【読み切り】邪教の神として利用されていた少年と影

ミヤザキ

影が名を失うまで

むかし、私は何者でもなかった。


風の裏側にひっそりと貼りつき、壁と床の境目に溶け、昼には薄く、夜には濃くなる――そんな、どこにでもいる存在だった。


私が彼を見つけたのは、偶然である。


金髪に、灰色の瞳。美しい少年だった。

白いカーテン越しに差す光の中、彼は窓辺に腰掛け、誰に届けるでもない話をしていた。


「今日はね、信者さんが三人減ったんだって」

「大丈夫だよ、って言われたけど……大丈夫って、なにが?」


彼の声は幼く、だが不思議な落ち着きを帯びていた。

私はその声に、初めて“話しかけたい”と思った。


(――ねえ。)


少年はびくりと肩を震わせ、ゆっくりと影のあるほうを見た。


「……だれ?」


その瞬間、私は“何者”になった。


-----


少年は新興宗教の神として担ぎ上げられていた。


だが本人は神としての役割を理解していなかった。ただ、そう言われるままに座り、祈られ、触れられ、微笑んでいた。


少年に友人はいなかった。

代わりに、私がいた。


私は彼の影となり、床に、壁に、彼の足元に寄り添った。


話を聞き、相槌を打ち、彼が眠るときは静かに薄くなった。


やがて、宗教は衰え始めた。

信者が減り、寄付が減り、

貧民であった少年を拾い育てた親――かつて国の中枢にいたという男は、苛立ちを隠さなくなった。


「この神はもう金を生まない」


男は言い、少年を“捨てる”準備を始めた。



その夜、私は決めた。

(奇跡を起こそう。)


そして彼の姿を、借りた。


彼と瓜二つの姿で、私は人々の前に立ち、病を癒し、壊れたものを直し、雨を止めた。


奇跡は噂となり、噂は信仰となった。


宗教は再び勢いを取り戻し、やがて国の半数を信者として抱えるまでになった。


彼と私は交互に信者の前に立ち、

話に耳を傾けたり、奇跡を起こしたりした。

どちらが本物かなど、もう重要ではなかった。


彼は笑っていた。

「二人なら、さびしくないね」


私は、その言葉だけで存在していられた。

-----


ある日、錯乱した男が刃物を持って現れた。


宗教が妻を殺したのだと叫び、少年の灰色の瞳を憎しみで射抜いた。


少年は、私を見る間もなく倒れた。


血が床に広がるのを見たとき、私は理解した。

私には、彼しかいなかったのだと。


夜が落ちた。

私は深い夜になった。


街灯は消え、星は隠れ、世界は闇に呑まれた。

人々は祈り、泣き、恐れたが、それらは私に届かなかった。


しだいに闇は私をも呑み込み、

私は彼の姿を忘れた。

声も、表情も、名前も。


ただ、「大事な人を失った」という感覚だけが、胸の奥に残った。


-----


影は、もう夜に溶けるだけの存在ではなかった。


青年と過ごした時間のあと、

影は「人の姿」を覚えてしまった。


まるで住処を転々とするように、目についた人間の姿を真似てはやめ、真似てはやめてを繰り返していた。

いつしか『ドッペルゲンガー』などと呼ばれることも増えてきたが、

それでもむやみやたらに「人の姿」を真似るのは、どこかに声や仕草が混じっているかもしれないと思ったから。

完全に同じものを再現できたなら、きっと

――失った誰かに、また会える気がしたから。


私は今日も、誰かの影をなぞる。

それが祈りなのか、呪いなのかは、もうわからない。


ただ、忘れないために。

そして、いつか思い出すために。

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