第5話 女神に愛されし男

 俺はエレベーターが最上階に着くと、周りの迷惑など顧みず万が一のためにとエレベーターの開のボタンをコートから取り出したテープで固定してから降りた。

「さてと」

 一息入れて周りを見渡す。

 白の大理石の壁が輝く廊下が真っ直ぐに伸びた突き当たりは左右に分かれている。

 さて左右どっちに行ったと思っていると、右の方から何やら言い争う声が反響してきた。

「お前達、こんな遅くに何の用だ」

 鋭い凛とした声は桜のものに間違いない。

「桜お嬢様、お父様も心配なさっています。お戻り下さい」

「ふんっ。人形がいなくなって困っているだけだろ。私は帰らない」

「我が儘を言われては困ります」

「帰らない言ったら帰りません」

 あのお嬢様家出娘だったのかよ。俺は指を掛ける凹みすらない鋼鉄の絶壁に見えた桜に取っ掛かり見えてきた気がした。

 足音を忍ばせ曲がり角まで来てそっと覗き見ると、どうやら部屋の前の廊下で押し問答をしているようだ。

「仕方ないですね。それでは力尽くになりますが」

「ふんっ。お前達に出来るのか」

 屈強な男達を前に桜は恐れるどころか小馬鹿にした様子すら伺える。

 相手は粋がったところで小娘一人、だが屈強なはずの黒服達は腫れ物に触るように腰が引けているのが見て取れる。それはお嬢様が相手だからと言うより、猛獣を相手にしているような恐怖が男達から滲み出ているのを感じる。

 そんな及び腰の黒服達を押しのけて、ぎらついた野獣のような男が桜の方に一歩前に出ていく。

 あの男がリーダー格か。俺はキーパーソンになるかも知れない男の観察を始める。

「だから俺がいるんだよ」

 男は20代前半くらいで、精悍に刈り上げた髪型にTシャツの上から袖のない革ジャンを羽織り、しなやかに筋肉で盛り上がった上半身を見せつけてた。ご多分に漏れず、下半身もダメージジーンズが大腿筋のままに盛り上がっている。筋肉を見せつけるそのスタイルから、体に大分自信があるのが伺える。

 男は見せつけるように上等の革のブーツの踵で大理石の廊下の床を2~3度を叩くと、三白眼を細め満足そうに呟いた。

「いい音だ」

 男の余裕の態度に期待が膨らむ。ここで乱戦になってくれれば、自分の付け込めるチャンスがきっと生まれる。いわんや、桜が多少押されるようなことにでも成ってくれれば自分が加勢して借りを作れる。

 頼むから見かけ倒しで、あっさり倒されることだけは無しにしてくれと俺は男に祈った。

「俺の名は叩燬 烈。名ぐらい聞いたことあるだろ」

「申し訳ないけど私は小者の名をいちいち覚えているほど暇じゃないわ」

 胸を張り自信満々にの名乗る叩燬を桜は鼻っぱしを叩き折るように一笑した。

 ギリッ、叩燬は歯軋りが聞こえてきそうなほどに頬の筋肉を浮き上がらせている。

 しかし、あの女つくづくいい根性してやがる。一見おしとやかな大和撫子風でいて気が強い強い。自分のことなど棚に上げて感心する。

「確かにあんたは本家でも100年に一人の逸材と呼ばれているが、その高慢さが命取りだな」

 叩燬はまるでヤクザかヤンキーか桜にメンチを切った。そのメンチを切った馬鹿面に俺の叩燬に対する期待が萎んでいくのを感じてしょうがない。

「何が言いたいの?」

 桜は片眉を吊り上げて威嚇するような小馬鹿にするような顔で尋ねた。

「俺は旋律士の中でも一二を誇る早さを誇る。それにお前の嚇灼の弦はこの狭い空間では存分に奮えまい」

 確かに旋律を奏でている間は無防備そうであったし、叩燬が言ったようにこの狭い空間ではあの流れるような弦も十分に広げられないように見える。

 状況的に桜が不利だと分析した。これで叩燬の頭の悪さは相殺できるのでと再び期待が膨らみ出す。

 フッと笑った桜が、鍛え上げられた日本刀より鋭い眼光で、叩燬の得意満面のツラなど切り捨てるように睨みつけた。こっちはまるでヤクザの姉御だよ。

「それがどうした、三下」

「なめるな、この糞アマ。炎のタップダンサー叩燬の旋律をお前に刻み込んでやる。

 青春の跫音」

 ブチ切れた叩燬は一旦大きく間合いを取って、タップダンスを刻み始めた。

 タラッタラッタタッタ、軽快なリズムが廊下に響く。

 それはダンスに興味のない俺から見ても見事でブロードウェイでも通用しそうな出来映えだった。戦いにタップダンスがどう関係してくるのか皆目検討が付かないが評論家よろしく唸った。

