夜の世界で君は生きる意味だった
いすず さら
夜の中
第1章 星を見上げる少年
空は、今日も黒かった。
黒く、深く、どこまでも沈んでいて、まるで世界そのものが眠っているような夜だった。
ここは、“夜しかない世界”。
太陽なんて、昔話の中でしか聞いたことがない。暖かさも、まぶしさも、俺には想像すらできなかった。
湊 叶(みなと)それが俺の名前。
17歳。夜の世界に生まれ、夜しか知らずに育った、ごく普通の少年。
いや、“普通”というには、少しだけ人より“冷たい”のかもしれない。
「星、今日は少ないな……」
俺はひとり、丘の上の小さな広場に座りながら、空を見上げた。
街の灯りも届かないこの場所は、唯一、俺が心を落ち着けられるところだった。
星だけが、俺にとっての“生きている証拠”だった。
あの微かな光たちは、まだこの世界が完全に死んではいないと教えてくれる。
だけど、そんな光も、年々減ってきている気がする。
“夜病”という病が、静かに人々の心を蝕んでいく。
感情を失い、希望を忘れ、ただ無表情に日々を過ごすようになるその病は、まるで夜そのものが生き物みたいに、人間を飲み込んでいくようだった。
そして、それは俺の身近にもあった。
「……澪、大丈夫かな」
澪――幼馴染で、唯一心を許せる存在だった彼女も、最近は笑わなくなった。
目の奥から色が抜けていくのを、俺はずっと見ていた。
どうしようもない。どうしてあげることもできない。
俺の手は、誰かを救えるほど強くない。
「俺も、もう少しで、そうなるのかな……」
ぽつりと、呟いた。
感情がなくなるのは怖いけれど、それ以上に、“このまま何も変わらない毎日”の方が、よほど恐ろしかった。
そんなときだった。
風が、止まった。
草が、揺れなかった。
音が、消えた。
世界が、一瞬、息を呑んだように静まった。
――そして、その中心に。
「……誰?」
俺の目の前に、“少女”が立っていた。
月明かりすら届かない暗闇の中で、彼女だけが、ぼんやりと光を放っていた。
まるで、太陽の記憶が人の形になったかのように――。
「こんばんは。ここ、空がよく見えるね」
その声は、あたたかくて、どこか懐かしかった。
でも、見覚えなんてなかった。いや、それ以前に、こんな場所に人が来ること自体がおかしい。
「どうして、ここに?」
「あなたを探してたの」
少女はそう言って、にっこりと笑った。
「湊 叶くん」
心臓が跳ねた。
名前を知られている。
「誰だよ、お前」
警戒心と戸惑いが混ざった声が、自分のものじゃないみたいだった。
だけど、少女はまるで気にした様子もなく、ふわりと俺の隣に座る。
「わたしの名前は心晴(こはる)」
それだけ言うと、彼女は空を見上げて、小さく呟いた。
「ねえ、湊叶くん。太陽って、本当にあったと思う?」
“太陽”なんて、存在しない。
そう答えるのが、この世界の常識だ。
けれど。
そのとき、なぜだろう。
俺は初めて、太陽を知っているかのような気がした。
心晴という少女は、まるで俺の中の何かを、静かに照らし始めていた。
第2章 廃教会の少女
心晴と名乗った少女と出会った夜、俺は家に戻ることを忘れていた。
気づけば、空はいつものように闇に沈み、星たちはただ静かに瞬いている。
あの子は、どこから来たんだろう。
何者なんだろう。
なぜ、俺の名前を知っていた?
