第9話 燃やして。
私はぼんやりと海辺を歩く。フワフワと、浮き輪もついてないのに浮いているような感覚。朝ごはん、食べてないな。お腹すいたな。でも、きっと食べられない気分。
海は好きだ。私がモブになれるから。
「少しどよんだ、雨の降りそうな空だなぁ」
本当は知っていた、私はある意味ではモブだ。価値のない人間という意味では十分モブだ、カスだ、無能だ、生ゴミだ。
けれど、害があるという意味でなら、目立ってしまう人間だ。
人より劣っていて足を引っ張り、空気も読めず、愛想すらなく可愛くもない。多少絵と文章ができても、定期収入にはならない。結局賑やかし程度の能力。ガチ勢と言われる人には笑われ、エンジョイ勢というには切羽詰まりすぎて馴染めない。
楽しんではない、正直、しんどい。ピリピリしているし、むしろガチ勢の方が楽しいんだろうなとさえ思う。
海辺の砂を蹴る。その虚しさはまるで生きてる感覚に似てるな、と思う。それでも前に進むしかなくて、後ろばかり見ても何も変わらないことぐらいは、頭ではわかってる。そこまで子供じゃない。だけど割り切れるほど成熟していない。だって私は馬鹿だから。
苦しい、と思い海の中に入る。スニーカーが海の水に浸かり、冷たい。スニーカーの中に水が籠り、気持ち悪い、まるでスニーカーの中の足が溺れているようで、もよもにょする。その変な感覚のまま、前に進む。ずっと、私は今までそんな感じだった。他人にはかされた気持ち悪い靴で、歩いてきた。
みんながキラキラしたサンダルや、好きな色の歩きやすいスニーカーを選んだり、紐をアレンジする中、私は親が選んだ大きすぎる靴に水を含ませて歩いてた。しかも、かなりの厚底。
いっそ転べばいいのに、中途半端に経ってられるのが悔しくて、でも転ぶのは怖くて踏ん張ってしまう。その半端な能力が「遙ならきっと頑張ればできるよ!」という励ましに変わり、さらに無意味な努力を続ける事に。
いっそ靴のサイズが合わなければよかったと思う。みっともなく転んで、助けを求めればよかったと思う。それすらできない無駄なプライドが、自分でもひどく惨めだ。
こんな馬鹿らしいプライド、持たなくて済むぐらいバカなら、私はもっと気楽に生きられたのだろうか。
一生懸命描いても、書いても、出る結果は中途半端で、自分より能力が高い人達が片手間に「本気で創作頑張ってます」と口でだけ言ってはワイワイやっているのを傍目から見て悔しがる。
彼らは社会的には不適合じゃないから、気楽にやれるのだと、わかってはいる。他に、ちゃんとした居場所があるから、あわよくばのスタンスでやれるのだ。
私は「これをやらなきゃ生きる価値がない」「でもやらなくて済む世界に行きたい」という欲求の戦いで体調を崩しながら、生きてきた。逃げようにも、周りには自分より劣ったスペックの人が楽な方に逃げては叩かれていたり、問題を起こしていて、ああはなりたくないと思った。
反面教師を見ていると、せめて自分だけはと踏ん張るしかなかった。
「このまま海の中に溶けていきたい」
ボソリとひとり呟く。クラゲになってゆらゆら揺れてみたい。自由に、流れに任せてフワフワと。透明で、誰からも見えないようになりたい。そんな優雅な生き方もしてみたい。
落ちてしまえば楽なのはわかっていた。でも、踏ん張ってしまう。
作品として形跡を残してしまう。吐き出してしまう。結果「本当に好きだね」と認定を受ける。違うのになって思うけれど、否定したい気持ちをまた作品に吐き出しては、繰り返していく。全てを破壊できたらいいのに、と思うけれど、無敵の人にはなれない。
理性もあるし、別に他人を殺したいとは思わない。むしろ、自分を殺して生きてきた。気づいたら、自分に八割は嘘をついてきた。私って、何が好きだっけ?
