【第二章:旅の礎】 第二話:学びへの代償
「せっかく紹介状を持っているんだ。入学を考えてるなら、早めに足を運んだ方がいいさ。あそこの学院は、入学試験の前に面談と適性検査があるんだってさ」
その言葉が、彼女の背を押した。ジルダに借りた地図と、宿の者から聞いた道順を頼りに、街の中央を通る大通りをしばらく西へ進み、途中から緩やかな坂を登っていく。サヴェルナの西部に位置する高台には、塔のようにそびえる学院の主楼が遠くからでも見える。その姿を目印に、クララは慎重に、一歩一歩と歩みを進めていった。
やがて石造りの重厚な門が見えた。鉄製の扉には学院の紋章──星と葉の交差する文様──が刻まれている。門の脇に立つ衛兵に紹介状を見せると、無言で頷かれ、そのまま中へ通された。学院の敷地内は、思いのほか静かだった。学生らしい若者が数人、芝の上で書物を広げており、白衣のような外套を着た教師と見られる人物が、その傍らで何かを講義している。受付を通してから、応接室へ通された。やがて、年配の女性が入室してくる。
「あなたが……クララ・モリス様でいらっしゃいますか?」
女性の眉がわずかに上がる。
「モリス……そのご姓、もしやヴァル=セリオン自治領の古い家系か、あるいはエルゼヴァン神聖教国あたりの貴族家系に連なるお方でしょうか?申し訳ございません、この地方では聞き覚えのない名でございまして……」
「え?いえ、わたしは……普通の家です」
クララは戸惑いながら答えた。
女性は、その“普通”という言葉を、貴族的な謙遜と受け取った。この世界では、姓──すなわち家名──を名乗るのは、王族や貴族、あるいは聖職者の家系など、ごく限られた者たちに限られていた。多くの民は名のみを用い、家を表す言葉は持たない。ゆえに、姓を聞けば、人々は自然と高貴な血筋を想起する。クララが“モリス”と名乗ったのは、彼女の故郷──つまりこの世界にとっての異世界──では姓を持つのが日常だったからに過ぎない。だが、この地の者にとっては、それは由緒ある血を意味する重大な符号だった。クララの中には、「えっ、名乗っちゃだめだったの?」という一瞬の戸惑いがあった。だが、その違和感を表に出す前に、応対は次へと進んでいく。
「はい。紹介状をお持ちしました」
その場を穏やかに切り替えようと、クララは姿勢を正し、手元の封筒を差し出した。紹介状を手渡すと、女性はさらりと目を通す。
「“森の聖導”レネア様からの……っ!」
女性の目がわずかに見開かれ、その声色には驚きが滲んだ。
「それは……たいへんに希少なご推薦でございます。まさか、レネア様が森の外にまで御手を差し伸べておられたとは……」
一瞬でクララを見るまなざしが変わったのがわかった。すでに高貴な出自と認識されていた彼女に、さらに希少な推薦状が加わったことで、女性の眼差しには確かな敬意と、思わず背筋を正すような畏れが混じっていた。
「これは、学院としても真摯にお迎えしなければなりません。──適性検査は形式的なものではございますが、どうかご容赦くださいませ。すぐに済みますので」
クララは案内に従い、校舎の奥へと進む。複数の部屋を移動しながら、いくつかの設問に答えたり、霊力の通りやすさを計測するための水晶球に触れたり、発声の正確さを試されたりする。全てを終えて再び応接室に戻った時、女性は目を輝かせるようにしてクララを迎えた。目元には抑えきれない驚きと興奮が滲み、その笑みは感嘆の色を含んでいた。
「素質は……非常に優れております。霊唱に対する感応性もそうですが、何より……」
女性は手元の記録板に目を落とし、改めてクララを見た。
「あなたの体内に内包されているマナの量が、通常の新入生と比べて桁違いです。まるで、長年修練を積んだ熟練の術者か、それ以上の密度です。……一体、どのような修練を積まれて?」
「え、ええと……とくに、なにも……」
クララが戸惑いながら答えると、女性は深く頷いた。