わからない。
だけど確かに、彼女の瞳だけは信じられる気がした。
翌夜、俺は再び丘の上の広場へ向かった。
まるで何かに引き寄せられるように。
けれど、そこに彼女の姿はなかった。
「……やっぱ、幻だったのか?」
独り言のように呟く。
ほんの一晩で、俺はあの少女に何かを期待してしまっていたのかもしれない。
そのときだった。
カランーーカランーー……
風に乗って、小さな鈴の音のようなものが聞こえた。
音のする方を振り向くと、闇の中にぼんやりと灯る光があった。
「あれは……?」
それは広場の奥にある、廃協会だった。
誰も寄りつかない、崩れかけた古い建物。
夜病が流行る前は、希望を祈る場所だったと聞いたことがある。
けれど今では神も祈りも、とうに人々の記憶から消えていた。
俺は、なぜか躊躇いもなくその扉を押し開けた。
軋んだ音とともに、教会の内部が現れる。
石の壁はところどころ崩れ、祭壇は埃にまみれステンドグラスは割れていた。
ただ、中央にある長椅子の上、そこに心晴が座っていた。
「来てくれると思ってた」
そう言って、彼女は振り返る。
やはり、あたたかい笑顔だった。
こんなに寒い世界の中で、どうして彼女だけが、こんなにも優しくいられるのだろう。
「ここ……君の居場所なのか?」
「ううん。ただの忘れられた場所。でも、空が見えるし…静かでしょ?」
心晴は立ち上がると、割れたステンドグラスの隙間から空を指差した。
そこには、細く輝く星が一つだけ、ぽつんと浮かんでいた。
「ここから見えるあの星、昔から変わらないんだって。名前、あるんだよ。“暁星”」
暁星――その言葉は、耳慣れない響きだった。
でも、不思議と胸が騒いだ。
「それって、“朝”の星、って意味か?」
心晴は、少し驚いたように目を丸くして、そして微笑んだ。
「さすが、湊叶くん。そう。“朝”の兆しって意味」
“朝”――この世界には存在しないはずの時間。
伝説でしか知らない、光の世界。
「湊叶くんは、朝を見たいって思う?」
その問いは、どこか試すようでもあり、優しさを含んでいた。
「正直、よくわかんない。でも……」
俺はほんの少しだけ空を見上げて、言葉を続けた。
「君が、そこにいるなら……見たいと思うかもな」
それは、気取った言葉でも、口説き文句でもない。
ただ、真っ直ぐにそう思っただけだった。
心晴は一瞬、黙って俺を見つめて。
「そっか。嬉しいな」
と、まるで泣き出しそうな顔で笑った。
――そのとき、何かが、胸の奥で音を立てて崩れた気がした。
彼女は、まるで別れの覚悟をしている人のようだった。
第3章 心晴の光
夜は、いつだって冷たい。
だけど、彼女が隣にいるときだけは、少しだけ、ほんの少しだけ、温かかった。
それは、火でも太陽でもない、心の奥に灯る“光”のようなものだった。
「湊叶くん、こっちだよ!」
心晴は教会の裏手に広がる、小さな花畑へ俺を連れて行った。
夜の世界では珍しく、ほんのりと淡い光を放つ“星花”という花が咲いている場所。
誰も世話していないはずなのに、そこだけは奇跡みたいに静かで、美しかった。
「……こんな場所、初めて知った」
「秘密の場所。ずっと前から、ひとりで見つけてたの。ここに来るとね、寂しくなくなるんだ」
心晴はしゃがんで、ひとつの星花にそっと触れた。
白い光が彼女の指先に吸い込まれて、花が少しだけ揺れたように見えた。
「星花ってね、光を食べて生きてるの。だから、光のない世界ではすごく希少なの」
「でも、この世界には“光”なんて、ないんじゃなかったか?」
「あるよ、ちゃんと。人の心の中に。湊叶くんにも、あるよ」
そう言って、彼女は俺の胸に手を当てた。
鼓動が跳ねた。嘘みたいに、強く。
「この“夜”の世界は、人々が希望を手放していったことで生まれたの。
だから――“誰かを信じる気持ち”や“何かを守りたい想い”が、まだ少しでも残っていれば…光は、きっと消えない」
心晴の言葉は、どこかおとぎ話のようで、現実離れしていた。
だけど俺は、否定することができなかった。
