さくら咲く頃
響
第1話 サクラ散る午後
(よかった。…間に合った)
初めて辞表を出した明くる年、独りで京都に行った。
もうすぐ忙しくなる。再就職先には大型連休明けからの出社を
指定されていたから、貴重な平日自由時間を満喫しておこうと思った。
花冷えが続いて、雨の少ない年でもあった。
おむすびを二つ。鮭と高菜。
地下鉄を降りて、駅直結のデパートでまあまあ贅沢な値段のを買い、
まずは超メジャーなM公園へ。
インバウンドとかオーバーツーリズムとかが到来するずっと前だ。
既に花の盛りを過ぎた京の街は意外にのんびりしていて、心なしか
閑散としていた。ド平日なのを割り引いても、なんか人出が少ない。
どの人も顔付は穏やかで、どこかゆったりしていた。
さりげに『一見さんお断り』を醸し出す圧を感じて、どこもかしこも
敷居が高い街だと思い込んでいたけれど、偏見だったのかもしれない。
(…そう言えば、去年来た時に似ているかも)
あれは紅葉シーズンが終わって、まだお正月を迎える『おことおさん』
には突入していない時期だった。私はやっぱり独りでここへ来ていた。
忙しくなる直前の初冬の京都は、まるで街中が『準備中』の札を出している
ような空気感だった。やっぱり観光客も少なかったし。
人混みが苦手な私にも、少しだけ優しい顔を見せてくれたんだと思えた。
(ここは、終了…と)
M公園の有名な古桜は、さすがに終わっていた。
私は園内でまだギリギリ咲いていそうな樹を選んで、近くのベンチに
腰掛けた。
葉桜になる寸前。
このタイミングで見れるのはとてもラッキーだ。
多少マニアックな私だけど、葉桜は好まない。
情緒が風情が…とかより以前に、無断で楽屋裏を除いてしまった感覚になる。
言うなれば罪悪感。見る程に何だか申し訳ない気持ちになるからだ。
綺麗にお化粧して着飾った美人の、紅白粉が剥がれて着崩れた無惨な様を
心ならずも目撃してしまったみたいな、いたたまれなさ。
ごめんなさい。あられもない姿を暴くつもりはなかったんです。
わざとじゃないんです。どうかお許しを。
そんな心理になってしまう。
でも、散り際の桜は好き。そう、ちょうどこんなカンジの。
桜は散る時がいちばん美しい。満開よりも、断然そっち。そう思っている。
たぶんあの、一斉にサヨナラを言う趣が潔くて、あれがいいんだよな。
ま、要は根がミーハーなんだろう。
(見れてよかった…)
散る直前の桜をサカナにお昼を食べる、デパ地下の高いおむすびはとても
美味しかつた。おかげでペットボトルのお茶でも、銘茶を飲んでいるかのごとく
錯覚させてくれる。
さすが古都。さすが老舗デパ。
(――ダイジョウブかな。私、ちゃんとやっていけるかな…)
なのに。せっかく爛漫の春を惜しんでいるというのに、邪念がもたげる。
思考がどうしてもこれからのことに向かってしまう。勿体ない話だ。
足掛け十五年以上も勤めたカイシャを辞めて、この春に人生初の転職をした。
本当はもう少し浪人生活を堪能したかったのだが、そうもいかない。
ちょうど桜が咲き始める頃に面接を受けたら、満開の頃には採用通知を
くれた。トントンと入社手続きが進んで、晴れて来月から再スタート。
滑り出しは概ね順調だ。うまくいく時はこんなものなのだろうか。
ただ、どうしても不安は付きまとう。
どうかまともな所でありますように。今度は都合よく使い潰されずに
すみますように。
まあ、あれ以上ヒドイ職場はもうないだろうけど。
不吉なことをボーッと考えていたら、さあっ―と風が吹いた。
強くはない。むしろ微風。けど、何気に向かい風。
(え…?)
そしたら。一斉に花びらが降って来た。
私の方に。私だけを目がけて。
顔とか肩とか、優しく柔らかく突進して来る。
まるで花びらで撫ぜられているみたいだ。
(なんか…私にだけ集中してない?)
大丈夫、だいじょうぶ…。
散り遅れた桜に、そう言って貰えた気がした。
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