全に身体に染み付いているのだ。

 それに慣れきった身体は、どうにも夜更かしとは相性が悪いらしい。

 就寝時間が1時間遅くずれ込むと、その日一日使い物にならないと言い切ってもいいかもしれない。

 何度か授業中も意識が飛んでいた気さえする。

 今もあくびが漏れ出そうになっているのをかみころしていた。


 気付けば教室にはもう誰もいない。

 帰りのSHRくらいから記憶が怪しく、どうやら居眠りしていたらしいと悟った。


「おーはーよっ」


 急に耳元で囁かれた声に、びくりと身体が反応してしまう。

 誰もいないと思っていたが、どうやらそれは俺の勘違いだったらしい。


「もう、みんな帰っちゃったよ」

「愛野はなんで残ってるんだ?」

「今朝、太椋くんにノート借りたでしょ。そのお礼しようと思ってさ」

「わざわざお礼なんて別にいいよ」


 そう断りを入れると、愛野は深く考え込むように両目をつぶって、なぜか腕組んで考え込み始めた。

 かと思うと片目を開け、なにもわかってないねとでも言いたげに右手人差し指を立てて、俺の顔の前でちいさく左右にふってみせた。


「ノンノンノンだよ、太椋くん。それは貰いすぎってものさ。だからイーブンにしなきゃね」


 ドヤったような表情をする愛野は、腰に手を当て胸を張るようにして仁王立ちしていた。


「太椋くん、なにかボクにして欲しいこととかないかな?」


 絶対なにかあるよね。

 とでも言いたげに小首を傾げた愛野は、小柄な体格もあってか、どこか小動物めいていた。


「して欲しいことねぇ……」


 特になにも思いつかず考え込む。

 すると愛野が、あっとちいさく声を上げる。

 薄くほおを朱に染め、恥ずかしげに言う。


「えっちなことはダメだからね」

「それはないから安心しろ」


 即断すると、俺へのからかいが空振ったのが不満だったのか、愛野はどこかつまらなそうだった。

 おふざけを交えつつも、なにか頼み事をしない限り、愛野は引き下がってくれそうになかった。

 それならと俺は、入学時からずっと気にかかっていたことを愛野に尋ねることにした。


「愛野が言うして欲しいこととは、少し趣旨は異なるんだが、ひとつ質問してもいいか?」

「なになに〜ぜひ聞かせて」


 愛野は期待に胸を膨らませ、今にもワクワクと言わんばかりの表情で距離を詰めて来た。


「俺たちってここに入学する前にどこかで会ってたりしないか?」

「えっ、それってナンパの常套句的なやつじゃん。もしかして太椋くん、それボクを口説く前振りだったり?」


 明後日の解釈をされ、こうなったら夢の事も含めて話してしまうかと考え、変に思われるんじゃないかと少しばかり悩んだが、今更変に思われてもいいか、と割り切って話すことにした。


「違う違う、そういうことじゃない。昔から見る夢に愛野そっくりなやつが度々出るんだよ。たしかそいつが夢に出始めたのは、小学校に入学したくらいからだったかな。だからそれ以前のどこかで愛野と顔を合わせてたんじゃないかって思ってな」

「んー……」


 それを聞いた愛野は、悩ましげな声を出す。

 左手の人差し指で下唇をとんとんとリズムを刻むように叩き、なにかを思い出そうとするかのように、しばし視線を上へ向けていた。

 やがてなにかを思い出したのか、大きく頷くと上げていた視線を俺に戻した。


「小学校入学前、だよね。それならたぶんボクは太椋くんとは実際に会ったことはないと思うよ」


 それで一旦言葉を区切った愛野は、ひとつ大きく息を吐く。

 言いにくいことでもあるのか、愛野は少し躊躇いがちに口を開いた。


「ちいさい頃のボクってさ、虚弱っていうのかな。なんかね、原因はよくわからなかったけど、身体がすごく弱かったんだよ。それでね、半分病院に住んでるみたいな感じだったの。だからそこで顔を合わせてた人達って、数えるほどしかいないんだ。それも大人のひとばっかりで、同じ年頃の子はいなかったかな」

「……今はもう平気なのか、身体は」

「うん、へーきへーき。小学校入るころには、なんでか治ってたんだよね」


 重くなりすぎないようにするためか、愛野はへらりとした笑顔で空気を混ぜっ返した。

 愛野の話が事実だとすると、俺が忘れてるだけって事もなさそうだな。

 幼い頃、両親に俺って記憶喪失だったりしない?