彼女を見ていると、本当にそう思えてしまうから。
「心晴。君は、何者なんだ?」
問いかけた瞬間、心晴は少しだけ目を伏せた。
その表情は、まるで“本当のことを言えない誰か”のように見えた。
「わたしは――“朝”を連れてくる存在」
「“朝”?」
「この世界に、もう一度、朝を取り戻すために生まれた存在。
でもね、湊叶くん。朝が来るってことは夜が終わるってことでもあるの」
その言葉の意味を、俺はすぐには理解できなかった。
でも、心晴の目の奥にある“決意”だけは、はっきりとわかった。
「世界に“朝”が来たら、君はどうなる?」
俺の問いに、彼女は静かに微笑んだ。
「――私は、きっと、いなくなる」
その一言が、胸を突き刺した。
まるで、目の前でろうそくの火が消えるみたいに。
誰かの背中が、もう二度と振り返らないみたいに。
「そんなの…嫌だ。朝なんて、来なくていい」
気づけば、声が震えていた。
こんなに誰かを失いたくないと思ったのは、初めてだった。
「湊叶くん……ありがとう。でもね、私は…」
心晴は言葉を飲み込み、微笑んだ。
そのとき、花畑の奥で星花がひとつ、音もなく散った。
第4章 夜病と涙
――「感情を失っていく」それが、“夜病”と呼ばれる病の正体だった。
はじめは小さな変化だ。
笑わなくなる。泣かなくなる。好きなものへの関心が薄れ、人との関わりを避けるようになる。
やがて、言葉を話さなくなる。
瞳に光が宿らなくなり、ただ呼吸をするだけの“抜け殻”になる。
それが、この世界で最も恐れられている病――けれど、誰にも止められない。
そして今、その夜病が、澪を確実に蝕んでいた。
「湊叶……くん」
その声には、もう力がなかった。
澪は俺の隣の席に座っていた。学校と呼ばれるこの建物も、今では教師も生徒もほとんど来なくなっている。
誰もが諦め、静かに夜に飲み込まれていくのを待っている。
けれど、澪はここにいた。俺がいるから。
それがわかっていて、俺はこの場所に通い続けていた。
「最近、夢を見るの。変な夢。
真っ白な世界で、誰かが泣いてるの。それが、私かどうかも、わからないけど」
「澪、それはーー」
「私、もうすぐ“感情”がわからなくなる気がするの。
湊叶くんの顔を見ても、胸が痛まなくなったら……それは、もう“澪”じゃないんだと思う」
澪の声は静かで、でもどこか悲しげで。
彼女は、“自分が消えていく”ことに、ちゃんと気づいていた。
「ごめんね、湊叶くん。
最後まで、あなたの隣で笑っていられたら、よかったのにね……」
その言葉に、俺は言い返せなかった。
ただ、強く拳を握ることしかできなかった。
そうして俺が黙っていると、澪はぽつりと呟いた。
「ねぇ、あなた誰かに出会った?」
「どうして、そう思う?」
「湊叶くんの声が……少し、あったかくなってたから。
夜の中でも、心の奥に光がある人の声って……私、わかるの」
俺は、少しだけ目をそらした。
心晴。
あの夜の少女。
太陽のような、光のような存在。
「その子……きっと、特別な子だよ。
だから、失わないで。……お願い、湊叶くん」
そう言って、澪はふっと微笑んだ。
その笑顔を、俺はこの先、二度と見ることができなかった。
その夜、澪は倒れた。
病院に運ばれても、医者たちはただ首を振るだけだった。
「夜病の進行が早すぎる。あと数日……いや、もっても一週間でしょう」
澪は、俺の目の前で“人間”であることを手放しはじめていた。
心晴――
もし本当に“朝”を連れてくることができる存在なら。
もし、彼女の光が本物なら。
――澪を救えるかもしれない。
けれど、それと引き換えに、心晴は“この世界から消える”と言っていた。
何かを守れば、何かが壊れる。
何かを救えば、何かが失われる。
俺は、そんな世界の仕組みが憎かった。
第5章 澪の願い
窓の外には、今日も夜が広がっていた。
街灯はひとつ、またひとつと壊れ、世界はゆっくりと闇に沈んでいく。
星の数も、どこか減ってきたように見えた。
俺は病室の前に立っていた。扉の向こうにいるのは、もう言葉もほとんど発せなくなった澪。