「……天与の資質というべきかもしれませんね。これは、学院としても非常に楽しみな逸材です。──合格です。入学は三ヶ月後の第一週から始まります」
ほっと胸を撫で下ろしかけた瞬間、女性の口から告げられた。
「学費は一学期につき金貨十二枚です。ちなみに当学院は春学期と秋学期の二期制です。制服代や教材費は別途となります。入学の前日までに納めて頂ければ、手続きは完了です」
「……じゅ、十二枚?一年で……二十四枚……?」
クララは思わず聞き返した。その様子を見た女性は、今度は明らかに不思議そうな表情を浮かべた。
「……あら? ご令嬢ほどのご家門ならば、問題ない額かと……」
「いえ、わたし、そういうのじゃないんです。本当に、普通の……」
──もういいや、面倒くさい! クララは心の中で叫んだ。この世界では“モリス”と名乗っただけで貴族扱いされるのだ。ならばいっそ──
「……ええ、まあ、そういうことにしときます!高貴なご令嬢ってことで!」
やけくそ気味に肩を張ったクララに、女性はひときわ高いトーンで声を張り上げた。
「それでは、お手続きをお待ちしておりますね!」
女性はにこやかに、そして期待に満ちた笑顔でクララを送り出した。学院としても、彼女のような逸材の入学は久方ぶりのことなのだろう。金貨十二枚──しかも一学期で。それは、彼女たちが今持っている全財産を優に超える額だった。夢と現実の間で、心がふらつく感覚に、彼女は思わずその場で足を止めた。視界がぐらりと揺れ、頭がクラクラする。気づけば、応接室の扉を出たあとも、ふらふらとした足取りのまま、無言で学院の坂道を下っていた。
宿に戻ると、ジルダはちょうど共用の台所で煮込み鍋の蓋を開けたところだった。行商の合間を縫って滞在している彼女は、宿主の厚意で調理場を借りているのだという。
「おかえり、どうだった?」
返事をする前に、クララはテーブルに突っ伏した。重たい溜息が漏れる。リオも椅子に腰を下ろし、クララの様子を見て訝しげに眉をひそめた。
「……で、どうだったんだ? 入れるって言ってたよな」
クララは突っ伏したまま、声だけで返す。
「うん……合格だった。でもね、学費が……金貨十二枚。一学期で」
「……十二枚!?」
リオの声が裏返る。ジルダも素っ頓狂な声を上げてから、眉間に皺を寄せて鍋杓子を握りしめた。
「……それ、本当に学費? 王宮の子弟でももうちょい割引あったんじゃないの……」
「霊唱術に向いてるとか、逸材だとか言われたけど……お金がなきゃ入れないんじゃ意味ないよね」
クララがうつぶせのまま呟くと、ジルダは椅子を引いて腰を下ろした。
「まあ、運が良けりゃ、討伐か発掘依頼でドンと稼げることもあるけどさ」
「でも命懸けでしょ?」
リオの問いかけに、ジルダは片目を細めて頷いた。
「そう。魔物絡みは特にね。発掘も、古代遺構なんかは罠や呪物がてんこ盛りだったりするし」
「安全かつ確実な道は……やっぱりないのね」
クララが顔を上げ、苦笑を浮かべながら二人を見る。
「さて──じゃあ、どうするか。一攫千金作戦、考えるしかないね」
ジルダが腕を組み、鍋の中から立ちのぼる香りとともに、静かな作戦会議が始まった。しばし沈黙が流れた。ジルダは鍋の蓋をしめ、ため息をひとつついた。
「……ひとつ、気になる話があるにはあるんだけどさ。まだ掲示板には出ていない特級依頼」
「特級?」
リオが眉をひそめる。
「契約従事者連盟──まあ、傭兵や探検家が契約で仕事を受ける組織なんだけどさ。その裏側で扱う“持ち込み案件”。依頼主は中央王国フェンデリアの首都──アルヴェリオンから来てる学術調査団。対象は……禁域指定の古代遺跡。場所は南の境界近く、地図に載ってないはず」
クララが目を丸くする。
「禁域って……入るのも禁止されてるような場所じゃ……」
「そう。だから報酬も破格だ」
ジルダは肩をすくめる。
「酒場に出回ってる話だ。こういう手合いは、隠したつもりでもすぐ漏れる」
少し間を置いて、続けた。
「成功すれば──金貨三百枚」
その場の空気が凍った。
