【第三章:風は北東より】第四話:神殿に残る影

 サヴェルナを出て三日目の夜、月明かりの下を進む四人の影があった。契約従事者──その中でも“ミスリル級”と呼ばれる上位の者たち、カイ、セルディア、ブルノ。そこに随行する一人の若き剣士、リオ。


 先頭を歩くのは、長身で精悍な体躯を持つ青年──カイ。無造作に結ばれた白銀の髪が風に揺れ、背には長弓を背負っている。その眼は闇を裂くように鋭く、何かを察知するたび、わずかに動く耳元のイヤーカフが反射する。軽快な足取りとは裏腹に、常に周囲への警戒を解かないその姿は、戦場で育った者のそれだった。


 そのすぐ後ろ、二番手に続くのは魔導師のセルディア。漆黒の外套に身を包んだ細身の女性で、全身の動きに一切の無駄がない。巻き上がる砂を避ける動きひとつ取っても、彼女がただ者でないことは明らかだった。翡翠の瞳が睫毛の陰で鋭く光り、視線の動き一つにも、制御された魔力の余韻がにじむ。


 最後尾には、図体の大きな男──ブルノがいた。金属鎧を着込んでいるにもかかわらず、その足取りは信じられないほど静かだ。灰色混じりの髭と髪、片目を覆う黒い眼帯。寡黙な彼はあまり言葉を発さないが、時折重い声で周囲の様子を伝えるその声には、まるで金属そのものが語るような、重みのある威圧があった。


 そして、その三人の間に挟まれるようにして歩くリオは、ただひたすらに集中していた。砂利を踏む音。風の音。小さな獣の走る気配。──すべてが研ぎ澄まされた感覚に流れ込む。今の自分が、この人たちと同じ任務に就いていることが不思議に思えていた。リオは、自分の動きと呼吸のリズムが三人と徐々に揃ってきていることに気づいていた。だがそれは、彼らが合わせてくれているからであって、自分がその域に達したわけではない。その証拠に──。


「止まれ」


 カイの低い声に、誰もがぴたりと足を止めた。その直後、左手の茂みから三頭のシャドウウルフが姿を現した。暗闇に溶け込むような濃い灰色の毛並み、血のように赤い眼。その距離は、すでに近い。セルディアが半歩前に出る。


「力の膜よ、眼前に立て」


 低く抑えた詠唱と同時に、一行の前方に淡い光の壁が立ち上がった。飛びかかった一頭が弾かれ、一瞬、動きを止める。その隙を逃さず、カイが踏み込んだ。腰の短剣が閃き、一頭の首元を正確に切り裂く。影は声もなく地に崩れた。残る二頭がゆっくりにじり寄ってきたところへ、横合いから重い一撃が叩き込まれる。ブルノの斧が低く唸りを上げ、二つの影をまとめて薙ぎ倒した。瞬きほどの間に、すべてが終わっていた。


「……リオ、後ろ確認」


 言われる前に、リオは振り返って剣を抜いていた。──いない。闇の中に、他の気配はない。リオが頷いてみせると、カイが小さく頷いた。


「よし、行くぞ」


 誰も、戦闘について語ろうとしなかった。それが彼らの“いつも通り”なのだ。リオは、自分の心拍が落ち着くまで、静かに呼吸を整えながら思う。


(あれを、“当然”のようにこなすのが、ミスリル級──)


 今の自分とは、あまりにも違いすぎる。だが──だからこそ、ここにいる意味がある。一行は再び歩き出した。沈黙のまま、東の空がわずかに白んできた気配の中、かつて神々の時代に築かれたという古代の神殿を目指して。


 四人が神殿に到着したのは、朝日が地平線にわずかに昇った頃だった。神殿というにはあまりに荒れ果てたその場所は、岩壁をり貫いた巨大な石窟──かつて精霊信仰の祭祀が行われていたという古代遺構だった。だが、その入口を目前にして、一行はまず異常な光景に足を止めた。


「……何、これ……?」


 セルディアが呟く。足元に転がっていたのは、巨大な熊型魔獣の死骸だった。だが、問題はその状態だ。胴体が、まるで刀で紙を裂いたかのように、真っ直ぐに斬り裂かれていた。しかも──傷口に焦げや裂け、骨の砕けるような痕跡はない。正確に、清潔に、まさしく“一刀”で。リオは、思わずうなった。