かつては明るくて、どんなときも笑っていた彼女が、まるで時が止まったように静かに寝ていた。
あの笑顔が、今も脳裏に焼きついて離れない。
「湊叶くん」
振り返ると、心晴が立っていた。
「来てたんだな」
「うん。澪ちゃんに、会わせてほしい」
俺は黙ってうなずいた。
心晴が病室に入ると、どこか空気が変わったように感じた。冷たかった空間に、ほんのわずかに温もりが戻ってくる。
心晴は、澪の枕元にしゃがみこみ、優しくその手を取った。
すると、眠っていたはずの澪が、ゆっくりと目を開いた。
「……あなたが……心晴、さん……?」
微かに動いた唇が、そう呟いた。
心晴は微笑んで、小さくうなずいた。
「私のこと、知ってたの?」
「うん……夢に、出てきた。……白い花畑で、あなたが……泣いてた」
心晴の表情が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。
けれどすぐに、静かに答えた。
「それはきっと、未来の記憶。
澪ちゃんが最後に見る夢は、世界の“朝”と“別れ”の夢だから」
「そう……なの……?」
「うん。だから、お願い。
湊叶くんを……朝のほうへ、送り出してあげて。
澪ちゃんが、その背中を押してくれたら、きっと彼は――迷わず進めるから」
澪はしばらく黙っていた。
目を閉じ、何かを噛みしめるように、深く息を吐く。
そして、小さく微笑んだ。
「湊叶くん……」
俺の名前を呼ぶその声は、少しだけ昔の澪に戻っていた。
優しくて、まっすぐで、どこか少しだけ切なくて。
「あなたが、誰かを好きになってくれて……よかった」
言葉にならなかった。
胸が締めつけられて、声が出なかった。
「私の分まで……生きて。
私の分まで……あの子を、守ってあげて」
澪はそう言いながら、心晴の手をそっと俺の方へと重ねてきた。
その手は、信じられないほど冷たくて、でも、温もりを知っていた。
その瞬間、星がひとつ流れた。
夜の空に、まるで誰かの願いが走ったように――長く、美しく。
「ありがとう……湊叶くん……」
それが、澪の最後の言葉だった。
その夜、彼女の鼓動は静かに止まった。
涙は出なかった。出せなかった。
ただ、胸の奥がぽっかりと空いたようで――
そこに触れた心晴の手だけが、確かにあたたかかった。
第6章 心晴の秘密
澪が逝なくなってから数日。
街の空気は、さらに沈み込んでいた。
まるで、ひとりの少女の死が世界の命綱だったかのように。
学校は閉鎖され、街の灯りはまたいくつか消えた。
“夜病”の進行も早まっているらしく、医者も、司祭も、ただ静かに首を振るばかりだった。
そんな世界の中で、俺は心晴と一緒にいた。
心晴は、俺の部屋に来るようになっていた。
いや、正確には――俺が、彼女の傍にいようと決めたのだ。
その日も、俺たちは黙って窓の外を見ていた。
変わらない夜。動かない星。深く、冷たい闇の海。
「……湊叶くん。私、話さなきゃいけないことがあるの」
不意に、心晴が静かに言った。
「君の“使命”のことか?」
彼女は、ゆっくり頷いた。
その目はいつものように優しかったけれど、どこか――終わりを覚悟している光があった。
「わたしは、“光の核”から生まれた存在。
夜しかないこの世界に、最後の“朝”をもたらすために造られた、人間じゃないもの」
「……造られた?」
「うん。わたしには記憶がないの。“誰か”に“ここへ行け”と言われただけ。
でも、それだけでこの世界に降り立って……湊叶くんに出会った」
その声に、作られた者としての哀しさがにじんでいた。
でも、それ以上に――彼女は、今を確かに“生きている”ように見えた。
「“光の核”って、なんだ?」
「太陽の名残。まだ完全に失われていない、“朝の記憶”みたいなもの。
それが完全に目覚めたとき、この世界に朝が訪れるの。でも……」
「でも?」
「そのとき、わたしという存在は“不要”になる。
使命を果たしたら、わたしは消えるの」
はっきりと、そう言った。
