美しい家。
ともゆり
12月31日、21時
僕は今日、バスに揺られながら、引っ越したばかりのアパートへ帰っていた。降りるバス停を見逃さないように、少しだけ気を張りながら、今日の飲み会での会話を思い出していた。
「来年の抱負」
そんな話題で皆が熱弁していたが、僕はうまく言葉にできなかった。
やりたいことは、ぼんやりとたくさんある。ただ、それを行動に移してこなかった自分がいるからだ。
それでも危機感はなかった。その気になれば、いつだって何だってできるし、時間もたくさんある。そう思っていた。
バスが停まり、僕は降りた。
スマホで地図を開く。家までは徒歩八分。
顔を上げると、道路の向かい側に寺があった。紅白幕が張られている。年越しの行事があるのだろう。
僕はその寺を背にして歩き出した。
初めて通る道だった。
山の中と見間違えるほど木々が生い茂り、街灯も少ない。とても暗い。
不思議だな、と思う。
家の近くに、こんな道があったこと。
それだけではない。大晦日で寺の近くなのに、誰ともすれ違わないこと。
ぽつん、ぽつんと建つ家々の門が、どれも開けっぱなしだったこと。
夜に門を開け放しておくなんて、不用心だ。
最近、家主をテープで縛り大金を奪う事件があったはずなのに。
誰かが来るのを待っているようにも見えた。
しばらく歩くと、ひときわ立派な家が現れた。
瓦屋根、大きな木製の引き戸。
開け放たれた門から、思わず敷地を覗く。
引き戸の内側、玄関に人影があった。
痩せ細った、おばあさんだった。
おばあさんは、こちらをじっと見つめ、
何も言わずに、ゆっくりと手招きをした。
招かれるまま門をくぐり、近づいた。
「薬師様に、お参りに?」
おばあさんは笑みを浮かべながら聞く。
降りたバス停の名前が「薬師寺」だったことを思い出した。
「いえ……」
「寒いでしょう。どうぞ中へ」
さらに笑顔だった。
断ろうとしたが、
「この辺りは昔から、薬師様へお参りに行く方の休憩所なんです。
誰かが来るのを、ずっと待っていたの」
急に真顔になり、腕を掴まれる。
「だから断らないで」
僕は逆らえなかった。
玄関を上がった瞬間、新しい木の匂いがした。アパートに引っ越してきたときと同じ、新築の木の匂いだ。
通された客間は畳の部屋だった。
造りは古いのに、畳も壁も襖も、新築のようにきれいで、シミもキズも生活の匂いも、なにもしなかった。
床の間には、日本人形が並んでいる。
大小様々で十五体ほど。どれも異様に白く滑らかな肌。最近買ったのだと思った。
一体一体、顔が微妙に違う。
唇の形、目の大きさ、髪の量...
人そのものように思えてしまった。
湯気の立つお茶が置かれた。
「どうぞ、ごゆっくり。本当に、ゆっくりしていって...」
おばあさんは部屋を出ていった。
お茶に手を伸ばしたとき、視線を感じた。
人形の黒目が、わずかに大きくなっている。
——見られている。
次の瞬間、
一体の人形が、瞬きをした。
それを合図に、
他の人形も、ばらばらに瞬きを始める。
早く。止まらずに。
僕は叫び声を上げた。
お茶を倒しながら、玄関へ走った。
玄関に着くと、外にばあさんが立っていた。
「あなたは、もうここから出られないよ」
低い声だった。
「この家は、綺麗でいるために、人に寄生して生きる家なの。人の若さを食べている。私ね、21歳なの」
声が、ひどく疲れて聞こえた。
「古くなるのも、醜くなるのも、時代遅れになることも、嫌なんだと思う。」
「あとね。あの人形たちみんな、ここから出られなかった人たちだよ」
「...ごめんなさい」
そう小さく呟きながら、21歳のおばあさんは闇の中へ向かって行った。
——ガラガラ。ピシャッ。
引き戸が閉まる。
開かない。
家が、みしみしと鳴る。
笑っているようだった。
12月31日。
年が変わろうとしているとき、
僕は、呪われてしまった。
1月1日。
明日から始まる新しい一年を、僕はどう生きていけばいいのだろうか!
家がごくんと鳴る。
お腹が空いているようだ。
美しい家。 ともゆり @yuri0428
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