「魔法……じゃ、ないですよね」

「違うな」


 カイが即座に答える。


「これは、明らかに剣だ。それも、よほど手入れのされた業物わざもので、斬ったヤツも尋常じゃない手練てだれだ」


 ブルノがしゃがみ込み、傷口に指を当てる。


「生きたまま斬られた痕だ。瞬時に絶命……抵抗すら許されていない」


 進むにつれて、同じような死骸が幾つも見つかった。狼型、トカゲ型、さらには飛行種まで──どれもが一撃で絶命していた。やがてセルディアが、死骸から視線を離さないまま言った。


「こんな斬り方ができる人……本当に、今の大陸にいるの?」


 誰も答えず、リオもまた、無言のまま斬撃の痕跡を見つめていた。これほどまでに完璧な斬り口を、自分は今まで一度も見たことがない。だが、だからこそ──わからなかった。魔法でも霊唱術でもない。純粋な剣。それも、おそらく尋常ではない剣士の手によるもの。


(この世界には……こんなことができる奴がいるのか)


 畏れと、驚きと、そして抑えがたいほどの好奇心が、静かに胸の奥で芽を出していた。考えがまとまる前に、ブルノの声が響いた。


「行こう」


 リオは短く頷き、歩き出す。その背に、先ほどまでにはなかった新たな問いと渇望を抱きながら。


 神殿の入口は、長年の風雨と苔に覆われていた。だが、石壁には明らかに“新しい切り口”がいくつか見受けられた。


「扉……いや、これは元々閉じていたはずだな」


 カイが低く呟き、斬り裂かれた石の縁に指を這わせる。


「魔剣だとしても難しいぞ、これ」

「斬られてるわね。押し破ったり、魔法で壊した痕じゃない」


 セルディアが傍らの石像を見上げた。古びた精霊像のうち、いくつかは半ばから斬り落とされ、内部には黒ずんだ空洞が覗いている。カイの視線が、扉からゆっくりと石像へ移った。ブルノが短く言う。


「先に入った探索者がいるんだろう──間違いなさそうだ」


 その言葉に、一行の空気が張り詰める。リオは、建物の奥から流れてくる空気に思わず眉をひそめた。血の匂いではない。湿気と土が混じった、重たい臭い。その中に、どこか焼けたような感触がある気がする。――気のせいかもしれない。だが、もしそうでなかったら。


(……中に、まだいるんじゃないか)


 確かめる術はない。ただ、その可能性が頭から離れず、リオは無意識に剣の柄を強く握っていた。焦げたような匂いに、どこか“人為”の気配を感じた。火を起こした後とは違う、もっと異質ななにか──。


 神殿内部は想像以上に広く、石壁には風化したレリーフと、古代語らしき文字が刻まれていた。カイが先頭を進み、他の三人は警戒しながらそれに続く。幾つかの小部屋や分岐を抜けた先、中央の広間に出た。そこはまるで、かつての“祈りの間”のようだった。 円形の壇が中央にあり、無数の座像が、壇を取り囲むように並んでいる。そしてその壇上には──再び、異様な光景。半ば崩れた石の祭壇。その背後に、無残にも両断された柱と、斬られたまま崩れた巨大な石像。


 リオは近づき、ゆっくりと斬断面を指先でなぞった。なめらかだった。石とは思えぬほどの切断面。まるで布を裂くかのように、抵抗の痕跡すらない。


(何者なんだ……こんなことを、剣でやるなんて)


 震えるほどの驚愕。そして、拭えぬ疑念。


「これは……」


 リオが言いかけた時、カイが静かに制した。


「声を抑えろ。まだ、何かいるかもしれん」


 その言葉に、誰もが黙る。だが──いくら待っても、何も現れなかった。 神殿は、ただ静まり返っていた。ブルノが淡々と調査記録を記し、セルディアが魔力残滓を感知する呪文を唱えるが、ここ最近に魔法が使われた痕跡はなかった。


セルディアが呟く。


「狂ってるわ」


 カイが静かに頷いた。誰が、なぜ、こんな場所に先に訪れたのか。リオの中では、ますます謎が膨らんでいた。そして、どうしようもなく──その“剣士”を見てみたいという思いが、心の奥で静かに疼き始めていた。


 神殿での調査を終えた一行は、簡単な地図と報告用の記録を残し、午後には撤収を開始した。その帰路、森の中ほどに差し掛かった頃だった。突如、前方の茂みが大きく揺れ、二頭の巨大な牙獣──ドレッドファングと呼ばれる咆哮獣──が現れた。さらにその頭上からは、滑空する羽蛇はじゃ型の魔物、スカイルーインが音もなく襲いかかってきた。