冷たい言葉。でも、その奥には、たくさんの“想い”が詰まっていた。
「……俺は、それでもいいなんて言えない。
心晴がいない朝なんて、いらないって……思ってしまう」
その本音は、自分でも驚くほど弱かった。
澪の死が俺を変えた。
守れなかった後悔が、俺に覚悟を迫っていた。
「湊叶くん……」
心晴が、そっと俺の手を握った。
「私、湊叶くんに出会ってしまって、変わってしまったんだ。
最初は“消えること”なんて、怖くなかった。
でも今は、朝を見せたいと思うと同時に……あなたと、この世界で生きたいって思ってしまうの」
それは矛盾だった。
朝をもたらすために生まれた存在が、“夜”の中で誰かと心を通わせてしまった。
愛が、希望が、そして願いが――彼女を揺らがせていた。
「湊叶くん。
あなたが“私より朝を選ぶ”としても……恨まない。
だって、それがわたしの役目だから」
「ふざけるな」
俺はその手を、強く握り返した。
「俺は……“君がいなくなること”を、簡単に肯定なんかできない。
俺は、君が……初めて生きたいって思わせてくれた人間なんだ」
そのとき、心晴の瞳から、ひとすじの涙がこぼれた。
それは、夜しかないこの世界で、初めて見た“あたたかい雨”のようだった。
第7章 世界の裂け目
あの日から、俺たちは答えを探し続けていた。
「“朝”が来るということは、誰かが消えるってことなのか?」
「“夜”というこの世界の仕組みは、なぜ生まれたのか?」
「そして――“光の核”は、どこにあるのか?」
それはまるで、禁じられた問いのようだった。
だが、知るしかなかった。
心晴が消える未来を、ただ受け入れるなんてできなかった。
「ここだよ。境界の底」
俺たちはたどり着いた。
街の最果て、地図にも描かれていない“旧管理区画”。
そこには人の姿もなく、街灯はことごとく破壊され、空すら歪んでいた。
風は止まり、空気はよどみ、時間そのものが崩れているかのようだった。
「この先に、“光の核”がある。
でも、それを目覚めさせれば……」
心晴は言葉を飲み込んだ。
――消える。
それはもう、何度も確認された事実だった。
「でも、ここでやめたら……何も変わらない」
俺は一歩踏み出した。
その背中に、心晴の手がそっと重なる。
そして、旧区画の中心にある巨大な扉――**“光の門”**が、俺たちの前に姿を現した。
「これは……」
古代の文字で刻まれた扉。
中心には“暁星”の紋章が浮かび上がっていた。
「私の記憶の奥に、ずっとこれがあった。
私が“帰る場所”……そして、“消える場所”。」
心晴は、扉に手を触れる。
すると、世界が揺れた。
闇が裂け、空が軋むような音が響いた。
扉の向こうに広がるのは、真っ白な世界――
何もない、何も始まっていない、純粋な“光”の空間だった。
その中心に、眠る少女の姿があった。
「……誰?」
「それが、“本当の私”だよ」
心晴は微笑む。けれど、その瞳は震えていた。
「私は、“心”を持ってしまった。
湊叶くんに出会ってしまったことで、もう“ただの光”には戻れない。
でも、この世界に朝をもたらすには……“あの私”を目覚めさせなきゃいけないの」
つまり、それは――
「お前は、“光”と“人”の間で揺れてるんだな」
「うん。人になりたかった。
湊叶くんと、未来を見たかった。
でも……それを望んだ時点で、きっと私は、使命に背いてしまってる」
「なら、背けばいい」
俺は、はっきりと言った。
「世界なんて救わなくていい。
お前が生きていれば、それだけで、俺には意味がある」
「湊叶くん……」
その言葉に、心晴は目を見開いた。
でもそのとき――
ズッ……!
地面が割れた。
空が引き裂かれ、黒い霧が吹き上がった。
「これは……夜そのものが、怒ってる……!」
“夜”が、意思を持って動き出した。
「早く、“核”を目覚めさせなきゃ。
このままだと、世界が完全に飲み込まれる!」
心晴が走る。
光の中心へ、かつての自分のもとへ。
俺は、彼女の背中を見つめながら、最後にひとつだけ叫んだ。
「俺は、君を選ぶからな!!
