ヒツジみぃとC.C.の冒険 その2

愛崎 朱憂

第一話 だいいちわなのだ

※本作はフィクションです。登場する人物・団体・出来事は架空であり、実在のものとは関係ありません。

※作中に登場する商品名・サービス名は、各社の商標または登録商標です。



 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス。

 この世界最大級の都市に、世界最大の私立総合病院がある。


 開業は二〇三五年一月十五日。

 建設資金の出所は、Dr.C.C.(どくたーしーしー)という生命体が有する莫大な財力だとされている。

 但し、この病院が『当時として類を見ない画期的な医療機関』だった理由は金の規模ではない。

 金は都市を造れるが、未来の技術は買えない。普通は。


 ここには、開業時点で既に『全自動外科手術ロボット』が導入されていた。

 史上最高の名医とも称されるDr.C.C.本人の手技と医術を機械が再現するための装置。

 後に標準機として普及するHM-7(Human Medical No.7)の原型。

──初号機HM-1である。

 全自動外科手術ロボットという発想そのものが、当時は時代を飛び越えていた。

 実現には千年かかると言われ、開発を本気で志す研究機関すら存在していなかった。

 にも関わらず、HM-1は存在していた。


 完成度も異常だった。

 外科医の熟練の動きをただ模倣するのではない。

 最適化し、再現し、そして反復できる。

 世界中の外科医が、比喩ではなく『職能の定義』を揺さぶられた。

 資格を剥奪されたように感じた者が出ても不思議ではない程度には。


 そして、技術の跳躍はロボット本体だけでは終わらない。

 それを支えるプログラムが同じだけ時代を飛び越えていた。

 設計と実装を担ったのは、Dr.C.C.の娘。

 今では『歴史上最高の天才』、或いは『ラプラスの悪魔』とも呼ばれる──あめちゃんである。


 この二人の功績により、事故死と病死の年間死亡者数は年々減少していった。

 それは福音だったはずだ。

 だが福音は──別の問題を連れてくる。


 かつては、地球温暖化や少子化が世界的課題だったらしい。

 現代の『超寿命問題』に比べれば──誤解を恐れずに言えば、些末に見える。

 超寿命問題とは、人の命の尊さと平等さという理念を抱えたまま、食料と資源の有限性に突き当たる生命のジレンマだ。


──今回の取材で扱うのは、その種の小難しい論争ではない。


 私の目的は、この世界最大の総合病院の設立者、Dr.C.C.本人への取材である。

 彼は今、現役を退いているらしい。

 そこで私は、現在の院長であるDr.トーマス・デヴィッド・ギャラガー氏に先ずアポイントメントを取っていた。


 昼の光が巨大な吹き抜けのロビーに落ちていた。

 ガラスの天井から降りる光は白いというより無菌の色をしている。

 床は磨かれた石で、足元の影が輪郭を失い薄く伸びていく。

 人が流れているのに、ぶつかる音がしない。

 スーツケースの車輪も靴底も、どこかで吸い込まれている。

 雑音が少ないのではない。呼吸が無駄無く回っている。


──病院。そう呼ぶには、あまりに「都市」だった。


 正面に長いエスカレータ。左右に受付。

 案内表示は遠目にも読める大きさで、文字の縁取りが過剰に親切だ。

 受付の背後にある壁面は白ではなく『白に見える素材』で光を柔らかく散らしている。

 視界のどこにも影が溜まらない。


 制服の女性が八人、同じ角度で立っていた。

 肩の線、手の重ね方、顎の高さまで揃っている。

 布地は薄いのに皺が無く、身体の動きだけを綺麗に通す。

 表情も同じだ。口角を上げ過ぎず、眉間に力を入れ過ぎない。

 人間の表情筋をマニュアルで支配出来るのかと錯覚する。


 私はその内の一人、視線の温度が柔らかい女性に声を掛けた。