 タップの音は、若いエネルギーが滾り駆け出す若者の跫音を表現していく。

 対する桜もいつの間にかその指に装着していた弦を振りかざそうとした。だが逃げ腰だった黒服達が旋律をさせまいと、その手に展開されていた三段警棒で容赦なく桜に殴り掛かる。

 お前らが使えるお嬢様ではないのかと思わないでもないが、俺の心配など杞憂とばかりに、ひらりと桜は黒服達を闘牛士の軽やかさで捌いていく。

 明らかに黒服達とは格が違う。だが黒服達はそれで十分役割を果たしている。流石の桜もこの狭い空間では黒服達の攻撃を躱すのが精一杯のようで旋律が奏でられていない。

「ヘイッ」

 ピタッと足を止め、ニヤッと獰猛な笑みを浮かべた叩燬のブーツから紅蓮の炎が燃え上がった。

 あいつも旋律士とかいう奴なのか!!!

 衝撃が走った。ユガミを発見したかと思えば、もうそこからはジェットコースターで落下するが如くノンストップで未知の世界が表れる興奮に脳がトリップしそうだ。

 来た来た来たーーっ。やはり俺は女神に愛されている。

 まずい。興奮し過ぎて心臓がマシンガンのように鼓動し、このままだと脳の血管が切れそうだ。

 深呼吸をし必死に落ち着けと自分に言い聞かせる。

 幾ら女神が微笑んでくれたって掴み取る事が出来なければ、それはすなわち無能だ。

 能力があっても運が無く芽が出ない奴もいる、運があっても能力が無くて潰れていく奴がいる。

 俺は?

 もちろん、運も実力も兼ね備えたウィナー、いや科学者という人類最高峰の称号すら持つ男。

 不利な方に加勢するのが恩を売るセオリー、胸に手を当てて鼓動を押さえつつ戦況を再び冷静に観察する。


「へっへ連れて帰りゃ~いいんだろ、帰りゃ。だったら多少ぼろぼろになっても許容範囲外だよな」

 虎の如く舌嘗めづりしつつ叩燬は炎を纏った足で一歩前に踏み出る。どういう原理か大理石の床には焦げ目一つ付いていなかった。

「私が知るか。そもそも、お前に出来るのか」

 状況は圧倒的に不利、なのに桜はその顔に冷笑さえ浮かべ叩燬を見下し煽る。

 その強気な自信はどこから来るのか分からないが、本当に桜の方が圧倒的に有利なように感じてしまう。

「顔を潰して、二度と人前に出られなくしてやるよ」

 後期は足からジェット噴射でもしているように飛んで一歩で間合いに入り込み回し蹴りを放つ。

 轟音響き叩燬の蹴りが壁を砕いていた。

 恐ろしい破壊力とスピードを兼ね備えた蹴りだったが桜は体を捻り躱していた。

 どうでもいいが、あんな蹴り喰らったら顔が潰れるどころか頭部が破裂して即死だぞ。連れ戻すとか言っていたのに、それじゃあまずいんじゃないか?

 俺は叩燬を猪馬鹿と認識を改める。

 あんな奴と交渉が出来るのか?

 そもそもあいつに人間の言葉通じるのか?

 などと本人が聞いたら怒り心頭間違い無しのことを検討していく。

「どこを狙っている」

「るせえ」

 叩燬はプロペラの羽のように、途切れることなく左右の回し蹴りを繰り出す。桜も躱すことは躱すが、先程までの余裕はなさそうだった。桜は僅かに顔を強張らせ無駄口を叩かなくなった。

 これ以上傍観しては運を逃がすな。

 状況は桜の方がやや不利そうだ。セオリーなら桜に加勢するのだが、あの恐ろしく気高い少女がそんなことで恩を感じてくれるだろうか? 

 だがそんな問題以前に、あの真理を具現化したような少女を潰すなど許せるのか? いや許せない。

 そんなの人類の、科学の、何より真理を探究する俺にとっての損失だ。怒りが沸き上がってきた俺の目に赤い物が入った。やはり俺は女神に愛されていると感じ決断をした。

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