 最初に動いたのは、リオだった。前衛に出て、鋭く踏み込む。風を切る音とともに、彼の剣が一閃──牙獣の首元に、的確に刃が届いた。一頭が崩れ落ち、すかさずリオは横へ跳び退く。 次いで襲いかかってきた羽蛇に対し、カイが素早く弓を引き絞り、鋭い一矢を放った。矢は羽蛇の胴体を正確に貫き、空中で軌道を失った魔物に、セルディアが火炎魔法で追い打ちをかけた。羽が燃え落ち、火だるまとなったスカイルーインが黒煙を曳いて墜落する。短い交戦ののち、三体の魔物は全て倒された。カイが戦場を一瞥し、静かに言った。


「危機察知、踏み込み、間合いの管理……悪くない」


 その言葉に、リオは思わず息を呑んだ。


「……え、あ、ありがとうございます」


 胸の奥がわずかに熱くなる。不意に告げられた評価に、リオはどうにか平静を保って礼を述べた。ブルノも、無言で頷く。セルディアはちらりとリオを見て、


「まあ……スチール級にしておくには勿体ないわね」


と呟いた。そして付け加える。


「戻ったら、連盟に進言しておくつもりよ。少なくともゴールド級の実力はありそうだって」


 お世辞か、あるいは軽い冗談のつもりかもしれない──リオはそうも思った。だが、それでもなお、胸の奥で小さな灯がともるような気がした。彼はその言葉を、真っ直ぐに受け止めた。まだ遠い。あの“斬撃”を可能とする存在には、到底届かない。──だが。


(俺も、知りたい。あの境地を)


 そのとき、彼の中で何かが静かに始まりつつあった。


 数日後の夕刻、サヴェルナの鍛冶工房街の一角。鉄と火の匂いが漂う中、ドワーフの職人トルグは、炉の温度を確かめながらひと息ついていた。そこへ、ふらりとひとりの男が現れる。黒衣の男が、工房の影から姿を見せた。腰には無骨で湾曲した剣を差し、癖のある黒髪は、きっちりと額から後方へ撫でつけられ、肩まで流れるように落ちていた。生来のうねりを感じさせながらも、丹念に整えられており、一房たりとも乱れていない。その所作と静かな目つきが、妙に落ち着いた印象を与えた。


 だがその佇まいには、目を逸らせぬ威圧感があった。髪も瞳も黒く、異国の者のような風貌。それでいて、ただそこにいるだけで空間の重心が変わるような静けさをまとっていた。背は思ったほど高くはないが、ドワーフよりは確実に高い。年齢は若くも老いても見える、不思議な気配をまとっていた。トルグが振り向き、男の顔を見た瞬間──言葉を失った。


「……まさか、お前さん……イオリか?」


 男は、静かに頷いた。


「ああ。少しばかり、剣が鈍ってきてな」


 百年前。トルグが若かりし頃、打ったはずの一本の剣。苦労して仕上げた剣を受け取り、


「……また長く使うことになる。世話になった」


 と言って去ったその日から、もう二度と会うことはないと思っていた。だが、目の前の男は──確かに“あの”イオリだった。イオリは工房に腰を下ろし、わずかに肩をすくめて言った。


「クロムヘヴンにはいなかったな。かなり探し回ったぜ」


 トルグが眉をひそめる。


「……ああ、クロムヘヴンの鍛冶師連が面倒な統制を始めてな、自由に炉を扱える場所を探していたんだ。今の工房はその結果ってわけだ」

「なるほど。行商人のひとりがあんたの居場所を知ってて、ようやくここまで辿り着いたんだ」


 イオリはトルグが差し出した湯飲みを手に取りながら、さりげなく続けた。


「そういえば最近、ここから北東にある遺構を覗いてきた。外観は立派だったが、中は空っぽだった。色々斬って回ったが、何も出てこなかったな。骨折り損のくたびれもうけ、というやつだ」


 イオリは腰から剣を外し、鞘ごとトルグの作業台に置いた。


「少し刃こぼれがある。手入れを頼めるか?」


 トルグは柄を握り、わずかに抜いて刃を確認しながら唸った。


「……研ぎが要るな。ついでに鍛え直しもしておく」

「いくらだ?」


とイオリが問うと、トルグは指を三本立ててみせた。


「銅貨三枚か?」

「馬鹿言うな。金貨だ」

「──高すぎないか?」


 イオリは苦笑し、湯を啜った。


「遺構で何にもなかったんだぞ」


 だがトルグは微動だにせず、重々しく言った。


「この剣の調整は、俺にしかできん。お前もそれが分かってるから、わざわざ俺を探し当ててここまで来たんだろう?」


 イオリは黙って笑い、視線を炉に向けた。否定はしなかった。

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