団地の集会所で行われていた体験会についての感想を、まだ聞かれている
@kisaragitakada
体験会
第一章 体験会
そのゲームが本当に存在していたのか、今でも自信がない。
けれど、団地に併設された集会所の、無機質で、ワックスと埃が混じった匂いだけは、どうしても忘れられない。
季節はわからない。
玄関の自動ドアから入ると、グレーのコンクリートの、打ちっぱなしの壁。土足で入っていく。あれ?ここは古臭い5階建ての、公営団地の集会所のはずなのに。こんなに新しかったっけ。こんなに広かったっけ。こんなに無機質で冷たい感じだったっけ?まるで研究所か実験室のような。その違和感を無視して、私は進む。
「没入型なんだって。ほんとに体験できるやつ」
幼なじみはそう言った。
昔から、彼女は私の返事を待たない。
断りたかった。
理由はいくつもあった。気乗りしなかったし、ゲームなんてあまりやらないし。でもその日は、学校を休んだから。正確には、行けなかったのだ。
私はハローワークの職業訓練に通っている。鬱で仕事をやめ、働けない日々が続き、外出には罪悪感が付きまとう。
けれど、約20年ぶりの幼なじみからの連絡は、怖気づく自分を外出に導くには、十分とは言えなくとも、凍りついていた足を数センチだけ前に進ませるだけの影響力は持っていた。
だから、『今日は無理』という一言は、送信ボタンにたどり着く前に指先で霧散してしまった。
無機質な入口の先に、長い通路があった。受付らしき机には、知らない企業のロゴが貼られたタブレットが置いてある。プレイステーションの本体と、コントローラーも展示されている。
「じゃ、順番に」
係員の顔は、よく思い出せない。
思い出せるのは、声がやけに穏やかだったことだけだ。
第二章 第一の部屋──猫
ドアを開けると、部屋は一人暮らしのワンルームのような空間だった。
居心地のよさそうなソファ、ベッド、クッション、机。
そして、猫。
たくさんの猫がいた。
茶色、黒、白、灰色。短毛も長毛もいる。鳴き声はなく、騒がしくはなかった。
私は猫を飼っている。小学生の時から実家で猫と暮らしてきた。
かわいい猫たち。なんだ、猫と戯れればいいのか?楽しい体験会じゃないか。
そう思った直後、数匹の猫の動きが変わった。
歪む見た目。
異音のような鳴き声。
何?
なんともない猫もいる。
私はとっさに、そのなんともない猫の一匹を抱きしめ、かばった。
アラート音が鳴った。
「緊急事態発生」
淡々としたアナウンス。
「対処してください」
え?
私は、呆然と部屋を見渡した。
猫を飼っている。
名前を呼ぶと、返事をする。眠るとき、必ず足元に来る。
その重みを、私は知っている。
吐き気がした。頭の奥が痺れて、手足の感覚が薄れる。
私は、その瞬間に分かった。
これは無理だ、と。
ベッドのフレームに、ハサミが置いてある。
咄嗟に掴んで、化け物と化した、さっきまでかわいかった黒猫にハサミを突き立てる。
手ごたえは、何も、ない。
これは、何?
無理だ。
続けられない。
私は、この体験会を。
そう思った、その時。
第三章 第二の部屋──子どもたち
次の部屋へは、自分の意思で歩いた記憶がない。
気がついたら、第一の部屋から続くドアの先の第二の部屋に立っていた。
その部屋は、幼稚園のプレイルームのような空間だった。
茶色の木の床。かばんをしまう棚。子供が描いた絵。先生が作ったカラフルな飾り。
外から日の光が差し込んでいるが、なぜか外は見えない。
子どもたちが、いた。
幼稚園児くらいの子もいれば、小学校低学年に見える子もいる。
男女は混ざっていて、服装もばらばらだった。
最初は、普通だった。
笑っている子もいる。
床に座って、何かを描いている子もいる。
私が入ってきたことに、ほとんどの子は気づかなかった。
胸の奥が、少しだけ緩んだ。
ここは、さっきの部屋とは違う。
そう思いたかった。
「次の部屋にご案内します」
係員がそう言った。
拍子抜けした。さっきまでの悪夢は、何?
