20年分の誕生日プレゼント

@littlespring

20年分の誕生日プレゼント

いつしか、僕の部屋に彼女の姿が在ることが当たり前になっていた。


朝、眠たい目を開けると、枕元に彼女がいる。ある朝は膝をついてちょこんと座っている。またある朝は学習机に向かって、タブレットに絵を描いている。


僕が夜眠りにつくと彼女は姿を消し、朝起きると必ず姿を見せる。そして決まって「おはよう」と微笑みかけてくる。いつもころころと愛嬌よく笑う。


そんな彼女は四六時中、この部屋にいて、出ていこうとしなかった。


何週間か経った今でも、その正体はよくわかっていない。


わかるはずがなかった。高校からの帰り道、たまたま立ち寄ったリサイクルショップでジャンク品のタブレット端末を買ってきたら、突然、降って湧いたかのように現れたのだ。


「ワタシのことは令和最新版のザシキワラシとでも思ってね」


おどけながらそんなふうに言われたところで、音が耳を通過したくらいの感覚しかなかった。


「ち、ちょっと! ちょっと変な子がいる」


ひとまず、自分と同い年くらいの女子が自宅に侵入していることだけを受け止めて、親に通報したが、徒労に終わった。彼女の姿は僕にしか見えていなかった。声も僕にしか聞こえなかった。触れることさえできなかった。腕を掴んで外に連れ出そうとしても、すっと擦り抜けて宙を掻いてしまった。


「ゆ、幽霊?」

「失礼ねぇ。こんなにカワイイ幽霊がいるわけないでしょ」


人間、現実に起こっていることは、受け入れざるを得ないようにできているらしい。何日かすると、常識の壁を通り越したのか、「おはよー」「おかえりー」と言われる生活に馴染んでいる自分がいた。


もともと、姉と一緒に寝起きしてきた部屋だ。話し相手がいるほうが自然な気さえしてくるし、女の子相手に完全無視というのも気が引けて、いつしか自然と会話をするようになっていた。



「この髪の色、カワイイでしょ? ワタシのこと、タブレットの精霊と思ってくれていいからね」

「……こないだ、最新版がどうとか言ってなかったっけ?」

「それはそれだよ」


僕が学校から帰ってくると、彼女は姉が使っていた学習机に向かっていることが多かった。右手に握ったペンでタブレットに絵を描いている。見せてくれたことは一度もない。


「ねえ、今日の学校はどうだった?」

「……別に、フツーだけど」

「午後は体育があったんじゃないの? あ、もしかしてまた、足引っ張っちゃった?」


彼女はからかうように「かわいそうにね」と僕の頭を撫でるフリをする。払い除けようとしたが、もちろん、何の感触も残らない。


「うっさいなぁ」


鬱陶しいのに、もどかしい。


彼女の手のひらは透き通るように白い。ちょっと力を入れたら、その手首は簡単に折れてしまいそうだ。くるりとした瞳からは好奇心が滲み出ている。


見た目は生身の女の子と変わらないのに。

息がかかりそうなくらいに近いところで、好意的に接してくれているのに。


「ねえ、ちょっと、ちゃんと考えてるの?」


突然、責め立てるように強い彼女の声が降ってきて、僕は思わず身構えた。机に向かって書き物をしているときだった。目を上げると、彼女が厳しい顔をして腕を組んでいた。これまでそんな表情は見たことがなかった。


「えっ、なにを?」

「それよそれ、進路のことでしょ」


彼女が指す先には、学校から配られたプリントが広げられている。第一希望から第三希望までの受験先が記入してある。


「もっと真剣に考えたらどうなの? どうせ偏差値の高い順に書いただけでしょ? お母さんの希望どおりにいい大学に行って、いい会社に行ければそれでいいの? きみの人生でしょ」

「はぁ? なんでいきなりそんなこと……」

「将来、何になりたいの。どうやって生きていくつもりなの?」


僕は言葉を返さなかった。返す言葉がなかった、と言ったほうが正しい。


「わからないよ、そんなこと。わからないから、それを探しにいくために大学に行くんだろ。みんなそうだよ。先のことは、それから考えるさ」

「いつまでお母さんの言いなりなの?」


いちばん聞きたくない台詞だった。


「そんなんじゃない! 大体、普通に考えて、いい大学に行けば、先の選択肢も広がるだろうし、大企業に就職すれば待遇もいいし。小さい会社に入ったって、やりがい搾取するようなブラック企業ばっかで、安くこき使われて」

