記録者
記録屋
第一刻
「2020年6月27日 記録開始
僕は――22歳、フリーター。
今日の天気は、蒸し暑い初夏の曇り空。
今から――を殺しに行く。
その一部始終を記録する」
最初は、酔いが回って幻聴でも聞いたのかと思った。
俺は飲みの帰りで、少し酔い覚ましに散歩していた。
夜の東京は、息を吸うたびに肺が重くなるような感じがする。
人通りの少ない路地に差し掛かったとき、足先に何かが当たった。
乾いた音がした。
下を見ると、古びたカセットプレイヤーが転がっていた。
誰かが落としたのだろうか。
今どき珍しいな、と思って拾い上げた、その瞬間だった。
スピーカーから、ノイズ混じりの声が流れ出した。
思わず立ち止まる。
周囲を見回したが、近くに人影はない。
俺は慌てて再生を止めた。
心臓が、やけにうるさかった。
ところどころ音が飛んでいるが、声自体ははっきりしている。
悪戯にしては手が込んでいるし、
落とし物にしては、あまりにも内容が物騒だ。
警察に届ける、という考えが一瞬頭をよぎったが、
その続きを知りたい、という気持ちの方が勝ってしまった。
結局、俺はそのまま家に持ち帰った。
誰にも見られない部屋で、もう一度聞こうと思ったのだ。
再生ボタンを、カチッと押す。
「家を出て三時間ほどが経過した。
奴が住んでいる千葉県――までたどり着いた。
まだ、帰ってきていないようなので、海を探索する」
感情がない、というより、抑えているように聞こえる。
この男は、本当に誰かを殺しに行っているのだろうか。
それとも、そういう設定の録音なのか。
カセットテープの向こうから、わずかに波の音が聞こえる。
ザァ……という低い音が、一定の間隔で続く。
浅瀬を歩いているのだろう足音も聞こえた。
俺は無意識に時計を見る。
針はほとんど進んでいない。
体感で、約一分。
その間、男は何も喋らなかった。
ただ、波の音だけが流れていた。
やがて、ぷつりと音が切れ、
静寂が訪れたかと思えば、また声が聞こえた。
「おかえりなさい。こんな時間に珍しいじゃない」
女の声だった。
年配のようにも、そうでないようにも聞こえる。
「仕事が早く終わったんだ。
久しぶりに母さんのごはんが食べたくなって」
男の声は、先ほどと同じだった。
不思議なことに、家の中に入ったはずなのに、
足音や扉の開閉音は一切聞こえない。
「今、用意するわ」
その直後、少し間が空いた。
包丁の音も、水の音もない。
それなのに、会話だけが、妙にクリアだった。
『他愛もない親子の時間だ。
今は、そっとしておこう。
いつでも、殺せるのだから』
背中に、じっとりとした汗が浮かんだ。
この男は、ターゲットの男の家に堂々と侵入している、ということか。
それとも、家族の誰かを殺すつもりなのか。
兄弟なのか、それとも――。
続きを聞こうとした、そのときだった。
急に、瞼が重くなった。
さっきまで覚めていたはずの意識が、急速に遠のいていく。
再生を止めた記憶は、ない。
気づいたときには、布団の中だった。
カセットプレイヤーは、机の上に置かれていた。
そして、また再生してしまった。
記録者 記録屋 @Jade_Vin
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