第1話 アリスは弾丸の消費と報酬額に泣く
第三王立庭園は、目がチカチカするような彩度の高いピンクのバラに埋め尽くされていた。
普段なら観光客やSNS映えを狙うトランプ兵たちで賑わう場所だが、今は「緊急事態宣言」が発令され、不気味な静寂に包まれている。
その静寂を切り裂いたのは、アリスが吐き出した紫煙だった。
「……いた。クソ猫ども」
アリスの視線の先。空中に浮遊する数十個の「口」が、三日月のような形をしてニヤニヤと笑っている。チェシャ猫の群れだ。あいつらは実体を持たないくせに、実体のあるイタズラだけは大好きだった。今は女王が大切にしている「純金製の噴水」を、魔法の絵の具で下品なレインボーカラーに塗りたくっている。
「アリスさん、早く! 女王様がSNS配信でカウントダウン始めちゃいましたよ!」
後方で電動キックボードに跨ったまま震える白ウサギが叫ぶ。アリスはだるそうに、しかし流れるような動作でマシンガンのボルトを引いた。
「分かってるって……。でもさ、ウサギ。あいつら殺しても死なないじゃん。私の弾、一発三千円すんの。35万の報酬なんて、フルオートで十秒撃ったら消えるんだよ」
アリスは暗算する。
汎用機関銃『ストロベリー・フィールド』のサイクルは毎分約六百発。一秒間に十発。つまり、一秒引き金を引くだけで三万円が空に消える。
今回の標的は実体がない。物理攻撃で消滅させるには、弾丸に特殊な「存在定着剤」をコーティングした特注弾を使う必要があるのだが、これがまたバカ高い。
「……今日は単発(セミオート)で行く。一発も無駄にしない」
アリスはそう呟くと、エプロンドレスの裾を軽く整え、銃を腰だめに構えた。咥えた煙草の灰が、緊張感のない速度で地面に落ちる。
「ヒャハハ! 見てよ、今日の処刑人はずいぶんとお疲れの様子だねぇ!」
空中の「口」の一つが、嘲笑うように言った。
「一発いくらの弾だっけ? 三千円? 僕たちに当てるには、もっと景気よくバラ撒かないと無理だよ、アリスちゃん!」
「……うるさい。黙って消えなよ、非実在生物」
アリスは細く息を吐き、トリガーを絞った。
――タァン。
重厚な金属音と共に、一発の弾丸が放たれる。弾道は正確にチェシャ猫の「鼻」があったであろう空間を貫き、定着剤が青白い火花を散らした。
「ぎゃっ!? マジで当てやがった!」
「一発。三千円」
アリスは無表情に呟く。
彼女は一流の傭兵だ。やる気はないが、腕は確かだ。
だが、チェシャ猫は群れだ。一匹が怯んでも、残りの数十匹が空間から消えたり現れたりしてアリスを翻弄する。
「こっちだよ!」「こっちこっち!」「そんなチマチマ撃ってて間に合うのー?」
挑発の声と共に、空中から大量の「巨大なティーカップ」が降ってきた。
アリスは舌打ちしながら、サイドステップでそれを避ける。フリルのついたスカートがふわりと舞うが、彼女の視線は冷静に標的を追っていた。
「……あー、マジで腹立つ。ウサギ、これ女王の経費で弾代上乗せできないの?」
「無理に決まってるじゃないですか! むしろ『バラを一輪でも傷つけたら報酬から天引きする』って追加のダイレクトメッセージが来てますよ!」
「…………殺す。女王も猫もまとめて殺す」
アリスの眉間に、深いシワが寄る。
彼女の脳内電卓が、激しく数字を弾き出していた。
このまま単発で狙撃を続けても、敵の数に対して時間がかかりすぎる。時間はコストだ。だが、連射すれば弾薬代で赤字になる。
究極の選択を迫られたアリスは、不意に銃口を下げた。
「……おや、諦めた? それとも弾切れ?」
チェシャ猫たちが、勝利を確信して実体を現し始める。ニヤニヤ笑う顔が、アリスの周囲を囲む。
アリスは最後の一口になった煙草を思い切り吸い込むと、それをチェシャ猫の顔に向かって吹きかけた。
「……いや。まとめて『一列』に並ぶのを待ってただけ」
アリスの目が、獲物を狙う猛獣のように鋭く光る。
彼女はマシンガンのセレクターを、単発からフルオートへ切り替えた。
「一秒だけ、贅沢させてもらうわ」
――ダダダダダダッ!!
激しい爆音と火花が、静かな庭園を支配した。
アリスは銃身の跳ね上がりを完璧に抑え込み、実体化した猫たちの眉間を一直線に薙ぎ払った。
特殊コーティングされた弾丸が、猫たちの実体を空間ごと焼き切っていく。
わずか一・五秒。
放たれたのは十五発。
四万五千円の投資。
「……お、お見事ですアリスさん! 猫たちが、猫たちが霧散していきます!」
白ウサギが狂喜乱舞する。
だが、アリスは虚脱したように、銃口から立ち上がる硝煙を見つめていた。
「……四万五千円。私の家賃、一ヶ月分が、一・五秒で……」
アリスはその場に力なく膝をついて涙を流す。
庭園は静かになり、レインボーカラーに塗られた噴水だけが虚しく水を吹き上げている。
仕事は完遂した。女王からの通知も『Good Job!』というスタンプと共に、35万の振り込み予定を告げている。
だが、アリスの心は晴れなかった。
弾薬代。さらに、この仕事のために吸い尽くした煙草代。そして、ストレスで削れた寿命。
「……ウサギ。帰り、一番高いデパ地下に寄って。あまおう、二パック買う。そうじゃないと、やってられない」
「えぇ、分かってますよ。その代わり、女王様のライブ配信に出演して『女王様のおかげで勝てました』って言うのが条件ですけど」
「……死んでも嫌」
アリスは重いマシンガンを引きずるようにして、出口へと向かった。
純白のエプロンドレスには、返り血の代わりに、わずかな硝煙の煤が付着していた。
六畳一間の安アパートに帰る前に、彼女にはやるべきことがある。
血を流して稼いだ金で、最高級の、誰にも邪魔されない「いちご」を手に入れることだ。
不思議の国の夜が、またネオンの色に染まり始めていた。
不思議の国のやさぐれアリス @kyomubitq
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