たとえこの世界が全部敵になっても――お前だけは、守るから!!」
心晴の足が、止まった。
そして――涙をこぼしながら、振り返って言った。
「ありがとう……湊叶くん。
――その言葉が、私の光だから」
その瞬間、扉の奥で“何か”が目覚めた。
第8章 朝と代償
“光の門”の奥――
そこはこの世界に存在しないはずの、白く満ちた空間だった。
何もない。
音も、風も、色さえも存在しない。
けれどその中心には、“眠る少女”が確かにいた。
彼女は、まるで心晴と瓜二つだった。
いや――正確には、**心晴の“原型”**なのだ。
「……あれが、“私が私でなくなる場所”」
心晴が小さく呟く。
その声は、これまでで一番、震えていた。
「核を目覚めさせれば、世界に“朝”が満ちる。
夜病は止まり、感情を失っていく人々も救われる。
この世界に、光が戻る……」
「でも、君が――」
「うん。私は、消える」
あまりにも静かな声だった。
あまりにも、確かな事実だった。
心晴は、眠る“本当の自分”に手をかけた。
その瞬間、世界がまた揺れる。
黒い影が、門の外から押し寄せてくる。
“夜”が暴れ出している。
それは、この世界に“朝”が来ることを拒むような――
まるで、自分自身が殺されることに抗っているような、凄まじい怒りの波だった。
「湊叶くん! 早く出て!」
「……お前はどうするんだ!?」
「私は、ここで“鍵”を回す。
でもその瞬間、すべてが始まる。
私が“光”に還って、“夜”を終わらせる。
それが、最後の選択」
俺は、駆け寄った。
その手を、強く、強く握った。
「ふざけるなよ!
やっと見つけたんだぞ。
やっと、暗闇の中で手を伸ばせる“光”に出会えたんだぞ!」
「私も……湊叶くんに会えて、初めて“人間”になりたくなった。
笑いたくなった。泣きたくなった。生きたいって、思った」
心晴の瞳が潤む。
「でも、それでも、世界を見捨てられない。
澪ちゃんの涙も、あの子の夢も……全部、このまま壊れちゃいけない」
それは、優しさだった。
自分を犠牲にしてでも、誰かを救いたいと思う――
“人間”の優しさだった。
「じゃあ、俺もここに残る」
「湊叶くん……!」
「俺の“光”は君だから。
君が消えるなら、その朝に意味なんてない。
だったら――その光の中で、一緒に消えてやるよ」
その言葉に、心晴は堪えきれず、涙をこぼした。
静かに、でも確かに震えながら、唇を震わせてこう言った。
「ありがとう……そんなふうに、言ってくれて。
でも、だからこそ――
あなたを朝に連れていきたいって、思ったの」
次の瞬間、光があふれた。
世界が裂け、夜の空に**“朝の兆し”が差し込む。**
星が、音を立てて砕けるように消えていく。
“夜”が、“感情の闇”が、悲鳴をあげて崩れ始める。
そして――
心晴の身体が、ゆっくりと光に溶けはじめた。
「だめだ……やめろ……やめてくれ……!」
俺の叫びは、もう彼女には届かない。
光の中で、彼女は微笑んでいた。
「湊叶くん――大好きだよ」
それが、彼女の最後の言葉だった。
そして、
朝が来た。
第9章 夜明け
朝は、予想以上に静かだった。
光が、暗闇を無理なく飲み込んでいく。
夜の世界がゆっくりと、けれど確実に溶けていった。
そして、朝の光は――新しい世界の始まりを告げるかのように、どこまでも広がっていった。
だが、俺はただ立ち尽くしていた。
心晴の姿は、もうどこにもなかった。
彼女の体は光の中で消え、彼女が残してくれた“人間”としての記憶と感情だけが、空気の中に漂っているような気がした。
「心晴……」
呟いたその言葉は、空の広がりの中に溶けていく。
朝が来た。確かに“光”は満ちた。
でもその朝は、もはや祝福ではなく、終わりと始まりの境界線だった。
俺は、一歩前に進んだ。
目の前には、変わり果てた街が広がっていた。
すべての壊れた街灯が、白く輝き始めている。
誰もが、無表情で動き始めていた。
その目には、もはや暗闇にひしめく痛みや悲しみがなかった。
でも、それは決して平和ではなかった。
感情が、無理に封じ込められているような、冷徹な空気が漂っていた。
「これが“朝”なんだな」
“夜”の支配から解放されたかのように見えるこの世界は、
実際には何もかもが無機質になり、心を失ったままだった。
俺はその瞬間、自分がここで生きていく意味を考えた。
心晴のために、澪のために――この世界にどんな意味があるのかを。
“光”が戻った世界で、俺はどうすればいいのだろうか。
心晴を失った今、俺に残されたものは何だろう。
