杖と猟犬
ましろ
Dead Dad Dream: 1
俺は今、取り返しのつかない事をしているのかもしれない。静かに燃える書類の束を眺めながら、どこか他人事のようにぼんやりとそんな事を考えていた。放った小さな火が、びっしりと文字の書かれた白い紙を黒い灰へと変えていく。これで良いのだろう。いや、これが最善であるに違いない。置いていた杖を再び手に持って構える。杖先から巻き起こった風が、燃え尽きた書類を春の晴天の中へと消し飛ばした。
今では誰も近寄ろうとすらしない、街の外れにある廃墟。革新的な商業施設を夢見て竣工を迎えたが五年と経たずにこの有様だ。中途半端に取り壊された最上階からは澄んだ青空がよく見える。
誰が得をするのか、この廃墟には良からぬ逸話が多い。浮浪者が屯しているだの、チンピラが根城にしているだの。果ては、それらは地下にあるマフィアのアジトを隠す為のカバーストーリーだ、なんて噂さえ出る始末だ。馬鹿馬鹿しい。一等地に公然とオフィスを構えている連中が、そんな非効率で非確実な手段を取る筈ないだろうに。
誰にも必要とされなくなった空間は、居場所のない人間にこそ必要とされるのだろう。そう思えば、一番得をしているのは俺なのかもしれない。
ふと背後に違和感を覚えて振り返ると、先ほどまでは何もなかった空間に見慣れぬモノが出現していた。地面と平行に浮かぶ光の輪。魔法文字で構成されたそれは人が一人通れるくらいの大きさで、俺の背丈よりも少し上の位置に停滞している。その光輪が一際強く光ったかと思えば、中から一人の女性が現れた。
地面に降り立った女性は素早く周囲を見渡し、俺を認識すると同時にベルトから銀色の杖を抜いて構えた。呪文を唱えていないのに杖先から赤い閃光が迸る。彼女が放った魔法は正確に俺の杖を捉え、部屋の端まで弾き飛ばした。
息つく暇もなく目の前の女性は杖を俺の胸の真ん中へと向けた。やはり呪文もなしに、今度は薄紫の光が杖先に集まっていく。
深緑のロングスカートを纏い、ベージュのブラウスの襟元には濃緑のリボン。黒に近い茶色の髪は長く、艶やかだった。そしてその大きな眼で、射殺さんばかりに俺を睨んでいる。
綺麗な人だと思った。
散らかった思考が互いに打ち消し合う。絶体絶命の瞬間に違いないのに、取るべき行動が定まらない。体は全霊で逃げろと叫んでいるのに、頭がそれを受け入れてくれない。呆然と立ち尽くす俺に、彼女は感情を殺した声で言った。
「誰の差し金?」
その声は思ったよりも低かった。
「差し金……?」
回らない頭で必死に正解を探すが、そもそも心当たりがない質問には答えようがない。
「惚けないで。キミは誰の指示でココに来たの?それだけ言えば悪いようにはしないって約束してあげる」
杖を構えたまま彼女が一歩近づいた。何か行動を起こさないと確実に死ぬ。その恐怖心が、俺の散らかり切った思考を無理矢理統制した。
「だ、誰かに言われて来たんじゃありません。一人になりたい時に……」
辛うじて搾り出した精一杯の弁明。俺は両手を顔の高さにまで挙げ、同時に固く目を閉じた。崩れた床には後ずさるほどの猶予はないし、俺にはこの状況を打破する余裕もない。最後に心に浮かんだのは惨めだな、という己の人生の総評とも言える自嘲だった。
しかし、待てども待てども運命の瞬間は一向に訪れない。恐る恐る目を開けると、目が合った彼女は杖先をわずかに逸らし、そして困ったように頬を掻いた。
「ひょっとして、偶然ココに居合わせただけ……?」
様子を伺いつつ、小刻みに何度か頷いた。すると彼女の大きな目はさらに大きく見開き、白い肌は一層白くなった。
「ゴメン!怪我してない?」
彼女は俺に駆け寄り、手を取って甲を優しく撫でてくれた。
綺麗で、優しい人だと思った。
廃ビルの床に二人並んで座る。俺が落ち着くのを待って、彼女は自身の身に起こった事を掻い摘んで説明してくれた。