 なんて聞いた事もあったが、今にして思えば両親にはごっこ遊びかなにかと思われてたんだろうな。


「ねぇ、太椋くんは女の子がボクだったらなーって思ってる?」

「うーん、どうだろうな」


 曖昧な返事を返しながら、ふと愛野の発言に引っ掛かるものを感じ、夢の子の性別について俺は言及してただろうかと頭を悩ませた。

 寝不足でどうにも思考がままならない。


「それに高校に入学して以降は、その子は全く夢に出てこなくなっちまったからな」

「太椋くんは、その子に逢いたいの?」

「逢いたい……んだろうか。どうにもわかんなくなっちまったな」


 愛野を前にしていると、どうにも煮え切らない返事をしてしまう。


「それならボクが逢わせてあげるよ」


 そう自信ありげに言った愛野は、なにやらごそごそとポケットから取り出す。

 にぎり込まれた左手が俺の目の前に掲げられ、親指と人差し指だけを残して開かれる。

 するとゆらりと振り子めいた動きをするものが眼前で揺れていた。

 よくよく注視してみると、それは凧糸で吊るされた5円玉のようだった。


「……これは?」

「催眠術に使う道具だよ。これを使って、今から太椋くんを夢の世界にご招待しようと思ってね」


 なんでそんなものが前もって用意されてるんだと聞きたかったが、今は飲み込むことにした。

 愛野はにこりと無邪気に笑って、5円玉をゆらりゆらりと左右に振り始めた。

 どうやら催眠術とやらを本当に試すらしい。


「ささっ、ここに取り出したるは魔法の5円玉にございまする。まずはこちらをじっとご覧くださいませ」


 なにやら前口上を口にし始めた愛野の言葉に従って、ゆっくりと振り子運動する5円玉をじっと目で追う。


「あなたはだんだん眠くなる。眠くな〜る、眠くなる〜」


 寝不足だった事もあってか、淡々とした口調で繰り返される愛野の声に眠気を誘われ、俺の意識は徐々に遠退いていった。


 ゆさゆさと肩をゆすられる。

 重たい頭を抱えながら身を起こす。

 すると黄昏色に染まった教室には、何故か愛野がふたり佇んでいた。


「「やっとお目覚めだね、太椋くん。ちゃんと夢は見れてるかな?」」


 ステレオのようにふたりの声が重なって聞こえる。

 声音も声色も全く同じと言っていいほどにそっくりだった、当然ながらその見た目も言うまでもなく瓜二つだった。

 明らかに夢としか思えない状況に、思わず苦笑してしまう。

 それにしても夢の中だからか、眠気はスッキリと消えて、思考がクリアになっていた。


「他の学校に通ってる双子ってわけじゃないよな?」

「「ボクは生まれてこの方ひとりっ子だよ」」


 鏡写しのように動くふたりの愛野は、左右から俺を翻弄する。


「「夢って自由なんだよ」」

「こっちが男の子のボクで」

「こっちが女の子のボク」

「「太椋くんが逢いたかったのはどっちかな?」」


 それぞれの愛野が自身を指差すように、ほおに人差し指を押し当てながら順々に性別を示した。

 右手で右頬に触れているのが、男の子だという愛野で、左手で左頬を触れているのが女の子の愛野という事だった。

 正直、性別を明かされても外見上の見た目は体格含めて全く同じで、見分けはつかなかった。

 男の子って言った方がいつもの愛野で、女の子の方が夢の中で逢ってた子で……いいんだよな?


「どっちも愛野なのか?」

「「うーん、それは太椋くんが決めることかな。だってここって太椋くんの夢の中なんだから」」


 愛野はどこか悩ましげに唸りながら首を傾げた。


「「今はふたりになってるけど、それは太椋くんがボクたちを別人だと思ってるからそうなってるだけで、太椋くんがどちらか選べばボクはボクだけになるよ」」


 久々に夢の子に逢えたのに、不可思議な状況に困惑してしまう。

 所詮は夢なのだが、俺の深層心理はこの状況を望んでいたのだろうか?


「「だからさ、太椋くん。選んでくれるかな。ボクは男の子なのか、それとも女の子なのか」」


 俺は愛野に夢の女の子であって欲しいのか、それとも現実で顔を合わせている男の子の愛野であって欲しいのか。


「愛野はこれまで夢の中では女の子だったんだろ。んで現実では女の格好してたってことは、女の子になりたかったのか?」


 男の子の愛野は意味ありげに微笑む。


「さぁ、どうだろうね」

「「それより早く選んで欲しいな〜」」


 そもそも夢の中の愛野がどっちであるかを選ぶ必要はあるのか?