ふと、足元に何かが落ちていた。それは、小さな白い花。
それは、心晴が何度も言っていた花だった。
「朝の花」、つまり――光の花。
心晴が選んだ世界の中で、たったひとつの“証”のように見えた。
「お前は、どうしてここに来たんだ?」
その問いかけには答えがなかった。
けれど、俺はその花をそっと拾い上げ、空を見上げた。
ここには、もう何もないように見える。
感情も、人々の温もりも、過去の思い出も――すべてが消えたように感じる。
けれど、その花だけが、確かにそこにあった。
心晴は消えたけれど、彼女が残したものは決して無駄ではなかった。
そして、今の俺はその“遺産”を、しっかりと抱きしめて生きていかなければならない。
「ありがとう……心晴」
俺は小さく呟き、花を胸のポケットにしまった。
そして、一歩また一歩、歩き出す。
新しい世界で、
これからどう生きるべきか――
その答えを、心晴から教わった気がした。
朝が来ても、闇が消えても、
人は**“生きる意味”を見つけることができる**。
そのために、俺は歩き続けるのだ。
やがて、空が完全に明るくなり、世界が目を覚ました。
人々は歩き出し、空気は新しい命を宿していた。
そして、俺は――
新しい世界の一歩を踏み出した。
第10章 新たなる朝
朝が完全に訪れ、世界は目を覚ました。
長い夜の闇が消え、全てのものが新しい命を与えられたかのように、清々しく輝いている。
街は静かだ。
けれど、確実に変わったことを感じることができた。
もはや誰もが無表情ではなく、感情が再び戻ったような気がした。
だが、俺はその中に一人で立っていた。
心晴が消え、澪がいなくなったこの世界で、俺はどこに向かえばよかったのだろうか。
「湊叶くん?」
声がした。
振り向くと、そこには見慣れた顔――心晴の妹、桜が立っていた。
彼女は、まだ幼い顔に少し驚いた表情を浮かべながら、俺を見つめていた。
「桜……」
思わず声をかけると、桜はゆっくりと歩み寄り、俺の前に立った。
「心晴姉ちゃん……彼女、どうしてもお兄さんに伝えたかったことがあったんだよね」
桜の瞳は、少しだけ潤んでいる。
俺は言葉を飲み込んだ。
「心晴が、最後に言ったこと……わかってる?」
桜は、俺を見つめたまま、ゆっくりと頷いた。
「うん。姉ちゃんはね、お兄さんに言いたかったんだよ。
“あなたに会えてよかった”って。そして、
“これからも生きてほしい”って」
その言葉に、俺はしばらく言葉を失った。
心晴が、最後に伝えたかったのは、**“生きること”**だったのか。
「生きること……」
その言葉を噛み締めながら、俺は桜に目を向けた。
「でも、僕はどうしてもそのことを実感できなかったんだ。
心晴が消えてしまった世界で、俺がどうやって生きるべきかが、ずっとわからなかった」
桜は、小さな手で俺の手を握った。
「でも、今は違うよ。姉ちゃんがいなくなったけど、
お兄さんはまだここにいる。
そして、私もここにいるんだから」
その言葉は、まるで温かな光が差し込むようだった。
桜は、ただそこに立っているだけで、俺に大きな力をくれた。
「ありがとう、桜」
言葉が溢れ出すのを感じながら、俺は桜を抱きしめた。
その瞬間、何かが変わった気がした。
心晴が望んだ通り、俺は生きる力を取り戻したのだ。
世界は確かに変わり、朝が訪れた。
でも、それはただの始まりに過ぎない。
人は、生きる意味をその手で作り出していくのだ。
桜を抱きしめた後、俺はゆっくりと空を見上げた。
その空は、澄み渡り、青く広がっていた。
無限の可能性が広がっているような――そんな感覚が、俺を包み込む。
そして、心晴が残してくれた“光の花”を、胸ポケットから取り出した。
その花は、まだほんのりと暖かさを感じさせ、希望の光を放っていた。
「心晴……ありがとう」
それは、心からの言葉だった。
心晴がいなくても、俺は前に進むことができる。
桜と共に、今度は**“生きる力”**をしっかりと胸に抱いて歩んでいこう。
そして、心晴が最後に伝えた言葉を、俺は忘れない。
“これからも生きてほしい”――その言葉に応えるために。
朝はもう、過去のものではない。
これからも、僕たちの歩みは続いていく。
どんな困難が待ち受けていても、俺は自分を信じ、進み続ける。
心晴のように、他の誰かを愛し、支え合いながら。
新たな朝が、確かに始まったのだから。
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