名前をエル・アシュクロフトと言い、スワンストンで活動している民間の魔法使いなのだそうだ。今回は珍しく活動圏外であるグレンフェリー県警からの協力要請があり、県警が送ってきた転移の魔道具でこちらにやって来たのだという。ところが、到着地点が明らかに聞かされていた場所ではない。最悪のケースを想定した彼女は不運にもその場に遭遇してしまった俺の武装解除を試みた、という事らしい。
「……で、ここはどこなのかな?」
アシュクロフトさんが立ち上がり、周囲をぐるっと見渡した。
「グレンフェリーのブラックバーン・シティです」
「あ、良かった。私ね、ブラックバーンに来たかったんだ」
彼女がほっと胸を撫で下ろす。少しだけ嫌な予感がするが、俺の憂慮など露知らず。アシュクロフトさんは帰り支度、もとい行き支度を始めていた。
「そうだ。すごく身勝手なのは重々承知なんだけど、さっきのコト、警察には黙っておいてくれないかな?」
「良いですよ」
「二つ返事なんだ」
それは悪事を暗に咎めるような含みのある言い方だった。
「まぁ、俺だって不法侵入を怒られたくないので」
勿論、俺だって彼女を慮って口裏を合わせる程出来た人間ではない。
「それもそっか。じゃあ、キミと私は秘密の共犯者だね」
イタズラっぽく微笑んだ彼女は廃墟の出口へ向かって颯爽と歩き出した。そういえば、彼女は想定外の地点に到着してしまったと言っていた。警察と連絡もつかず土地勘もない中、どうやって目的地に辿り着くつもりなのだろう。
などと考えていると、徐に足を止めた彼女が躊躇いがちにこちらを振り返った。
「……それと、お願いついでにもう一つ聞いても良い?ロンバードさんのお家ってどこにあるか知らない?結構有名な人なんだけど……」
道すがら、数学の授業中に教師が話した余談をふと思い出した。大地を上空から俯瞰し、それを座標平面であると見做すと一日の移動を全てベクトルとして表すことができると。何処に行こうと何をしようと、一日の終わりに家に帰る以上、その日の移動量はベクトル的にはゼロなのだと。真意はよく分からなかったが、教師のしたり顔は今でも記憶に残っている。
時折雑談を交えつつ、並んで街中を歩く。商業区画にある廃ビルを発ち、オフィス街を抜け、閑静な住宅街に差し掛かった。急がなくて良いかとエルさんに聞いたが、彼女の言い分としては「迎えに来ない向こうが悪い」との事だった。
結局二人で三十分以上歩くことになった。昨日までは野次馬も多かったと聞くが、ロンバード邸の周辺は普段と変わらず静かなままだった。
「事件現場はこの先です。もう少し行ったら開いてる門の前に警官が何人か立ってるので間違える事はないと思います」
「道案内まで頼んじゃって悪いね。じゃ、また」
俺に別れを告げ、エルさんは急ぎ足でロンバード邸へと向かう。が、すぐに立ち止まり、小走りでこちらに戻って来た。
「事件を解決したら、改めて話を聞いてあげるよ。一人になりたいってことはさ、何か抱えてるんでしょ?その時はコーヒーでも飲みながらゆっくり、ね」
門前には周辺を警護している警官の他にもう一人、男が立っていた。彼はダークスーツの上からベージュのスプリングコートを羽織り、その整えられた茶髪は整髪料で丁寧に撫で付けられている。年若い刑事はエルさんと短い会話を交わすと、コートの襟を正してから慇懃に右手を差し出した。
「ようこそおいで下さいました。貴女にご協力を要請したグレンフェリー県警の警視、コリン・グッドマンです」
「『杖と猟犬』のエル・アシュクロフトです」
エルさんはにこやかに握手に応じた。
「まずはこちらの不手際によりご足労をお掛けした事について深くお詫びいたします。言い訳がましく聞こえてしまうかもしれませんが、朝から不測の事態への対応に追われておりまして。何卒、ご容赦いただきますよう」
「不測の事態、ですか?」
グッドマンは少し遅れてやって来た俺を一瞥した。
「実は…… 今朝からのウェスリー君の姿が見えなくなってしまいまして」
「ウェスリーくん、とは?」
「被害者の息子ですよ。本件の第一発見者であり、また被害者の唯一の家族でもあり。詰まるところ、本件の最重要参考人と言っても過言ではない人物です」
