04:仮想の東京
住和ビルのイベント会場『トライアングルプラザ』は、空調の効いた冷気と、数多の参加者が発する熱気に満ちていた。
大ガード下で襲ってきたあの不気味なフラッシュバックは、今では嘘のように遠のいている。
悠斗は隣に立つ金髪の少女――エリスの存在を、その温もりを、自分が「現実」に踏みとどまっている唯一の証拠として必死に繋ぎ止めていた。
「ユート、顔が硬いよ。ボクが女の子だって知ったから?」
エリスがからかうように小首をかしげる。その仕草、瞳の輝き、すべてが強い「実在感」を放っていた。悠斗は短い溜息をつくと、彼女を先導するように歩き出した。
「⋯⋯別に。さあ、行くぞ。俺たちの番が来た」
二人は案内スタッフに従い、『神経パルスジェネレーター』が搭載された最新型デバイスが設置されたシートへと腰を下ろした。
後頭部を優しく包み込むような、有機的な曲線を持つデバイス。これを装着すれば、脳に直接信号を送ることで『完全な仮想体験』が可能になるという。
(大丈夫だ。ここは安全なイベント会場だ。あの廃墟になった新軸なんて、ただの錯覚に決まってる)
「それでは起動してください。仮想世界への接続コードは『CONNECT ALTER WORLD』です。そうすればOSがお客様を案内してくれますので~!」
案内スタッフの女性が、慣れた口調でデバイスの使い方を説明する。
「わかりました。やってみます」
自分に言い聞かせるように、悠斗はデバイスを装着した。そして、教わったばかりの接続コードを、静かに唱える。
「CONNECT ALTER WORLD(コネクト・オルタ・ワールド)」
コードが認証されると同時に、視界に色鮮やかなHUD(ヘッドアップディスプレイ)が浮かび、起動シーケンスを告げていく。視界の中央に浮かんだボヤけた白い円が一気に広がり、悠斗の世界は真っ白な光に埋め尽くされた。
「うっ⋯⋯眩しい⋯⋯」
やがて目が慣れ、明るさが収まっていくと、そこは――。
「あれ?起動しなかったのか?ここ、さっきの会場じゃないか⋯⋯。でも、人が減っているような」
「ユート!いたいた!」
エリスがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
『お客様〜?無事に接続できましたね!びっくりしたでしょう?そこ、仮想空間なんですよ!会場を本物そっくりに再現してみたんです。皆さん、一瞬そこが現実だと勘違いしてしまうんですよね〜』
スピーカーから流れてきたのは、先ほどの案内スタッフの声だった。
「これが仮想空間⋯⋯?現実にしか見えない」
「すごいよね。ボクも何度か実験に立ち会ってきたけど、そのたびにグレードが上がっていて⋯⋯」
「ああ、そうか。エリオット⋯⋯いやエリスは飛び級の大学生だったな」
「そうそう!VRの研究もしてるの。本当の専門は脳科学なんだけどね!」
「すごいな。そういえば、そんな話を聞いた覚えがある⋯⋯」
『ではお客様?再現したのは会場だけじゃないんですよ。この新軸区を丸ごと再現したんです!ぜひ、都庁上空、数百メートルの絶景をご覧ください!』
都庁上空。その言葉を聞いた瞬間、悠斗の顔が瞬時に蒼白へと変わる。
「えっ!ちょっ、待ってーー!」
一瞬、視界が激しくブレた。悠斗が気づいたときには、彼の体は『トライアングルプラザ』の屋根を遥か眼下に見下ろす空中へと放り出されていた。
「うわああああああああ!」
根源的なトラウマ――高所恐怖症が、悠斗の思考を奪い、パニックへと叩き落とす。
そして、記憶の底に押し込めたはずの落下の感覚もまた再生された。
「ユート!大丈夫だから!これはVR。あなたの現実体は、ちゃんと地面に接してる!」
「あああああっ!」
「大丈夫、大丈夫だから!⋯⋯そうだ、ボクの手を握って!強く握ってもいいから!」
「あ⋯⋯あああ⋯⋯」
差し伸べられた手を、悠斗は溺れる者が縋るような力で握りしめた。
「いたっ⋯⋯くない。いいよ。それでユートが落ち着けるなら⋯⋯」
エリスは、悠斗の尋常ではない握力に一瞬だけ息を呑んだ。華奢な手首と指の骨が、ギシリ、と軋む感覚。凄まじい痛みがあったが、悠斗のパニック状態を察していた彼女は、接続を切らずに彼を支えることを優先した。
「ねえ、ユート。ボクの手、ちゃんと握れてるでしょ?どこにも落ちたりしないから!」
彼女は痛みを顔に出さず、精一杯の平静を装った声で悠斗に語りかけ続けた。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯エリス⋯⋯」
「そうそう、大丈夫。ゆっくり息を吸って」
「⋯⋯ありがとう。少し、落ち着いてきた」
「まだ顔色が悪いね。このまま、ずっと手をつないでいようか?」
悠斗を安心させるためか、エリスが悪戯っぽくウインクしてくる。
(⋯⋯ちくしょう、カワイイな⋯⋯!)