「ネットでかじっただけの情報のくせに」

「じゃあ君は社会の何を知ってるんだよ! 僕の気持ちがわかるのかよ? 意味もなく毎日まとわりついてさ。消えてくれよ、もういい加減にさあ!」


腹の奥の底から言葉が出てきて、せき止められなかった。しまった、と思ったが、動じたふうでもなく彼女は笑っていた。半分泣いたような、それでいてどこか安心したかのような笑顔だった。


「気持ちなんかわからないよ。言わなきゃ伝わらない。そうやって、お母さんにぶつけてみたら? なんでも自分で思い詰めないで、ね」


そう言って彼女は、僕の目の前から消えてしまった。今までどんなに「出て行ってくれ」と言ったところで、「まあそのうちね」とうやむやにされてきただけだったのに、本当にいなくなってしまった。


「準備はできてるの?」


いつからそこにいたのか、部屋の入口に母が立っていた。心なしか、いつもより声が疲れていた。母は学習机の片隅に置かれた姉の遺影に目をやって、小さくため息をつくと、「早くしなさいよ」と言って静かにドアを閉めた。


「あのさ、ちょっと相談があるんだけど。進路のこと」


用事を済ませた帰り道、僕は思い切って母に切り出した。小学生の頃に言われるがまま中学受験し、中高一貫で何も考えずにエスカレーターに乗ってきた。次のレールもすでに目の前に敷かれている。でもそれは、母と父が考えて用意した道だ。きっと今まで生きてきた経験から、良かれと思ってそうしてくれているに違いない。でもそこに僕の感情は一切入っていない。


これは、僕の人生なのに。


「言えたじゃない、ちゃんと」


何度かの家族会議を経て、僕の進路が定まると、不意に彼女の声が聞こえた。姉が使っていた学習机のほうを見やると、そこにはまた、タブレットを抱えた彼女の姿があった。何日ぶりだろう。


「うん、でも、これでよかったのかな」


彼女の姿を見ると、嬉しいような、こそばゆいような熱が込み上げてくる。混ざりきっていないミルクコーヒーのように、どこかがちょっとほろ苦い。


「ま、お母さんが敷いたレールのほうが、高年収を狙えたかもね」

「お金のために生きるわけじゃないから」

「あははっ、その意味、ほんとに理解できるのは二十年後くらいかしらね」


彼女は屈託なく笑いながら、「これでよし」とペンでタブレットを突いた。


「キミのアドレス宛にメール送っておいたから。添付ファイルが付いてるけど、怪しいメールじゃないから、ブロックしないでね」

「え? 届いてないけど」

「うん、毎年、キミの誕生日に届くように設定しておいた。二十年後まで、二十通」

「はあ? なんだそりゃ」

「それじゃあ、頑張ろうね」


何を? と聞き返す前に、彼女の姿は再び見えなくなっていた。呼びかけても返事はなかった。


もう消えないで、ずっとそばにいてほしい。


その気持ちは、彼女に伝えられなかった。





それ以降、彼女が姿を現すことはなかった。社会に出て働き始めると、彼女といた時間のことを思い出すことすら、ほとんどなくなっていた。唯一、年に一度の誕生日を除いては。


午前五時に送られてくるそのメールには、タイトルに「プレゼント」とだけ書かれている。本文は白紙。差出人も不明。添付ファイルあり。一見すると迷惑メール以外の何者でもなかったが、添付ファイルを開けると手書きのスケッチが表示される。


繁華街で手を繋いで歩く男女。カフェの店内で特盛パフェに驚く女性。オフィスの会議室のような場所。誰かが撮った日常スナップのような場面ばかりが、毎年、十枚ほど添付されてくる。そしてその場面を、僕は必ずその次の誕生日までに経験することになる。


僕がつくる未来を、彼女は予知していたのだ。


「ま、強いて言うなら映画の予告編みたいなものね」


もし彼女なら、胸を張ってそう言いそうだった。


「パパー、スマホなんか見てないで、行きましょー」

「ああ、ごめんごめん」


謝りながら僕は、彼女から送られてきた二十年目の添付ファイルを閉じる。その反対の手を、娘に引っ張られた。


ショッピングモールの喧騒の中で、娘が足を弾ませる。


「今日はパパの誕生日だから、なんでも好きなもの買ってあげるね」


スケッチの中にもあった屈託のない少女の笑顔は、僕を見上げながら腕を振る。


裏も表もないような、無邪気な笑顔。


彼女のその面影が、今はそこにあった。

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