「彼との間に何かあったんですか?」
グッドマンはこれ見よがしに肩を竦めてみせる。
「それは私が知りたいくらいです。自室に篭っている事が多く、満足にコミュニケーションすら取れていなかったのが現状です。家族を亡くして大変なのは理解しますが、今は我々の指示に従ってもらわないと。もう全くの子供というわけでもないんですから、少しはこちらの事情も汲んで欲しいものですよ」
「それで?その子の行方はハッキリしたんですか?」
「ええ、お陰様で」
グッドマンが勿体ぶった様子で俺の方へと向き直った。
「束の間の逃避行は堪能できましたか?」
「……お陰様で」
「勝手な行動は以後謹むように」
「移動中ではありますが、本件について簡単にご説明させていただきましょう」
エントランスへと延びる細いレンガ道を歩きながらグッドマンが話し始めた。
「事件の発生は一昨日の十三時三十分前後だと聞いています。被害者はこの屋敷の主人であるラルフ・ロンバード氏。八十一歳。嘗ては魔術の研究者として名を馳せていましたが、現在は隠居しており養子のウェスリー君と二人暮らしでした。一昨日の午後、そのウェスリーくんから通報があり、訪れた警官が彼と一緒に書斎で倒れているロンバード氏を発見。その場で死亡が確認されました。また、証言によればウェスリー君は魔法陣が作動した場合には警察に通報するようロンバード氏から言い聞かされており、その指示に従ったようです」
エルさんがチラリとこちらを見た。
「以前泥棒が入った時に不招の魔法陣が作動したことがあって。その時に聞いた警報と同じ音が鳴ったら真っ先に警察に通報するよう親父…… 父から強く言い聞かされていたので」
「泥棒?」
グッドマンが横から事件の補足を入れる。
「一年ほど前、この近辺で複数の窃盗事件が発生しました。全て同一犯によるもので、運悪く居合わせた住人の一人がナイフで殺害される事態にもなっています」
「犯人は捕まったんです?」
「無論。現在は服役中です。名前は…… そうでした、ニック・ルピノという。ホームレスの男です」
当時の事はよく覚えている。親父の体調不良を理由に俺が実況見聞に立ち会う事になり、結局それに丸一日費やす羽目になったのだ。警察の撤収後、帰って来た親父から新たな魔法陣の導入を聞かされた。病院に行くというのは方便だったのだ。エルさんは「無事で良かったね」と俺の身を案じてくれたものの、その柔和な表情はすぐに影を潜めグッドマンに訝しげな視線を向けた。
「ですが、魔法陣が作動しているのなら私は不要では?侵入者の情報が残っている筈でしょう」
普通、事件現場で魔法陣が作動したと聞けば不招の魔法陣を真っ先に思い浮かべるものだ。会社や契約内容にもよるが基本的な機能として転移魔法を含む不正な侵入や退出を検出したり、侵入者の外見を記録したりする事ができる。そして殆どの会社が「万が一の事態には契約会社の警備員が即時対応する」と謳い、現代においてはほぼ必須の防犯設備だと言えるだろう。尤も、ウチが泥棒被害に遭った時は全てが終わってから慰労の手紙を寄越すだけだったが。
「今回作動した魔法陣は制圧の魔法陣なのです」
「……個人宅での導入は珍しいですね」
「説明の必要はありませんか?」
「えぇ。不慮の魔法事故、例えば魔法の暴走や暴発などに応じて作動し内部の魔法的動作を全て強制的に停止させる、強力な魔法陣ですね」
「いかにも。そして今回作動したのは間違いなく制圧の魔法陣のみでした」
「……不招の魔法陣に障害が起きていた訳ではなく?」
「問題なく機能していました」
エルさんは尚も質問を重ね、些細な可能性や、その見落としによる認識の齟齬を潰していった。
「では、招かれざる人物の来訪や侵入はなかったと?」
「そうなりますね」
「転移魔法を用いて外部から遺体を運び込んだ可能性も極めて低い?」
「そう考えていただいて構いません」
エルさんは不意に足を止め、窓の外に目を向けた。外には親父が凝りに凝った自慢の前庭が広がっている。彼女はそのまま何をするでもなく、しばらく庭園をじっと見つめていた。
