るりちゃんに穿たれたい

もものかおり

高橋瑠璃子という弁護士

 4年間同棲していた彼氏が警察に捕まった。


 薬物の売人をしていたのだから、当然だ。


 そして、売り物である薬物を使っていた私も、芋づる式に逮捕された。



 何人もの罪人に着回され、よれよれのシワシワになった拘置所貸し出しのつなぎ(オーバーオールみたいな服)をきた私は、刑務官に連れられて面会室へと足を運ぶ。



 腰縄を繋がれた私の両手首に巻き付いている手錠が、歩くたびにチャリチャリと音を立てる。

 これまで何人もの罪人が履き潰していった、ボロボロでサイズの合わないスリッパが廊下と擦れる雑音が、私の前を先導する刑務官を追いかけるように響く。


 私は今、拘置所と言う場所にいて身分は〝未決囚〟というらしい。

 未決囚は、裁判で有罪が確定する前の被告人のことを指す。


 私は、近いうちに裁判にかけられるのだ。


 なのに、緊迫感がない。

 自分のことなのに他人のニュースを見ている気分だ。


 面会室の前で立ち止まった刑務官が、私の腰縄と手錠を慣れた手つきで外す。


 これから弁護士と面会する。

 正直言って私は、億劫だった。

 警察官や検察官に何遍なんべんも話した内容を、またイチから話さないといけない。

 いや、別に話さなくてもいいのか。

 なぜなら、弁護士は罪人の味方だ。自白を強要してくることはないはず。

 私にとってはこれからの行き先が刑務所だろうが寒々しい社会だろうがどうでもいいことだ。

 有罪だろうが無罪だろうが、私の人生は変わらない。

 だから、弁護士の先生は適当にあしらおう。

 


 面会室に入った途端、私は拍子抜けした。

 

 私の裁判を担当してくれるらしい弁護士さんは、想像していたよりもうんと若い女の人だ。まだ20代半ばといったところ。


 しかも、スーツ姿ではなく私服。


 面会室に入ってきた私を認めた弁護士さんは、二重の線がくっきりとまぶたに刻まれた大きな目を丸くして、それから柔和に微笑んだ。


「こんばんは、弁護士のタカハシ・ルリコです」


 そう言いながら、慣れた手つきで名刺をケースから取り出し、アクリルガラスがあるため直接手渡しできないので私に見えるように掲げてくれた。


 この方は、高橋瑠璃子るりこさんというらしい。


 深緑色のミリタリージャケットの下に、暖かそうなプルオーバーを着ている。

 弁護士バッジ付けてないんだ、という驚きよりも

先に、プルオーバーのイラストが気になった。舌を出したお化けがニット帽を被っている。しかもおちょくるようにウインクしてるし。



「あれだよね、一緒に住んでいた彼氏が大麻とかLSDとか売りさばいてて自分も使っちゃった感じ?」


 高橋先生が、事もなげに切り出してくる。

 アラレちゃん眼鏡が、童顔によく似合っている。これまでたくさん勉強してきた証しなのだろう。けれど、似合ってる。何遍も繰り返したくなるほどに。


「そう……です」


 警察に自白した内容のほんの一部だが、事実に相違はないので認めつつも、羞恥心から歯切れの悪い返事になった。


 人生を捨てている身だけれど、私とは正反対のエリート街道を歩んできたであろう弁護士の先生から薬物の名前が出てきたので、自分自身が違法薬物に手を出し、常用したクズあることをまざまざと自覚させられる。


 まあでも、だから何だと言うのだ。

 エリートには関係のないことじゃないか。


「ふぅん」


 軽蔑はしていないようだった。

「なるほど」と言いたげに高橋先生は数回頷いた。

 弁護士だから、薬物犯罪にはおそらく慣れているのだろう。

 


 この弁護士先生に心を開いたわけではないけれど、女友達に世間話をするように事件について切り出す先生のやり方のお陰で、張り詰めていた緊張の糸は若干、緩んだ。



 きっと先生はこういうやり方で、数多くの犯罪者の心を開いているのだろう。



「とりあえず、ここ出たいよね?」



 本来、被告人の口から出た情報を書き留めるためのボールペンを手で弄びながら、高橋先生が唐突に私に尋ねる。

 拍子抜けした。

 てっきり事件の話を追加で聞いてくると思っていたから。


 私は返事に窮する。


「まあ……ずっと見張られてて窮屈だし」


 綺麗好きの部類ではない私ですら、週二回しかシャンプーできない拘置所は不便だった。季節は冬に差し掛かろうとしているが、それでも週二回だけのシャワーだと頭が痒くなり、掻きむしると爪にフケが沢山挟まる。

 社会には戻りたいと思わないけれど、ずっと拘置所にいたいかと問われればそれもノーだった。


「じゃあ、保釈請求しよっか」


 お金を出せばここを出られるよ、と高橋先生。

 私は、顔の目の前で右手をぶんぶんと振った。


「いやいや、私、芸能人じゃないしお金ないんで」


 クスリの売人である彼氏は死ぬほど稼いでいるだろうけど(具体的な額は教えてくれなかった)、私には一切、くれなかった。

 私は、彼氏のアパートに住まわせてもらう代わりに肉体労働を提供していた。

 肉体労働とは、読んで字のごとく〝売春〟である。

 身体を男に捧げ続けた対価として、無料の衣食住、そしてクスリを手に入れた。

 私は彼氏に身も心も掌握されていたし、逮捕されるまでの数年間、彼氏と住んでいたアパートの一室を殆ど出たことがないから、働きにも出ていない。クスリがと住まいがあれば、他に欲しいものはなかったから稼ぐ必要はなかったのだ。

 というわけで、私は一文無しの素寒貧なのだ。


「それがですよ! 保釈金を立て替えてくれる制度があるんですよ〜」


 高橋先生は得意げな顔で、人さし指を立てた。


「え……でも立て替えって最終的に返さないといけないですよね?」


「ううん。返さなくていいよ」


 高橋先生は、首をゆっくり横に振った。

 私を安心させるように、眼鏡の奥の目尻を柔らかく下げて。

 


 どういうこと?

 誰かがお金をくれるというのか?


 刑事訴訟法については、裁判とか被告人という言葉くらいしかわからない私の頭の中がはてなマークでいっぱいになる。


 そんな私に、これから説明してあげる、と言わんばかりに高橋先生が澄んだ瞳で優しく微笑んだ。


 恐怖心や警戒心で凍てついた心が、徐々に溶かされていくのを私は感じた。

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