第四章 第3の部屋──少女たち
中は、静かだった。
そこには、美しい少女たちが整列していた。
黒いステージ。アイドルが立つ劇場のような。
誰一人、瞬きをしない。
黒いボブの髪に、黒のゴシックミニドレスに合わせたフリルのついたヘッドドレス。
陶器のように白い肌。卵型の輪郭。赤い大きな瞳。
顔が、同じだ。
全員が、同じ顔をしている。
年齢も、表情も、微妙に違うはずなのに、骨格が同じだった。目の位置、鼻の形、口角の上がり方まで。
全員、人形みたいに整っていて、どこかアイドルの宣材写真みたいな、無表情の美しさ。
あ、これは。
改造されている。
そう理解するまでに、なぜか時間はかからなかった。
第五章 思い出す
その顔を見た瞬間、関係のないはずの記憶が浮かんだ。
私は、今日、学校を休んでいる。
職業訓練校に行かなければならなかった。
罪悪感は、確かにあった。
でも、それと同時に、ほっとしている自分もいた。
行きたくなかった。
「普通に」できない自分。
私は小学校の時も、不登校だった。
幼なじみは毎日、私にプリントを、届けて……。
また確認するのが怖かった。
「普通に」できない自分。
「さっきの部屋にいた子たちはね」
背後から、幼なじみの声がした。
「みんな、学校に行けない子たちなんだよ」
淡々とした声だった。
誇らしげでも、悲しそうでもない。
少女たちは、こちらを見たまま、動かない。
その視線は、助けを求めているようにも、諦めているようにも見えたし、何も感じていないと、思うのが、一番しっくりくるような気がした。
私は、何も言えなかった。
あの子たちが、この無表情で、美しい少女たちに加工される。
その事実を、受け止めきれなかった。
第六章 第4の部屋──有機体
呆然と、第3の部屋を出て、第4の部屋に入ると、そこは宇宙船の中のようで。
戦闘機のような、ロボットよりもなめらかな、銀色の、無機質な何かが一体、そこに浮かんでいた。
「これは戦闘に特化した最終形態です」
係員の説明は、それだけだった。
え、これ……さっきの少女だ。
少女が、戦闘のための何かに、改造されたんだ。
有機体に。
第七章 逃走
それ以上は、見られなかった。
足が勝手に後ろへ下がった。
呼吸が浅くなって、視界の端が白く滲む。
振り返らなかった。
どこをどう走ったかわからない。
外に出た瞬間、冷えた空気が肺に入ってきて、ようやく深く息を吸えた。
冬だったのかもしれない。
「こっち」
幼なじみが、当たり前みたいに立っていた。
何事もなかった顔で。
私は、疑問を持つ余裕もなく、彼女について行った。
第八章 幼なじみの家
団地の中の一部屋が、幼なじみの家だった。
昔、遊びに来たことがあるはずなのに、記憶と違う。
奥の部屋に、布団が敷いてあった。
第九章 消去
部屋の隅に、テレビがあって、プレイ画面が、プレイ中の一時中止画面が表示されている。
プレステのコントローラーが置かれている。
でも、見たことがないユーザーインターフェース。私が最後に使ったのが、プレステ4だから?違う、違う。きっと違う。
私はコントローラーに飛びついた。
「消さなきゃ」
「止めなきゃ。このゲームを」
私は、必死にコントローラーを操作する。
でも、UIがわからない。
文字は読めるのに、いや、なんだか意味がよくわからない文字でもあって、どこを押したらゲームが終わるのかわからない。
手が震える。
指が言うことをきかない。
冷や汗が、背中を伝う。
「いいよ」
背後から、声がした。
振り向くと、女の人が立っていた。
背後には、抜け殻の布団。
オレンジみの強い金髪。
濃いメイクをしたまま寝ていたのか?