弟分だと思っていた親友が実は美少女で、その上いきなり空中に放り出されて――。
処理しきれない情報量に翻弄されていると、再び案内スタッフのアナウンスが響いた。
『では皆様、これより10分間の空中散歩にご案内いたします。VRですので現実的な危険はございません。どうぞリラックスしてお楽しみください』
視界の右下に高度計らしきゲージが現れ、青い帯がゆっくりと上昇を始める。同時に、ふわりと体が浮き上がる浮遊感が押し寄せた。
視点はさらに上昇していく。
眼下にはミニチュアのように小さくなった『トライアングルプラザ』。やがて都庁舎の高さを超えると、地平線の彼方まで続く東京の街並みが視界を埋め尽くした。
空はどこまでも青く、白い雲が悠然と流れている。壮観な景色だ。それは理解できる。しかし、足元には何もない。ただ数百メートルの虚空が広がっている。その感覚が、悠斗の背筋を凍らせ続けた。
「震えてるね、ユート。ボクの手をしっかり握ってていいからね。なんなら⋯⋯ハグする?」
悠斗とは対照的に景色を楽しんでいたエリスが、彼の震えに気づいて優しく微笑む。
「ハグ⋯⋯っ?俺をからかうなよ⋯⋯!いや、アメリカでは挨拶みたいなものなのか?」
「⋯⋯誰にでも⋯⋯するわけじゃ、ない、よ」
「え?なんだって⋯⋯?」
呟かれた声は小さく、悠斗の耳には届かなかった。
「なんでもなーい!」
そんなやり取りの最中、悠斗は「それ」に気づく。
エリスの手の感触。柔らかく、温かく、皮膚の質感までもがリアルに伝わってくる。
(柔らかくて、温かい⋯⋯?最新のVRって、ここまで再現できるのか?脳に信号を送るとはいえ⋯⋯)
高所への恐怖と、手の感触の生々しさ、そして現行の技術ではありえないはずの「温度」への疑問。思考が混濁し、停止する。
「あら、かわいらしいカップルね」
「若いっていいなあ」
同じアトラクションに参加している者たちが、二人を見てからかうような声を上げた。悠斗とエリスは、瞬時に耳まで真っ赤に染まっていく。
「か、カップルだって⋯⋯」
「いや、ほら、俺とお前は⋯⋯兄と弟みたいなものだろ?いや、今は兄と妹⋯⋯か?」「えぇ⋯⋯?」
それを聞いたエリスは少しムッとしたように、頬を膨らませた。 極限のパニックの中であっても、悠斗はそんな彼女の姿を「カワイイ」と感じずにはいられなかった。
やがて、空中散歩の終了時間が近づいてきた。ゲージの青い帯が下降を始め、それに伴って視点がゆっくりと下がっていく。ようやく悪夢が終わる。
「ユート、なんだかんだ言って、しっかり握ってたね。ちょっと痛かったよ」
地上に降りる直前、エリスが少し頬を赤らめて言った。
「⋯⋯どうせ俺はビビリだよ」
悠斗が自嘲気味に呟くと、エリスはニッコリと微笑んだ。
「うん、知ってた。でも、ありがとう。楽しかったよ」
その笑顔は、あまりにも自然で魅力的だった。仮想世界の再現体(アバター)だとは到底信じられないほどに。
(まあ⋯⋯エリスが楽しんでくれたなら、良かった⋯⋯かな)
高度が下がり、都庁前の広場が近づいてくる。安堵が胸に広がりかけた、その時。悠斗は目の前の光景に、決定的な違和感を覚えた。
降り立った『新軸』の風景は、先ほどまでの整然とした姿を失っていた。
『トライアングルプラザ』のガラスはことごとく割れ、隣接する都庁の壁面には巨大な亀裂が走り、道路には無残な瓦礫が散乱している。
まるで、大災害か戦争でもあったかのように、街は崩壊していたのだ。 そして、さっきまで一緒にいた他の参加者たちの姿も、どこにも見当たらない。
「こ、これは⋯⋯。さっき俺が見た⋯⋯まぼろし⋯⋯!?」
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