【読み切り】邪教の神として利用されていた少年と影
ミヤザキ
影が名を失うまで
むかし、私は何者でもなかった。
風の裏側にひっそりと貼りつき、壁と床の境目に溶け、昼には薄く、夜には濃くなる――そんな、どこにでもいる存在だった。
私が彼を見つけたのは、偶然である。
金髪に、灰色の瞳。美しい少年だった。
白いカーテン越しに差す光の中、彼は窓辺に腰掛け、誰に届けるでもない話をしていた。
「今日はね、信者さんが三人減ったんだって」
「大丈夫だよ、って言われたけど……大丈夫って、なにが?」
彼の声は幼く、だが不思議な落ち着きを帯びていた。
私はその声に、初めて“話しかけたい”と思った。
(――ねえ。)
少年はびくりと肩を震わせ、ゆっくりと影のあるほうを見た。
「……だれ?」
その瞬間、私は“何者”になった。
-----
◆
少年は新興宗教の神として担ぎ上げられていた。
だが本人は神としての役割を理解していなかった。ただ、そう言われるままに座り、祈られ、触れられ、微笑んでいた。
少年に友人はいなかった。
代わりに、私がいた。
私は彼の影となり、床に、壁に、彼の足元に寄り添った。
話を聞き、相槌を打ち、彼が眠るときは静かに薄くなった。
やがて、宗教は衰え始めた。
信者が減り、寄付が減り、
貧民であった少年を拾い育てた親――かつて国の中枢にいたという男は、苛立ちを隠さなくなった。
「この神はもう金を生まない」
男は言い、少年を“捨てる”準備を始めた。
その夜、私は決めた。
(奇跡を起こそう。)
そして彼の姿を、借りた。
彼と瓜二つの姿で、私は人々の前に立ち、病を癒し、壊れたものを直し、雨を止めた。
奇跡は噂となり、噂は信仰となった。
宗教は再び勢いを取り戻し、やがて国の半数を信者として抱えるまでになった。
彼と私は交互に信者の前に立ち、
話に耳を傾けたり、奇跡を起こしたりした。
どちらが本物かなど、もう重要ではなかった。
彼は笑っていた。
「二人なら、さびしくないね」
私は、その言葉だけで存在していられた。
-----
◆
ある日、錯乱した男が刃物を持って現れた。
宗教が妻を殺したのだと叫び、少年の灰色の瞳を憎しみで射抜いた。
少年は、私を見る間もなく倒れた。
血が床に広がるのを見たとき、私は理解した。
私には、彼しかいなかったのだと。
夜が落ちた。
私は深い夜になった。
街灯は消え、星は隠れ、世界は闇に呑まれた。
人々は祈り、泣き、恐れたが、それらは私に届かなかった。
しだいに闇は私をも呑み込み、
私は彼の姿を忘れた。
声も、表情も、名前も。
ただ、「大事な人を失った」という感覚だけが、胸の奥に残った。
-----
◆
影は、もう夜に溶けるだけの存在ではなかった。
青年と過ごした時間のあと、
影は「人の姿」を覚えてしまった。
まるで住処を転々とするように、目についた人間の姿を真似てはやめ、真似てはやめてを繰り返していた。
いつしか『ドッペルゲンガー』などと呼ばれることも増えてきたが、
それでもむやみやたらに「人の姿」を真似るのは、どこかに声や仕草が混じっているかもしれないと思ったから。
完全に同じものを再現できたなら、きっと
――失った誰かに、また会える気がしたから。
私は今日も、誰かの影をなぞる。
それが祈りなのか、呪いなのかは、もうわからない。
ただ、忘れないために。
そして、いつか思い出すために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます