バースデーカード
江賀根
実話です。
10年ほど前に、私が実際に体験した出来事です。
自身の誕生日を数日後に控えた、11月初旬のことでした。
仕事から帰宅した私は、玄関を開ける前に、いつもの習慣である、郵便受けの確認を行いました。
すると、薄い黄色の封筒が一通入っていました。
宛名は、私の名前が手書きで書かれています。
その封筒を取り出すと、私はすぐに裏側を確認しましたが、差出人は書かれていませんでした。
——なんだ?
封筒は、メールの絵文字で使われるような横型の洋封筒で、いかにも「手紙」といった感じのものでした。
しかし、私には誰かから手紙が届くような心当たりは一切ありません。
妙な胸騒ぎを感じた私は、家族が居るリビングに入る前に、玄関でその封筒を開封しました。
中には、一枚の紙が入っていて、それはバースデーカードでした。
予めHappy birthdayという文言や花束の絵が印刷されているもので、中央に女性の文字で「素敵な一年になりますように」と書かれていました。
その他は、差出人を含めて何も書かれていませんでした。
——誰からだ。
人によっては、女性からこのようなものが届いて浮かれる方もいるかもしれません。
しかし、日頃からホラーばかり読んでいる私にとっては恐怖でしかなく、全身に鳥肌が立ちました。
ただ、いつまで玄関に居るわけにはいきません。
私は封筒を鞄に入れると、いつもどおりを装ってリビングに入りました。
まだ、自身が状況を理解しきれていないことや、あらぬ疑いをかけられかねないことから、妻には封筒のことを話しませんでした。
夕食の際も団欒の時間も、私はいつものように過ごしつつ、頭の中では封筒の差出人について考え続けていました。
まず大前提として、相手は私の住所と誕生日を知っている。
その時点で、決して交友関係が広くはない私は、対象者がかなり絞られます。
しかし、どう考えてもあんなバースデーカードを送ってくるような人物はいません。
他に私の個人情報を知っているとすれば、会員登録をしている店です。
確かに、これまで様々な店から、誕生日にハガキが届いたことはありました。
しかし、それらは全て誕生日特典や割引のお知らせで、文面は印刷されたものでした。
今回届いた封筒に、差出人が書かれていない時点で、その線はあり得ません。
残る可能性は、最も考えたくないパターンの、私が知らない人物——いわゆるストーカーのようなものです。
これまで、似たようなシチュエーションのホラーを幾つも読んでいた私には、その可能性が恐ろしくてたまりませんでした。
ただ、その一方で心の片隅に
「こんな田舎のオッさんにストーカーなんてあり得るのか?」
という気持ちもありました。
結局、どれだけ考えても答えは出ず、その晩なかなか寝付けなかった私は、翌日寝不足気味で出社しました。
家で封筒を出せなかった私は、会社のデスクでじっくりと、封筒とバースデーカードを観察しました。
しかし、どれだけ確認しても、やはり差出人は記されていませんでした。
唯一新たにわかったことは、消印が隣の市であるということでした。
この出来事を一人で抱えておくことが無理だと判断した私は、隣席の後輩に一連の出来事を話して封筒を見せました。
しかし、彼からは「怖すぎでしょ」「やばいっすよ」など、不安を煽ることばかりを言われ、結果的に恐怖心を増大させただけでした。
中でも一番私を怯えさせたのは、後輩の
「この『素敵な一年になりますように』って、これからまだ何かあるってことじゃないですか?」
という台詞でした。
——確かにそうだ。これで終わりではないのかもしれない。
それ以降、毎日の郵便受けの確認は、私にとって恐怖の儀式となりました。
時期が11月だったため、特に私が警戒したのは、まもなく訪れるクリスマスと正月でした。
同じ相手からクリスマスカードや年賀状が届くことへの恐怖と、それを家族が受けとった場合の不安に怯えながら、私は日々を過ごすことになりました。
しかし結果的に、クリスマスも正月も何も届くことはありませんでした。
それによって、差出人不明は解決していないものの、私の中の恐怖心や不安な気持ちは、徐々に小さくなっていきました。
そして2月くらいになると、この件について考えることはほとんどなくなりました——次の誕生日が近づくまでは。
その年の10月下旬辺りになると、一年前の出来事が蘇り、再び郵便受けの確認が、恐怖の儀式として復活しました。
そのときの私の中には、今年も届いたらどうしようという不安と、今年届かなければ、この件は終わったことにできるという希望の、二つの気持ちが存在していました。
そして、実現したのは不安の方でした。
昨年同様の11月初旬、帰宅した私が郵便受けを開けると、他の郵便物に混じって入っていたのです。
今回の封筒は薄いピンク色でしたが、宛名の筆跡は間違いなく、昨年届いたものと同じでした。
——終わらなかった。
私は、全身に鳥肌を立てた状態で、その封筒を取り出しました。
そして裏側を確認すると、なんと差出人の名前が書かれていました。
※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※
ここから、いよいよ解決編となりますが、冒頭に書いたように、これは実話のため、ミステリー小説のようなオチはありません。
是非、広い心でお読みください。
※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※ ※※
正しくは、封筒の裏に差出人の名前が、スタンプで押されていました。
ヘアーサロン イシカワ
それは、私が長年通っている理髪店でした。(イシカワは仮名です。)
その時点で、私は事の顛末を粗方理解しました。
長年通っていましたが、一昨年までは、バースデーカードなど届いたことはありませんでした。
では、なぜ昨年から届くようになったのか。
思い当たったのは、昨年の初めに店主が結婚したことでした。
おそらく、奥様がサービスの一環として、顧客名簿を元にカードを出し始めたのでしょう。
そして昨年は、おそらく店名のスタンプを押し忘れて、私に送ってしまったのでしょう。
数週間後、私は理髪店を訪れました。
もちろん散髪するためですが、この件の答え合わせも兼ねていました。
「そういえば、少し前にバースデーカードが届きましたよ」
「ああ、あれね。嫁さんがあんなの作るのが好きでさ、常連さんに送ってるんだよ」
「……そうなんですね。ありがとうございます」
予想どおりの結果でした。
散髪を終えた後、会計をしてくれたのは奥様でした。
「バースデーカードありがとうございました」
「あ…いえ…」
元々人見知りらしく、これまで挨拶しか交わしたことのない奥様は、顔を赤くして、私と視線を合わせずに会計を続けました。
そんな意地らしい奥様に、スタンプ押し忘れの苦情など、言うことはできませんでした。
そんなことより私が言いたいのは、あのときの自分自身に対してです。
「お前みたいな冴えないオッさんに、ストーカーなんてつくわけねーだろ」と。
バースデーカード 江賀根 @egane
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます