第四章(一)

 民研では毎年大学祭になると、研究報告会と合わせて恒例になっている「日本妖怪伝承展」という出し物をする。


 一言で言うと、ただのお化け屋敷なんだけれど、宿老と渾名されている六回生の先輩の言うところでは、フィールドワークや文献資料をもとにして、特定の地方を取りあげて行うのに、民俗学的意義があるとのこと。


 そう言いくるめられたあとで、里見先輩に真意を質すと、


「うちは滅多に羽目をはずせないからね」


 と、苦笑された。


 去年のテーマは東京都。


 わたしはアズキアライの役だった。


 根岸ねぎし鎮衛やすもりの著した『耳袋』によれば、新宿内藤宿の小笠原おがさわら鎌太郎かまたろうという旗本の家にいた妖怪だという。

 深夜、台所から聞こえてくるカシャカシャという不思議な音。

 東北地方の座敷童と同じように家に棲み憑く姿なき家の怪。


「おい、菅原すがわら。そこんとこの石垣、もうちょっとリアルにならない? 苔を生やすとかさ」


 毎年、この行事のためだけに大学に残っていると公言して憚らない宿老さんの檄が飛ぶ。


「もとがベニヤですからね。実際の石組みのようにはいきませんよ」


「里見、お前、美術部に知り合いいただろ? 日本の陰影美の創造だとか何とか言って連れてこい」


「無理ですよ。向こうだって展示の準備で忙しいんですから」

「強弁詭弁はお前の十八番おはこだろ?」

「失礼な」


「おい、そこ、わかってんだろうな? 来年のテーマは鬼だからな。体育館を借り切って、平安京を再現する!」


「まだ、大学にいるつもりですか?」

「いい加減、成仏してくださいよ」


「誰か、あの人、御祓いして・・・」

「|帰命不空光明遍照大印相摩尼宝珠蓮華焔光転大誓願おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん――」


 里見先輩たち男性陣は、本所七不思議のひとつである「置いてけ堀」のセットを作るのに余念がない。


 構ってもらいたくて、


「姿の見えない妖怪にどうやって扮すればいいんですか」


 と、拗ねてみせると、そのままでいいんじゃないと憎まれ口を叩かれた。


 したり顔にげんこつを振り上げたところでやっとまともな返事が返ってくる。


鳥山とりやま石燕せきえん河鍋かわなべ暁斎しょうさいは、たしか描いてなかったはずだから、最終的には水木みずき先生に頼ることになるだろうけど、僕としては真弓のイマジネーションに期待してる」


「全然、アドバイスになってない!」


「相手してやりたいところだけど忙しいんだ。宿老、見てよ。いつになく張り切っちゃってるんだから。まあ、とにかく、自分で考える。それが民研うちの基本方針。――はい、これが資料ね」


「こんなにたくさん?」


「そういうこと。――ああ、それから、睦美ちゃんたちが捜してたぞ。『片葉の芦』の造花を手伝ってくれって」


「わかってますっ」


 頼みの彼氏は、プレッシャーと一緒に民研所有の資料をどっさりと手渡してくれた。

 書籍とコピーを綴じた冊子の詰まったダンボールを両手で受け取りながら、舌を突き出してみせるわたしの耳元に、彼は一言、


「可愛いよ」


 と、囁いて身を翻した。


 ――敗北。全然、こたえちゃいやしない。


 学生課に申し込んでようやく借りることができた一般教育棟の一階教室と別棟四階にある民研の部室。


 その二カ所で並行して行われている大学祭の準備で誰もがへばり気味。


 携帯電話は必需品だ。

 エレベータの使用は制限されてるし、連絡のためだけに長い階段を往復する気にはならない。


 宿老さんに借りた携帯で睦美たちに少し遅れる旨を伝えると、賑やかな教室の片隅に陣取って里見先輩のくれた資料に目を通した。


 何から手を着けてよいかわからなかったので、とりあえず里見先輩に伝え聞いた『耳袋』の内容を確認する。


 お奉行様の蒐集した怪異談。

 本当にこんなことがあったのかしらと一人微笑みながら、目的の記述を探しているとようやくそれらしき項目を発見した。


 思いのほか短い記述だ。


 ええっと、『年を経るひきの業なりと聞きしと人の語りしが――』。


 ――ヒキ?


