スキル【後悔修正】で異界東京を最短攻略
てゅん
第1話
現実の「決定」だけは、どうしても遅れる。
ボタンを押せばリトライできるゲームと違って、人生は一回きりだ。
だから俺は、決めなくて済むほうへ逃げた。
正社員の内定を断って、派遣にした。
夢があるのかと聞かれても、曖昧に笑って濁した。
「どっちでもいい」を積み重ねて、気づけば二十代の終わりが見えていた。
渋谷のスクランブル交差点に立っていたのも、そういう流れの延長だった。
短期の現場。今日限り。終わればまた別の現場。
変化しているようで、何も変えないルート。
——そのはずだった。
空気が、裂けた。
目の前の景色が一瞬だけノイズに塗れ、渋谷のビル群が「別の映像」に差し替わる。
まるで、現実そのものが読み込みに失敗したみたいに。
次の瞬間、交差点の真ん中に、黒い靄が「湧いた」。
「う、そ……」
靄は形になった。四足。骨ばった背中。口が横に裂けた犬——いや、犬に似た何か。
目が合った。瞳孔が縦に細い。
そこに意思があるのが、分かった。
悲鳴が遅れて爆発する。人の波が一斉に走り出す。
俺も、走ろうとした。反射で。
だが、足元で誰かが転んだ。
母親らしい女性と、手を繋いでいた小さな子。人波に弾かれて、地面に膝をついている。
助けるか。逃げるか。
迷った。
そして、その迷いが最悪のタイミングで形になる。
靄犬が、一直線にそっちへ向かった。
俺は声も出せず、身体だけが硬直した。
「助ける」にも「逃げる」にも切り替えられない、最も弱い状態。
女性が子どもを庇って、背中を向けた。
その背中に、牙が沈んだ。
赤が飛び、悲鳴が喉の奥で途切れる。
子どもが泣き叫ぶ。
足が動いたのは、その声を聞いてからだった。遅すぎた。
俺は走った。逃げるほうへ。
いつも通り、決めなくていいほうへ。
背中で、泣き声が遠ざかる。
音が消えていくのに合わせて、胸の内側が空洞になった。
その空洞に、文字が浮かぶ。
視界の中央、現実に重なるように、透明なウィンドウが開いた。
---
【SYSTEM:スキルが付与されました】
【取得スキル:後悔修正(Lv.1/5)】
【効果:1日1回、自分が関与した“分岐”を別選択に差し替える】
【追加:決断点の可視化】
【代償:後悔蓄積(精神摩耗/睡眠障害/感情の鈍麻)】
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「……は?」
意味が分からない。
でも、分からなくても目は勝手に読んでしまう。文字が、思考の上に乗ってくる。
次のウィンドウが、上書きで現れた。
---
【決断点:00:08前】
A:人波に乗って離脱する
B:転倒した親子を起こす
【後悔修正:使用可能(1/1)】
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俺の脳が、変な笑いを作りかけた。
リセット。
現実で、それができる?
——できるなら。
視界の端で、さっきの光景がフラッシュバックする。
牙が沈む。赤。声が途切れる。
俺の指が、勝手に動いた。空中に浮いた選択肢の「B」を、押すみたいに。
---
【後悔修正:実行】
---
音が、吸い込まれた。
街の喧騒が逆再生になる。
人の波が後ろへ引く。信号の点滅が巻き戻る。靄が、元の形になる前へ戻る。
次の瞬間、俺は「迷ったところ」に立っていた。
転倒した親子。
靄犬が、まだ走り出していない。
——今度は、迷うな。
「立て!」
自分の声が、驚くほど大きく響いた。
女性の腕を掴んで引き上げ、子どもを抱えて胸に固定する。
靄犬が走る。
真正面から来る。避けるだけじゃ追いつかれる。
脳の奥が勝手に計算する。距離、速度、障害物。
ゲームで何千回もやった「最短ライン取り」の感覚が、現実に滑り込んでくる。
俺は斜めに切った。信号柱の影へ潜り、柱を挟む形で靄犬の噛みつきを外す。
犬が柱に体当たりした一瞬、横断歩道の白線沿いに加速する。
「こっち!」
叫びながら、空いている隙間へ滑り込む。
角を曲がる時、肩から入る。抱えた子が泣き止まないのが分かる。でも止まれない。