「これって……選ぶ必要はあるのか?」


 答えの出せない問題を前に俺は──今は結論を先延ばしにすることにした。


「これは俺の夢なんだろ。だったら愛野が女の子であるかとか、男の子であるかとかは、そんなに重要じゃないんじゃないか。俺にとっては愛野が愛野であることが重要なんだと思う。だから今こんなことになってるんじゃないかな」


 俺の玉虫色の回答に愛野は口元を手で隠し、控えめにくすりと笑った。

 すると俺がまばたきをする一瞬の間に、ふたりいたはずの愛野は消え、ひとりの愛野だけが目の前に佇んでいた。


「太椋くんは欲張りだね。でもそれって優柔不断だよね」


 静かにそう言った愛野は、てくてくと俺との距離を詰める。

 腰を屈め、俺の耳元に口を寄せるとそっと囁く。


「ボクは太椋くんが望むならどっちでもいいんだけどね」


 囁かれた直後、ちゅっとほおに柔らかいものが触れた。

 かと思うと夢が途切れたのか視界が真っ暗になり、むにゅりとほおがつつかれるような感触を覚えた。


「……ん?」


 閉じていた目を開く。

 眼前では愛野が俺と同じように机の上に頭を横たえていた。

 自然と愛野のぱちりとした目と見つめ合うことになった。


「あ、起きた」


 あまりの距離の近さに驚き、ガタリと椅子を鳴らしながら身体を起こした。


「ふふっ、太椋くん驚きすぎだよ。あとさ、もう、みんな帰っちゃったよ」


 どこか既視感のあるセリフに違和感を覚える。

 それを確かめるように俺も既視感通りのセリフを口にする。


「愛野はなんで残ってるんだ?」

「今朝、太椋くんにノート借りたでしょ。そのお礼をしようと思ってさ」


 既視感通りのセリフが積み重なっていく。

 その奇妙な状況に俺はいつから夢を見ていたのかと頭を抱えたくなる。

 あれは本当に俺の願望が見せた夢だったんだろうか?

 そんな俺の様子に構わず、愛野は新たに言葉を継ぐ。


「はいこれ、お礼ね。太椋くんが起きるまで待ってたからちょっとぬるくなっちゃったかもだけど」


 そう言って愛野が差し出して来たのは、ココアソーダだった。


「好みわかんなかったから適当に選んじゃったけど、昨日のお昼これ飲んでたし、太椋くんはこのフレーバーが好き……なんだよね?」


 記憶と違う展開に戸惑いが生じる。

 それを取り繕うように俺は愛野が差し出したココアソーダのペットボトルを受け取った。


「お礼なんて別によかったのに、わざわざ悪いな」

「んーん、これはボクの性分だから。貸し借りはすぐに清算しないとなんだか落ち着かなくってさ」


 ついさっきまで見ていた夢の中の愛野とのちょっとしたズレにモヤモヤとしたものを感じる。

 本当にあれは夢だったのかと確かめるように、俺はひとつ質問を投げかけることにした。


「なぁ、愛野」

「ん、なに?」

「変なこと訊くようだが、催眠術とかって使えたりするか?」


 俺の質問を受けた愛野は、突飛な質問内容だったからか、きょとんとしていた。


「なんとも急な疑問だね。んー、でもそれっぽい小道具なら持ってるよ」


 そう答えた愛野はポケットを探り、夢の中でしたのと同じように凧糸で吊るされた5円玉を俺の眼前に垂らしてみせた。


「あなたはだんだん眠くなる〜、なんてね♪」


 茶目っ気を込めて披露された催眠術もどきは、それで終わりとばかりに摘んでいた凧糸をつんっと引っ張って5円玉を跳ねさせ、パシリとつかみ取っていた。

 予想外にも常備しているとは思えない物を愛野が持っていたことに、本当にあれは夢だったのかと思えてしまう。


「じゃ、また明日ね。バイバイ、太椋くん」


 愛野はなにか予定が迫っているのか、それだけ言い残すと、通学鞄を手に取ると足早にパタパタと駆けて行ってしまった。


「あ、おい、愛野」


 咄嗟に呼び止め、鞄を手に愛野を追いかけて教室を出るが、廊下にはもう愛野の姿は見当たらなかった。


 なぁ、愛野。

 結局、あれはどこからどこまでが『夢』だったんだ?

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