第3話 説得
正雪先生は、駿府にいる――そう告げられた。
正雪先生が宿を取っているのは、梅屋太郎左衛門の陣。名を聞いた瞬間、胸の奥が重く沈んだ。あそこは、人が集まりやすい。つまり、包囲もしやすい。
「すでに、動きは把握している」
松平信綱の言葉は淡々としていた。脅しでも誇張でもない。事実の報告だ。
急げということで、拙者は馬を与えられた。もちろん、自由ではない。前後に監視が付き、道は指定され、立ち寄りも許されぬ。それでも、牢の闇から外へ出る風は、久しぶりに肺を満たした。
梅屋の門をくぐると、視線が突き刺さった。浪人たちの眼だ。警戒と疑念、そして焦り。
拙者が捕らえられたことは、すでに知れ渡っているのだろう。
「裏切り者が来たぞ」
小声が、しかしはっきりと聞こえた。
通された奥の間で、正雪先生は座していた。以前と変わらぬ佇まい。だが、目の奥には疲れがあった。
「忠弥……生きていたか」
それだけで、拙者の胸は詰まった。
「正雪先生。拙者は――」
言い終える前に、声が飛んだ。
「聞くな! そいつは幕府の犬だ!」
一部の者が立ち上がり、刀の柄に手をかける。拙者は動かなかった。ここで身構えれば、話は終わる。
「待て」
正雪先生の一言で、場は静まった。
「忠弥、話せ」
拙者は、将軍家綱から示された条件を、そのまま伝えた。出頭すること。表向きは処刑。生涯、牢の中。だが、その代わりに、浪人の待遇について意見を述べる場が与えられること。
嘲笑が起きた。
「戯言だ」
「そんなもの、信じられるか」
拙者は、首を振った。
「拙者も、信じ切っているわけではない。だが、このままでは、何も残らぬ」
正雪先生は、黙って聞いていた。
「包囲されていることは、分かっている」
静かな声だった。
「すでに、道は塞がれている。ここで動けば、協力を約した者たちも身動きが取れぬ」
協力者。その言葉に、周囲が息を呑む。だが正雪先生は名を出さなかった。ただ、遠くを見るような目で続ける。
「抵抗しても、意味はない。恨みを残すだけだ」
拙者は、踏み込んだ。
「正雪先生は、幕府の考えを変えたいのではありませんか」
正雪先生は、わずかに笑った。
「そうだ。だからこそ、遺言を書こうとしていた。せめて、言葉だけでも残そうと」
「遺言よりも、生きて言葉を投げ続ける方が、届くかもしれません」
長い沈黙。
やがて、正雪先生は深く息を吐いた。
「……お前の言う通りだ。自害よりは、実現性がある」
その一言で、決まった。
正雪先生は、投降を選んだ。
翌朝、拙者は正雪先生他の仲間を伴い、幕府へ向かった。駿府の道は、異様なほど静かだった。乱は、始まる前に終わったのだ。
だが、それで全てではない。
駿府にいない首謀者――金井半兵衛。
拙者は、正雪先生の書を懐に入れ、再び馬に乗った。
半兵衛は疑った。怒り、拒んだ。
それでも、正雪先生の筆跡と、拙者の言葉が、最後に彼を動かした。
「……由比殿がそう決めたのなら」
こうして、首謀者は全員、幕府の手に渡った。
乱は鎮まった。
そして、拙者たちが選んだ道は、もはや引き返すことのできぬものとなっていた。
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