渋谷駅、ハチ公口。シャッターが半分降りかけている。
警備員が「入れ! 早く!」と叫んでいた。人が押し込むように流れ、俺もその流れへ飛び込んだ。
背後で、靄犬が群衆に突っ込もうとする。
だが、駅の入り口——改札の向こうが、青白く光った。
光の膜。
空間の端が、波打っている。
靄犬が膜に触れた瞬間、弾かれたように後退した。
「ここは……入れない?」
俺が息を切らしながら呟くと、女性が震える声で答えた。
「ありがとう……本当に……」
その言葉の直後、俺の視界が一度、暗転した。
膝が抜ける。
胸が締まり、呼吸が浅くなる。
さっき「起こさなかった」ルートが、頭の中で消えない。
今は助かっている親子が、同じ場所で死んだ記憶だけが、鮮明に残っている。
——これが、代償か。
---
【救助点:+2】
【後悔蓄積:+1】
【状態:軽度の精神摩耗/睡眠障害の兆候】
---
救助点。
後悔蓄積。
どちらも、数字で出るのが最悪だった。
増えたのが分かる。減らせないのも分かる。
改札前の壁面モニターが、勝手に切り替わる。駅の広告が消え、黒地に白文字が浮かんだ。
---
【SYSTEM:東京都が封鎖されました】
【区ごとに異界化を確認】
【駅=階層ゲート】
【ゲート踏破により当該区域の安全度が上昇します】
【攻略タイムランキング:公開】
【ランキング報酬:スキル枠/特性/装備】
【※救助点が基準未満の場合、報酬は減額されます】
---
ざわめきが渦になる。
「封鎖って……出られないのか?」
「ランキング? 何だよそれ」
「報酬って、ゲームかよ……」
誰かが泣き出し、誰かが笑い、誰かがスマホを掲げて配信を始める。
混乱が混ざり合って、駅の空気が濁っていく。
その中で、俺だけが一点を見ていた。
改札の向こうに立つ「青白い膜」だ。
膜の上に、駅名の看板と同じフォントで文字が浮かぶ。
【渋谷駅 第一層ゲート】
——駅が、階層ゲート。
——踏破すれば、安全度が上がる。
つまり、ここで立ち止まれば、外の街は地獄のまま。
進めば、少なくとも“何か”が変わる。
だが俺は、今日もう一度リセットできない。
後悔修正は【1日1回】。今、使い切った。
ここから先の選択は、やり直せない。
喉が鳴る。
足元が冷える。
「……最短で抜ける」
自分でも意外なほど、言葉が出た。
現実で決められなかった俺が、今は決めないと誰かが死ぬ。
さっきの親子みたいに。
そして俺は、一生それを覚えてしまう。
なら、決断を速くするしかない。
迷いを削るしかない。
それが、俺にできる唯一の“攻略”だ。
「あなた」
背後から声がして、振り返った。
スマホを横向きに構えた女がいた。年は俺と同じか少し上。
首から下げた社員証みたいなものに、手書きで「記録」と書かれている。
「今、助けたよね。親子を。……置いていかなかった」
女は視線を逸らさず続ける。
「あなたの動き、速かった。あれは偶然じゃない。もし本当に“最短”で行くつもりなら、記録させて」
「記録?」
「攻略手順。誰でも真似できる形にする。そうすれば、救える人数が増える」
一拍置いて、女は言い足した。
「それと——速さに取り憑かれて、誰かを切り捨てそうになったら、私が止める。倫理担当ってやつ」
倫理担当。
この状況で、その役割を名乗るやつがいるのか。
俺は笑いそうになって、笑えなかった。
感情が、薄い。後悔蓄積のせいか。さっきから、心の温度が一段下がっている。
それでも、言葉だけは出た。
「……いい。条件がある」
「何?」
「俺を、迷わせるな。決断点に立たせるな。立ったら、すぐ切らせろ」
俺は改札の光を見たまま言う。
「迷った瞬間に、人は死ぬ。さっきみたいに」
女が小さく息を呑んで、頷いた。
「分かった。走ろう。救うルートで」
俺は一歩、ゲートへ近づく。
視界の端に、カウントダウンが浮かんだ。
【後悔修正:次回使用可能まで 23:59:42】
——今日の俺は、もう戻れない。
だからこそ。
「行くぞ」
青白い膜を、踏み抜いた。
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