余命一ヶ月の魔法少女は、夏の青空に「さよなら」の嘘をつく。
三澄 柊/Misumi Shu
プロローグ
その青空は、私たちの死体でできている。
夏空なんて、嫌いだ。
呼吸ができなくなるほど鮮やかで、暴力的なまでに美しい。
まるで、僕たちのことなんて何も見えていないみたいに。
耳を劈くような蝉時雨
アスファルトが焼ける匂い。
そして、空間をバリバリと食い破るような、不快な電子音。
「――聞こえる? 碧。また『ノイズ』が湧いてきた」
インカム越しの声に、私は重たい瞼を持ち上げた。
視界の端で、世界がバグっている。
交差点の向こう側、本来なら信号機があるはずの空間が、黒いクレヨンで乱雑に塗りつぶされたように歪んでいた。
『ノイズ』
数年前から観測され始めた、原因不明の空間災害。
学者の先生たちは人類の集合的無意識における悪意の飽和」だとか、「社会システムの澱みだとか、難しい言葉で定義しているらしいけれど、私たちにとってはどうでもいいことだ。
重要なのは二つだけ。
あれが大人の理屈や物理法則を無視して、人を喰い殺すということ。
そしてあれを殺せるのは、未来が定まっていない「子供」だけだということ。
「視認した。ランクD、小型の雑魚ね」
私は制服のポケットから、無骨な鉄塊を取り出す。
変身デバイスなんて可愛らしいものじゃない。安全装置(セーフティ)の外れた、ただの起爆スイッチだ。
「了解。ちゃっちゃと片付けて、アイス食いに行こうぜ!」
通信の向こうで、バカみたいに明るい声が響く。
夏目 陽。私の幼馴染で、最高の相棒。
彼女の声を聞くと、少しだけ肺の痛みが和らぐ気がした。
「陽、突っ込みすぎないでよ。前衛は任せるけど」
「任された! 僕の脚、今日も絶好調だからさ!」
スイッチを押す。
瞬間、心臓が焼けるような熱さを訴えた。
血管の中を駆け巡るのは、血液じゃない。
私の時間だ。
私が大人になって、誰かと恋をして、仕事をして、お酒を飲んで、しわくちゃのお婆ちゃんになって死ぬまでの膨大な「未来の可能性」。
それを燃料にして、私たちは魔法という名の理不尽を現実に叩きつける。
光が弾けた。
制服が粒子になって分解され、戦うためだけの装甲へと書き換わる。
私の手には、自身の身長よりも巨大な大剣が握られていた。
重い。
この重さこそが、私たちが背負わされた業の重さだ。
「展開(セット)魔法少女、湊 碧。戦闘を開始する」
私は地面を蹴った。
コンクリートが爆ぜ、視界が一気に加速する。
目の前の『ノイズ』が、不快な音を立てて蠢いた。
黒い砂嵐のような身体から、何百人もの人間が同時に喋っているような声が響く。
『死ね』『キモい』『お前なんて必要ない』『消えろ』『消えろ消えろ消えろ』
直接脳内に響く、罵詈雑言。
精神汚染攻撃だ。大人の繊細な精神なら、これだけで発狂して廃人になるらしい。
でも、私たちは平気だ。
私たちはもう、そんな言葉には慣れっこだから。
「うるさいんだよ、雑音が……ッ!」
大剣を振りかぶる。
筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋む。
その痛みを引き換えに、剣身に青白い光が宿る。
代償変換。
『二十二歳の私が、初めて海外旅行に行って感動する未来』を焼却。
私の中にあったはずの、まだ見ぬ景色が消えた。
行ったこともない国の、嗅いだこともない風の匂いが、永遠に失われた。
その喪失感を推進力に変えて、私は剣を叩きつける。
ドグァッ!!
肉を断つ感触はない。
テレビの電源を無理やり落とした時のような、プツンという切断音と共に、『ノイズ』の身体が両断される。
黒い霧が霧散し、空気に溶けていく。
『ギャアアアアア……』
断末魔の叫びと共に、空間の歪みが修正されていく。
戦闘終了。所要時間、わずか三十秒。
「ふぅ……。一丁上がり!」
ビルの屋上から、陽がふわりと降りてくる。
逆手に握られた真紅の双剣が、陽光を反射してギラギラと輝いていた。
まだ熱を帯びた刃からは、赤い光の粒子がサラサラと零れ落ちている。
彼女は軽やかに着地すると、手元の剣を光に変えて消滅させ、屈託のない笑顔で私に駆け寄ってくる。
「ナイス一撃! やっぱ碧の大剣は派手でいいねぇ」
「陽が、敵の動きを止めてくれてたおかげだよ」
「へへっ、だろ? 来年の陸上大会、この脚で記録更新しちゃうから見ててよ!」
陽は自分の脚をパンパンと叩く。
健康的な、日焼けした肌。
来年。
彼女は無邪気にそう言った。
その「来年」を迎えるための寿命(エネルギー)を、今まさに削って戦ったばかりだというのに。
ピロン♪
間の抜けた通知音が、私のスマホから鳴った。
戦闘終了の報告と共に、政府公認の魔法少女アプリに通知が届く。
『ランクDノイズの討伐を確認。報酬が振り込まれました』
『市民からの応援メッセージが届いています』
画面をスワイプすると、SNSのタイムラインが表示される。
『魔法少女ちゃんありがとう!』
『今日の戦闘もカッコよかった~』
『日本の誇り! JK最強!』
『怪我がなくてよかった、頑張って!』
無責任な賞賛。
顔も知らない誰かからの、安全圏からのエール。
彼らは知らない。
私たちが魔法を使うたびに、味覚が消えたり、視力が落ちたり、大切な思い出が白紙になったりしていることを。
頑張れという言葉が、私たちを死刑台へと押し上げる掛け声であることを。
「あーあ。またいいねが増えてる」
陽が私のスマホを覗き込んで、苦笑いする。
彼女は、自分に向けられた死ねというアンチコメントを見ても、平気で笑うような子だ。
でも、その笑顔の裏で、夜中に一人で震えていることを私は知っている。
世界を救う代償は、私たちが大人になる権利だった。
このふざけたシステムを作ったのは、大人たちだ。
自分たちの平穏な生活を守るために、未来ある子供を薪にして燃やす。
それを正義と呼んで崇めるこの国は、どこまでも狂っている。
「ねえ、碧」
ふいに、陽が空を見上げた。
入道雲がモクモクと湧き上がる、突き抜けるような青空。
「今年の夏祭り、絶対みんなで行こうな」
「……うん」
「新しい浴衣、買っちゃったんだ。ピンクのやつ。似合うかな?」
「似合うよ。陽は可愛いもん」
「よっしゃ! じゃあ約束な。焼きそば食って、金魚すくいして、最後にどでかい花火見るんだ!」
陽は小指を突き出してくる。
私は、震えそうになる指先を隠して、その小指に自分の指を絡めた。
「約束」
嘘だ。
私の視界は、先月の戦闘から右端が欠けて見えなくなっている。
陽の脚だって、もう限界が近いはずだ。
私たちに、来年の夏なんて来ない。
もしかしたら、来月の夏祭りだって迎えられないかもしれない。
それでも、私たちは笑った。
この残酷で美しい青空の下で、私たちは「さよなら」の代わりに、未来の約束を交わす。
これは、余命わずかな魔法少女たちがついた、ひと夏の嘘と世界への反逆の物語だ。
(続く)
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