「三百……!?」
リオが椅子に背を預け、呆れたように天井を見上げる。
「……それは、さすがに無理だ。俺たちじゃ通用しないレベルだろ。ほかに、もうちょっと現実的な案は?」
クララも言葉を失っていたが、リオの言葉に小さく頷いた。ジルダは指先でこめかみを押さえながら、ぼそりと呟く。
「ま、そう言うと思ってたよ。だからさ──街中のいろんなギルドを回って、もっと手頃な依頼を探すって手もある。討伐や護衛、発掘以外にも、書写や配達なんかもあるしね」
「でも……私たち、字もろくに読めないし……」
クララが言いかけると、ジルダは軽く笑った。
「だから、私が一緒に行ってやるよ。依頼の書類くらい読んでやるし、下手な連中に騙されないよう見張っとく」
リオは感心したように口笛を吹いた。
「助かる。ジルダがいれば、変な依頼に引っかからずに済むな」
「うん。ありがとう、ジルダ」
クララが笑顔を取り戻し、三人の間にわずかな希望が灯った。
その翌日から、三人はサヴェルナ市内の各ギルドを精力的に回り始めた。商業会、中央文書研究会、農業流通協会、さらには手工業者の斡旋所まで足を運んだ。だが、現実は厳しかった。まともに報酬が出る依頼は難易度が高すぎる。逆に初心者でも受けられる仕事は、金貨どころか銀貨にもならない日銭ばかり。
「……これは無理だな」
と、リオが呟いたのは午後を回った頃だった。陽射しはまだ強いが、三人の足取りは明らかに重い。そのとき、クララが何気なく視線を上げた先で、小さな歓声が上がった。
「見て、虹だー! あれ、空の精霊が笑ってる合図なんだよ!」
通りの先で、子どもたちが手を振って空を指さしていた。建物の影を縫うように、淡い七色の帯が空へと伸びていた。思わず足を止めたクララは、近くの子どもに話しかけた。
「きれいだね。あれは、太陽の光が空気中の水に当たって、それぞれの色に分かれて見えるの」
「へえ……光が分かれるの?」
子どもたちは目を丸くし、その後ろにいた大人たちも顔を見合わせた。
「それは、術理の働きじゃないというのかね……?」
ふいに声がかかった。振り向くと、落ち着いた灰色の外套を着た中年の男性が立っていた。
「私はフェンデリア学術協会──この辺じゃ“学術ギルド”と呼ばれてる所の者です。よろしければ、今の話、詳しく聞かせてもらえませんか?」
クララが戸惑いながら頷くと、男は笑みを浮かべて言った。
「ちょうど今、光と術の干渉について調査をしておりましてね。どうか、そのお話をもう少し詳しく教えていただけませんか?もし可能であれば、我々の施設で再現していただけるとありがたいのですが」
案内された小さな観測室で、クララは拾ったガラス片を水を張った皿の縁に立て、差し込む日差しの角度を調整した。透明な縁を通った光が水面に落ち、七色に分かれて広がる。そこに現れた七色の光を見て、学術員たちは一斉に感嘆の声を上げた。
「……おお、これは……?」
クララは、できるだけ簡単な言葉を選びながら説明した。
「光は、そのまままっすぐ進むだけじゃなくて……水やガラスに当たると、曲がったり、別々の色に分かれたりするんです。自然現象ですね」
しばらく沈黙が続いた後、ひとりの学術員がぽつりと尋ねた。
「なぜ、そんなことを知っている?」
クララは一瞬だけ硬直し、次いで曖昧な笑みを浮かべた。
「えっと……そういうふうに、昔どこかで聞いた気がして……はっきりとは覚えてないんですけど……」
誤魔化すように視線を逸らすクララに、学術員たちは顔を見合わせたが、それ以上は深く追及しなかった。議論の末、学術ギルドは感謝と謝礼として金貨三枚をクララに手渡した。
「もしよろしければ、今後もこのような“自然現象”についての知見をお貸しください。いずれ正式な依頼として提示させていただきます」
思わぬ形で金貨を得た三人は、その帰り道、少しだけ足取りを軽くしていた。
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