「雨だ」
ぱら、と水滴が頭に降ってくる。
空を見上げて雨を受け止める。傘は持ってきてない。もう、朝かな。憂太は心配しているんだろうな。だけれど、帰りたくないな。憂太、ごめんね。出会わなければよかったね。偶然、そばにいてごめんね。
「遙! ここにいた!」
「憂太。なんで場所がわかったの」
「そこら辺走り回ってきただけだ。お前、海好きだったはずだから、狙ったのもあるけれど」
憂太は、やっぱり憂太だな、と思う。私以上に私をわかっている。悲しいけれど、私が一番私をわかっていないのだ。私は思わず涙ぐむ。
「泣くな、遙。何があったかは知らないし、無理には聞かないけれど、帰るぞ。風邪をひく」
そう言って傘を差し出す憂太は、傘を二本持っていて、初めから事態を理解しているようだった。なんかもう、やっぱり、私はきっと憂太に惹かれてるのだと思う。
だから、私は本音を吐露する事にした。
「今までの作品をこの世から消したかったけど、消せないから私が消えようと思った」
受賞もできない、ダメな作品を生み出しすぎた。澪みたいに、お金になる作品を描きたかったのに。
「え」
ポカンとする憂太。
「生まれた形跡が作品としてこの世に残りすぎて、それが歪で、下手くそで、いろんな人に負けてて悔しくなった」
「負けって」
「私、死にたいの。心中しよ?」
もう無理だった。どうせ、私は救われない。澪にはなれないし、その他大勢にもなれない。幸せにはなれないんだろう。
「心中?」
憂太は目を丸くして……穏やかに笑った。
そして私の両手を優しく握りしめた。
「いいよ。遙。お前が望むなら一緒にいつでもどこでも死ぬ」
でも、という憂太。
「俺は、死ぬまでにお前とやりたい事いっぱいあるから、せめてそれをやりつ苦してから、お前が死ぬかどうかを考えてほしい」
「憂太」
「お金は俺が出すし、時間も作るし、なんだって叶えてやる。俺に依存しろ。楽しませてやるから、夢を持て。叶えてやる。だから、先延ばししろ、ダメなら一緒に死んでやるから。もう何もないなら、待つぐらいできるだろう?」
もっともな言葉だった。先に何もないからこそ待てはした。
「バイトだって、一旦やめてもいい。俺が養う。貯金がどうとかも気にしなくていい。結婚しよう、思いっきり楽しよう。もう休んでいいんだよ、遙」
「憂太」
「遙に対して天才と、俺はやっぱり思うと思う。それは俺の主観だから、でも、ただそれだけだから、気にしないでほしい。押し付ける気はない」
「優しいね、憂太」
「お前に好かれたいからな」
憂太のそういう下心を隠さないところも、素敵だと思う私は変わっているだろうか。
私は涙が乾いて、笑っていた。海から上がり、靴下を脱ぐ、ああ、ベチャベチャだ。それを絞って、涙を流すように水を出す。塩辛い匂いが、なんだか汗みたいでエモい。
「俺は、お前に好きになってもらうために生きてる重い男だから」
「自分で言う?」
吹き出してしまう私。憂太は重いのか軽いのかよく分からない。まあ、私に気を使いまくっているのはわかる。
「自覚ないよりいいだろ」
なんでそこでドヤ顔なの。面白いなあ。飽きないなあ。
「まあね」
「とりあえず帰るか。車は近くの駐車場にあるから」
「靴ビチャビチャだよ」
「タオルならあるし」
ふかふかのタオルをトートバッグから取り出す憂太。そしてそれを私に渡してくる。
「どこまで予測してたの」
笑いながらそれを受け取る私。
「いつもタオルは二枚ほど車の中にある」
何故に。そういえば憂太は車の中に色々積んでいるタイプだったっけ。几帳面。なんか色々アプリもスマホに入れている人種だし。整理整頓はしているから、散らかってはないけれど。
「サンダルも車にあるから、履き替えろ」
「なんでもあるね」
「さすがに男性サイズだしでかいけれどな」
憂太身長あるし足デカいよね。
「今度女性サイズも用意して」
「プロポーズか」
あ、また赤い。軽口のつもりなんだけれど。
本当私のせいで女の子に免疫ない人にしちゃったなあ。申し訳ない。それとも私が好きなだけ? なんて、思い上がり? それをもう、嬉しいと思っちゃう事は、自惚なんだろうな。バカだってわかっている、図にのっているって自覚もある。
「あと、水分も買ってきた。遙は甘い紅茶とジュースどっちがいい」
「ジュース」
ジュースを受け取り、飲み下す。オレンジ味の、甘いジュース。炭酸が入っていて、美味しい。なんだかリフレッシュできた。機嫌がかなり良くなってくる。
「本当にありがとう、憂太」
「別に、好きだから」
そう言いながら、憂太は紅茶を飲む。なんて言うか、多分喉が乾いてないのか、ほぼ口をつけているだけで、ポーズっぽい。私に選ぶ権利を与えたくてふたつ買っただけなんだろうな。優しい。どっちも甘いあたりが私向けだし。
「そればっかり」
私はクスクスと笑う。なんかもう、憂太可愛い。撫で回したい。
「大好きなのは事実だから」
このデレデレ男め。少しは照れろ。表情はクールだし声は淡々としてるんだけれど。
「あ」
「遙のスマホだな」
急にスマホがプルルと鳴って、それがお母さんからで、出るか戸惑うとメッセージが飛んできた。その内容に絶句し、スマホを落としそうになる。
「澪が、交通事故でさっき死んだって」
私は、呆然としてその場にへたり込んだ。
「遙」
「どう、しよう」
嘘だ、と思う。澪が? つい最近会ったのに。今まで張り合って、澪に勝つために生きてきたのに、これからどうすれば?
ねぇ、私の目標は? 目的は? ねえ、私、どうなるの?
こんな状況で自分の事ばかり考えてる自分にゾッとしつつ、フリーズする。
「遙!」
憂太の悲鳴が聞こえる。体浮いてる。ああ、私憂太に抱きしめられたな。
「ゆ、う、た」
頬に生暖かいものが流れる感覚を感じた。ああ、私、澪が死んでも泣けるんだ。よかった。ちゃんとお姉ちゃんなんだ。でも、これって、もしかして、澪が死んで嬉しいのかな? そう思うと怖くなった。
「もう、やだ……」
苦しい。何も考えたくない。通夜も葬式も行きたくない。無理。
「遙っ!」
私の意識は、その場で途切れた。
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