普通の顔に、メイクで派手にした、そこそこの美人だった。
派手で、少し疲れた顔。
私は、息を詰めた。
「操作、複雑でしょ。あたしが消しておく」
彼女は、慣れた手つきで操作を始めた。
「ちょっとお金はかかるけどね。大した額じゃない」
画面が、暗転する。
「それで?」
彼女は、こちらを見た。
「感想はどうだった?」
第十章 パラメータ
彼女は、幼なじみの姉だ。直感がなぜかそう言った。
幼なじみには、姉はいない。幼なじみが三姉妹の長女だ。
なのになぜか、彼女は幼なじみの姉だと思った。顔が似ていたから。
「猫、つらかったでしょ」
お姉さんは言った。
「子どもたちの部屋、どう思った?」
「他は?」
私は、何も言えず、言葉を詰まらせた。
お姉さんは、続ける。
「ねえ、あなたさ」
お姉さんは、私の顔をじっと見た。
「可愛いじゃん」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「でも、みんなが可愛いわけじゃない」
「それって特別なんだよ。恵まれてんの。わかる?」
彼女は、笑った。
「得してきたでしょ。頭もいいし」
私は、何も言えなかった。
「うちの妹さ、頭も良くないし、可愛くもない」
幼なじみのことだ。
「バカ高卒だし。あたしもそう」
少しだけ、間が空く。
「でも、あんたは大学院まで行って、賢く生きてる」
責めているわけでも、慰めているわけでもない声音。
「このゲーム、どうだった?」
第十一章 カレー
私は、ようやく口を開いた。
「……猫が、殺されるから」
声が、震えた。
「苦手で。我慢できませんでした」
「うん」
「確かに、私は、いろんなところで得をしてきました」
言葉が、重い。
「申し訳なさを、感じてます」
そのとき、玄関の方が騒がしくなった。
幼なじみが来た。
知っている幼なじみの妹もいる。次女の。
それから、いないはずの弟。小学校高学年くらいの。
記憶と違う、ぶくぶくと太ったお母さんが、カレーを運んできた。
記憶と違う、妙に横に広い居間。横に広い座卓。
座卓を囲んで、みんなで食べる。
味は、変だった。
でも、普通だった。
私は、黙ってスプーンを動かした。
第十二章 布団の中
食事が終わると、誰からともなく席を立った。
お母さんは、鍋を下げる。
妹と弟は、テレビの前に座る。
幼なじみは、私を見なかった。
部屋に戻ると、お姉さんはもう布団に入っていた。
さっきまで起きていた気配が、嘘みたいだった。
化粧は、落としていない。
まぶたの上のラメがうすく、キラキラ光っている。
寝たふりをしている。
そう思った。
私は、声をかけなかった。
布団の外に出られない人。
この人は、疲れている。
ただ、それだけのことのようにも思えた。
第十三章 世界線
横になっている彼女を見ているうちに、奇妙な考えが浮かんだ。
この人は、未来の私かもしれない。
同じ顔ではない。
でも、どこか近い。
もし、あのゲームを最後まで体験していたら。
もし、猫を守ることを諦めていたら。
もし、得している側として、何も感じなくなっていたら。
ここに、辿り着いていたのかもしれない。
彼女は、もう外に出ない。
だから、ゲームのデータを消去する。
だから、問いだけを残す。
「感想はどうだった?」
それだけが、彼女の仕事。
第十四章 手を伸ばす
私は、布団の端に座った。
「お姉さん。私、お姉さんと一緒に外に出たい」
手を繋いで、スーパーに行って、どうでもいいものを買う。
それだけでいい。
でも、彼女は動かない。答えない。
布団の中で、すべてをくれる代わりに、自分は何も受け取らない人。
私は、彼女から何かをもらいたかった。
答えでも、許しでもなくていい。
ただ、「ここまで来たんだ、あんたは」という言葉が。
第十五章 役割
ふと、幼なじみのことを思い出す。
彼女は、連れてくる人だった。
無理やりでも、理由を聞かずにでも。
私が小学生のころ、たくさん迷惑をかけた。
勝手で、泣いて、面倒な子だった。
それでも、約20年ぶりに会ったとき、彼女は笑って言った。
「○○じゃん!元気だった?」
彼女は、選別しない。
加工もしない。
ただ、体験会に連れてくる。
その役割を、最後までやる人なのか。
第十六章 いる妹、いないはずの弟
あの家には、いないはずの弟がいた。
シャイで、にこにこしていて、とても可愛かった。
お姉さんも、幼なじみも、お母さんも、本来次女である妹と弟を、同じように可愛がっていた。
足りないものと、余分なものが、静かに入れ替わっている。
ここでは、それが普通だった。
第十七章 安心と恐怖
目が覚めた。
怖かった。
でも、安心もしていた。
誰も、私を加工しなかった。
誰も、戦わせなかった。
私は、選ばれなかったし、完成させられもしなかった。
それで、よかった。
終章 ドライフラワー
目が覚めたとき、すべてが夢だった。
でも、残った感覚がある。
守れなかったもの。
守ろうとしたもの。
何もできなかった時間。
乾いた花みたいに、形だけが残っている。
それを、無理に生き返らせなくてもいい。
置いておく。
忘れない。
それだけで、私には、もう十分だと思えた。
あなたが、この体験会に参加したとき、どう思うか、わからないが。
団地の集会所で行われていた体験会についての感想を、まだ聞かれている @kisaragitakada
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