「取材の者です。Dr.トーマス・デヴィッド・ギャラガーさんと面会の予約があります」

 名乗って社名を伝える。

 彼女は私のIDを求めなかった。

 カードも署名も無い。確認作業に入る前の『間』が無い。

 言葉が着地する前に、もう次の動作が始まっている。

「承っております。こちらへ」


 当然のように歩き出す。

 ヒールが床に触れるはずなのに音が丸くなる。

 「予約がある」という言葉が、この場所では身分証明と同義らしい。

 背中に問いかける。

「……今日、私が来ることはご存じだったんですか?」

 彼女は振り返らずに答えた。

「ええ。丁重にご案内するように、と」

 疑う余地の無い『決定』が、その一文に混ざっていた。

 私が来ることは、起きた出来事ではなく最初から予定だった。

 そんな言い方だった。

 エレベータの前で、彼女は漸く名札に指を添えた。

 隠すためではない。

 正しく提示するための所作に見える。

 指先の動きまで丁寧でこちらの視線の置き場を決めてくる。


 PATTY


 ドアが開き、乗り込む。


 金属の箱に入ったのに圧迫感が無い。

 照明が明る過ぎず暗過ぎず、鏡面の壁が奥行きを錯覚させる。

 ボタンは使用頻度が高いはずなのに、指紋の曇りが無い。

 その瞬間、滑り込むようにもう一人が入って来た。

──少年だった。

「ごめんなさい、急いでて……」

 髪が少し乱れている。

 息は上がっていないのに動きだけが急いでいる。

 身体が焦っていて、呼吸が追い付いていない。

 いや、逆だ。

 普通は呼吸が乱れて、身体が遅れるのに。


 パティが声を弾ませた。

「あら、ジョージ?」

 少年。

 ジョージが顔を上げ、ぱっと表情を明るくする。

 その笑顔は作っているのではなく、条件反射に近い。

 安心出来る人の前で、顔が勝手にそうなる。

「……あっ、パティさん」

 叱るでもなく、心配するでもなく、パティは息を吸うように言った。

「走ったりして。心臓は大丈夫なの?」

 言い方は柔らかいのに目は外さない。

 笑顔のまま瞳孔だけが仕事をしている。

 ジョージは一瞬だけ目を伏せ、それから軽く肩を竦めた。

「うん。来週、手術だし……今は大丈夫だよ」

 パティは笑って頷いた。

 けれど視線だけは外さなかった。

「そう。良かった。でも気を付けないといけないわ。あなたの病気は、昔ならとても危険だったんだから」

「はーい」

 ジョージが小さくしょんぼりした、丁度その時──十八階到着のチャイムが鳴った。

 音が短く、角が無い。

 優しい音で、冷たい場所があることが余計に際立つ。

「じゃあね」

 パティは今までの態度をがらりと変えて、ジョージに小さく手を振った。

 その動作に、二人の仲の良さが窺える。

 私たちはジョージを残し、エレベータを降りる。


 廊下の絨毯が足音を吸う。

 静か過ぎて、ここだけ現実感が薄い。

 空気の温度も湿度も、誰かが決めた数値を守っている。

 歩きながら私は何気無く聞いた。

「今の子は……?」

 パティは立ち止まった。

 目線は廊下の奥、扉の一点に固定されたまま声だけが後ろへ落ちる。

「……ごめんなさい。私の口からは言えません。もしお聞きになりたければ、ギャラガーさんに」

 言い終えた瞬間、彼女の表情筋が元に戻る。

 ほんの僅か、頬の力が抜ける。


 拒否した罪悪感ではない。

 規則を守った、という安堵だ。

 ここでは守るべきモノが人より先にある。

 扉の前で止まる。

 ノックすると、低く厳格な声が返る。

「……どうぞ」

 そうだ。ここは病院だ。

 救える命を救うための場所で、救えない命が少ないことが価値になる場所。

 私は息を整え、扉を開けた。

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