「では、その二つの魔法陣が同時に作動すればどうなるでしょう?制圧の魔法陣によって不招の魔法陣の機能が阻害され、結果として犯人の出入りを検知出来なかったという可能性はありませんか?」
エルさんが何の前兆もなくグッドマンに向き直る。
「鋭いご指摘ですが、実際には起こり得ない挙動だそうです。不招の魔法陣の提供元に話を聞いたところ、そもそも不招の魔法陣がその機能を停止した場合、その事を検出して警備員を派遣させるそうです。またロンバード邸に関して言えば、二つの魔法陣が干渉しないよう予め調整済みだそうです。『一切の魔法をシャットアウトする部屋』というものには意外と需要があるそうで、そういった相談を受けることも少なくないのだとか」
グッドマンの説明を受けたエルさんは窓の方に向き直り、再び押し黙ってしまった。五分くらい、いやもっとだろうか。
「話は変わりますが、邸宅内からお庭の隅々に至るまで手入れが行き届いている印象を受けますね。恥ずかしながらウチの事務所とは大違いです。ウチの方がずっと小さい筈なんですけどね」
「内部犯を疑っておられますか?」
グッドマンが素早く切り返す。エルさんは答える前に伺うように俺の顔を見た。
「……有体に言えばそうですね。外部からの侵入の可能性が希薄な以上、そう考えるのが妥当かと」
「残念ながら、それもまた違うようです」
グッドマンが前方へ視線を送る。視線の先、廊下の角を曲がって現れたのは我が家に仕える魔導機械の一体だった。
「ゴーレム?それも、見た感じ結構昔の」
人型だが脚はなく、下半身が釣鐘型になっている。稼働中は常に十センチ程度浮いており、その高さも含めても身長は百二十センチ程度。表情は変わらないが、その動きにどこか愛嬌を感じるのは身内贔屓ではない筈だ。外装のカラーリングも相まって、見ようによっては創作に出てくるメイドのように見えなくもない。
「俺がこの家に引き取られる前からいる機体です」
「この家にいるゴーレムはこの子だけ?」
すれ違いざまにエルさんがゴーレムの頭を撫でる。ゴーレムは照れたような動きを見せた後、彼女に向かってペコリとお辞儀をしてから去っていった。
「全部で三体います。昔からいるのが二体と、一年前に父が新しく買ったのが一体」
親父が新しいゴーレムを買って来たのも窃盗事件があってすぐだった。二体では家事が回らないなんてこともない。寧ろ手際が良すぎるあまり、手持ち無沙汰になって隅で項垂れているのを偶に見かけるくらいなのに。
「じゃあ、家事は基本的にその子たちが?」
「そうです。古い二体が家事全般をやって、新入りが主に金銭管理を」
それを聞いたエルさんは感心したように一人頷いた。
「流石は操機魔術の大家、ラルフ・ロンバードの使役するゴーレムだね」
「……親父のこと、知ってるんですね」
「知ってるってほどじゃないよ。来る前に少し調べさせてもらった」
そう言ってエルさんはポケットから緑色の手帳を取り出した。
「ラルフ・ロンバード。先の大戦時に遺体の保全を助ける魔法を開発した功績で勲章を授与されている。その魔法は嫌気性細菌の代謝や酵素による自己消化を極端に抑制し、遺体の超長期保全を可能にする。『死者の時を止める』とすら評されるその魔法で果たした医療界への貢献は計り知れないほどの大人物だけど、本来の専門分野はゴーレムを始めとする非生命体の操作魔術だった。だよね?」
「俺もそこまで詳しくは知らないんですが……」
「その通りです。補足するとすれば、将来を嘱望された若き天才は、勲章を下賜された途端に学会から姿を消しました。引退後は獲得したライセンス料を基に財団を設立。以後、財団を通じて親を亡くした子どもの就学支援を行っていたようです」
グッドマンが強引に話を打ち切った。
「閑話休題。こちらが事件現場です」
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