 もしかして、アズキアライってヒキガエルのこと?


 しばし、硬直したあとでようやく里見先輩のしたり顔の意味に気がついた。


 ――ったく、もう。

 何が、そのままでいいんじゃない、よ――。


 ふくれっ面で柳田やなぎだ國男くにお翁の『妖怪談義』をめくっていると、すぐそばの埼玉県ではアズキトギといって川辺にいる音の妖怪と書いてあった。


 家の怪と音の怪。


 ほんの数十キロ離れただけなのに、この違い。

 さらにアズキアライは名前を変えて北海道と沖縄を除く日本のほとんど全土に伝承があった。


 日本古来の神々のそれと奇妙に符合する民俗学的な分布図。


 面白いと思った。


 夜になって里見先輩に家まで送ってもらう途中、


「妖怪って何だと思いますか?」


 と、聞いてみた。


 里見先輩は一言、


「遅れて来た神だ」


 と、答えた。


 ――なるほど。

 里見先輩ならではの独特な表現に感心した。


 遅れて来たばかりに聖の顕現ヒエロファニーとなれなかった生活の中の不思議を説明した「真理」、それが妖怪の正体だと里見先輩は言ったのだ。


 せっかく見つけた面白い話のきっかけの失いたくなくて、わたしはそばにあった公衆電話に駆け込んだ。


「お母さん? わたし、今日、民研の部室に泊まるから。――うん、大学祭の準備で忙しくって」


 不思議そうにわたしを見つめる里見先輩に片目をつむってみせると、彼は優しく頷いてくれた。


「ある時代から――、そうだね、宗教的な神々が定着すると同時に人間の知識が一定の水準まで蓄積されてからってことだけど、世の中の不思議を説明する『真理』は一定の条件を兼ね備えないと神になれなくなったんだ」

「条件というのは、要するに御利益があるかないかって考えていいんですか?」

「正解だ。他にも歴史的背景とかいろいろあるだろうけど、一番大きなものはそれだね。御利益のある不思議は神となり、その他のものは怪となる。もっとも、日本にはもともと祟り信仰ってのがあったから、大きな災厄をもたらす怪については、逆に神として崇められたんだろうけど」

「それだって、『祟らないでください』っていうお願いをするためでしょう? 御利益を求めるのと同じだわ。それに強力な怨霊を味方につけて、他の魔物を寄せつけないことだって御利益だし。日本人の傲慢ですよね」

「言ってしまえばそうかな。民族の思想はその民族の宗教的背景を理解しないと駄目だってよく言われるけど、NOと言えない日本人の性格もその辺に由来してるような気がしないかい?」

「長いものには巻かれてしまえ、ですか?」

「上手い引用だ。――『長いもの』っていうのは、竜とか蛇とかに関係があるのかな? 今度調べておこう」

「わたしも手伝います。でも、先輩? 御利益があるのが神だっていう考え方に、先輩はもともと反対だったでしょう。さっきの説明は一般論としてのものですか?」

「もちろん。僕の考える神は『運命』に近いものだって、前に話したよね。その考えは今も変わってないよ。神という存在が本当にこの世にあるとしても、それは人間の考えをはるかに越えている。宗教の神はただの偶像さ。イエスや釈尊にしたって同じだ。思想あるところに神はいない。よって、御利益も救済もないんだ。ほとんどの宗教に人格神だとか救済とかがあるのは、それを抜きにして考えると、宗教そのものが一種の世界観や倫理観になってしまうからさ。それじゃ、思想を広めるのが難しいし、第一、民衆に理解されにくくなる。真弓も禅は苦手だって言ったろ。禅は仏教のひとつの完成形だけれど、究極において神も仏も否定しているからあれだけ理解しにくいんだ」

「先輩って、すごいクリスチャンですね」

「確かに宗教的に見たら僕は極悪人だね。何があっても救われない」

「でも、わたしもキリスト教の善悪二元論的な考え方には反感を感じます。異教徒は悪であるっていう思想が十字軍とかの悲劇を生んだし、現在もカルトとか生んでますから。確かに善を定義するには必然的に悪の存在が不可欠になるから、難しい問題だっていうのはわかるけど」

「悩み多き乙女ってとこだね。ま、難しい話は置いといて、とりあえず、お酒でも飲むかい?」

「はい。誘惑してください」

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