第1話 まずは、旨い飯を食らう。 全てはそこから始まる。
気がつくと、君は立っている。
いや、立っているのか? 座っているのかも、はっきりしない。とにかくそこに「いた」。
ここはどこだろう?
部屋のようでもあり、店の裏手のようでもある。天井はあるが高すぎず、壁はあるが圧迫感がない。窓は見当たらないのに、不思議と暗くはない。
君は自分に問いかける。
自分は誰だ? 誰だった?
何をするべきなんだ? 何をしようとしてた?
けれど、答えはどこにも浮かんでこない。
名前も、目的も、過去も、何ひとつ掴めない。考えようとすればするほど、頭の中は霧がかかったように曖昧になる。
その代わりに、はっきりと分かることがひとつある。
――お腹が、減っている。
異様なほどに空腹だ。これ、本当に死ぬんじゃないかってくらい身体が栄養を求めている。
胃の奥がきゅう、と音を立てる気がする。何日も、あるいは何年も、何も口にしていないかのような感覚。
こりゃダメだ。早くなんとかしないと。
「……誰かいませんか」
声に出してみる。自分の声というものに違和感を感じる。この声は誰の声なんだろう?
自分の声はちゃんと聞こえるのに、どこからも返事はない。足音も、物音もない。この部屋と、その周辺には、君以外の誰もいないのかもしれない。
しかしだ。助かったと君は思う。視線を巡らせて、この部屋の食材の多さに気づく。
米袋、籠に盛られた玉ねぎと人参、艶のある長ねぎ。冷たい台の上には切り身の魚と、霜の浮いた肉。
恐らくは調味料の類、酒、油。乾いた香草の束。許可は取れないが致し方ない。
なんせ、体はもう動き始めている。何も思い出せないが、生きるという事に関して君の身体は正直だった。
まず、米を研ごう水が白く濁り、やがて澄んでいく。さてこのまま生米を食べたい気もするが少し我慢しよう。やはり米はふっくらと炊き上がった物が一番だ。見渡せば鍋がある。こいつで炊こう。火を起こして火にかけ、蓋をして、耳を澄ます。ふつふつという音が、心地よく腹に響く。美味しくなってくださいとお願いをしてしばらく放置。
次に、魚の切り身、いやどうやら塩を使って保存食になっているようだ。
水桶の水を使い、しばらく置く。いい塩梅になったところで焼き網にのせる。じゅっと脂が落ち、香ばしい匂いが立ち上る。
肉は薄切りにし、玉ねぎと一緒に炒める。
しょっぱい調味料と酒、ほんの少しの砂糖。強すぎない火で、照りが出るまで混ぜる。
調味料を使って汁物も作っちゃおう。君はだんだん楽しくなってきた。
昆布を浸した水を温め、沸く前に引き上げる。人参と長ねぎを入れ、最後に調味料を溶かす。湯気に、ほっとする匂いが混じる。
気づけば、作業台の上は一食分の定食になっている。
炊きたての白米、皮がぱりっと焼けた魚、玉ねぎの甘みが滲んだ肉の炒め、湯気を立てる汁物。
「いただきます」
君は、まず米を口に運ぶ。熱い。だが、それがいい。噛むたびに、甘みが広がる。
魚をほぐし、米と一緒に食べる。塩の加減がちょうどいい。脂が舌の上で溶ける。
肉は柔らかく、玉ねぎはとろりとしている。
汁物を啜ると、胃の奥が静かになる。
君は無言で食べ続ける。そしてなんだか泣けてきた。生きるという事は食べる事なんだなと。そして一口ごとに、体の芯が満たされていく。皿が空になり、椀の底が見える頃、ようやく手が止まる。
満腹だ。先ほどまでの空虚さは、嘘のように消えている。
君は深く息をつく。自分が誰なのかは、まだ分からない。
何をすべきかも、分からない。
けれど、今はそれでいい気がする。
腹が満ちている。それだけで、世界は少し穏やかだ。
さて――
これから、どうしようか?
君は空になった皿を眺めながら、そんなことを考えている。
※君は男なのか? 女なのか? 何をするのか? どこへ行くのか? 次はどうなる?
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