熱ケツ戦士ωアスバーン
井上 斐呂
第1話
ビルの中の一室、そこに男がひとりいた。そこまで広くない部屋にデスクが一つだけ。男はそこの席に着いてうなだれていた。
ハァ…
静かな部屋にため息の音が響く。
(どうしてこうなってしまったんだ…… )
男は窮地の中にいた。切っ掛けは三週間ほど前のことになる。
◇
「上場するにはこの程度の売り上げじゃダメだ 」
集まった幹部達の前で社長の兵頭康平がきつい口調でまくし立てる。ここは都内にあるオフィスビルの一画。データベースを企業に提供するBtoBのIT系ベンチャー企業、Dyce(ダイス)の会議室だ。
社長は現状に不満があるようだ。居並ぶ幹部達に発破をかける。だが、必ずしも賛同を得られているわけでもないようだ。幹部のひとりが質問で返す。
「しかし、社長、、、そう簡単に売り上げを増やすことは現状では難しいかと思います。運良く大口の契約が結べるか今までの二倍以上のペースで契約を取っていく必要があります 」
「そんなことは俺もわかっている。難しいだろうな 」
「? ではどうするんですか? 」
「それを言う前にひとつ約束してもらおう。俺がこれから言うことに無条件で従うと。いいな? 」
その問いかけに対してひとりの幹部が異を唱える。
「それを我々が承服するべきではない。その条件ではリスクが高すぎる 」
「ならここから出て行けよ、江尻。お前に話す必要はない 」
「、、、そうか、そうさせてもらう 」
江尻と呼ばれた幹部の男は席を立つと会議室から退出する。後に続くものはいなかった。江尻が去ったあとで会議は進められていく。
その後に会議で話し合われたことを退出した江尻は当然知らなかった。しかし、会議に残っていた別の幹部の一人から相談があると呼び出されて内容を知ることとなる。
兵頭が指示を出してきたことは売り上げの架空計上だった。
その手法はこうだ。ダイスからA社にサービスを提供したことにしてA社からダイスに代金が支払われる。A社はB社にサービスを提供したことにしてB社から代金を受け取る。B社はダイスへサービスを提供したことにしてダイスから代金を受け取る。その取引金額はすべて同額。いわゆる循環取引だった。
A社はダイスに情報機器を卸している取引先でありB社はA社と関係のある広告代理店だ。取引先まで巻き込んだ不正である。
兵頭は株式上場をするに当たって条件を満たすために手っ取り早く売り上げを増やそうとしている。もしも不正が発覚したなら上場したところで直ぐに株式市場から閉め出されることになるだろう。会社から逮捕者もでることになる。
(兵頭… どうしてそんなことを… )
事情を知って江尻は社長に詰め寄った。その結果、江尻は役職を剥奪され他に誰もいない部屋に追いやられた。何の仕事も与えられずにただただ椅子に座っているだけの毎日だった。
最初こそ会社のために何かさせてくれと訴えた事もあったが徒労に終わり今ではすっかりと諦めてしまった。
ふとした瞬間に兵頭に言われた言葉が蘇ってくる。
『余計なことをするな… お前は椅子を温めているだけでいいんだよっ! 』
この言葉を思い出す度に無力感に襲われる。
もともとダイスは兵頭を中心にして江尻を含む大学の仲間内で始めた会社だった。幹部達の半数はその時の創立メンバーだ。自分たちで創設した会社を大きくするためにみんな必死で働いた。江尻もそうだ。
会社が今よりももっと小さかった頃は
もちろん、ある程度軌道に乗って大きくなった今の会社ではスタートアップのときのようなゆるい規律の中で働くことは出来ない。あの頃と比較するのは自分の甘さであると思う。
しかし、兵頭の豹変ぶりをみるとどうしようもなく懐かしくなってしまうのだ。
何もすることがないまま定時を迎えるとそそくさと会社をあとにする。
自宅に戻ると部屋着に着替える。帰宅途中に購入したコンビニ弁当を電子レンジで温めてパソコンで動画を流しながら黙々と食べていく。
食べ終わると弁当の空容器を剥き出しのゴミ袋にいれる。ゴミ袋の中は弁当容器でいっぱいになっていた。
部屋の中はゴミが散乱していると言うほどではないものの脱ぎっぱなしの服があちこちに散らばっている。飲みかけのペットボトルが机の上に幾本も並べられ読みかけの雑誌が床に何冊か散らばっている。
ほんの二週間前までは整理整頓が行き届いた部屋であったのだが江尻の心の内と同様に荒れていくことになった。
食後はまた動画を見る。ここ最近は決まって彼が子供の頃に好きだった変身ヒーローのテレビ番組を見返していた。
あの頃は無邪気に正義のヒーローが悪を倒す話を楽しんでいた。大人になった今、社会はそんな単純な理屈では割り切れないことを知っている。
しかし、このような事態になってみると無性にひたむきで単純な思いへの憧れが日増しに強くなっていく。
部屋の棚の上には彼が今視聴しているヒーローのフィギュアが飾られていた。一年ほど前にネットで見かけて懐かしくなりつい購入してしまったものだ。
いわゆるハイクオリティフィギュアというものでかなりの値段がした。しかし、仕事に明け暮れていたため金の使い道がなく、手が出ないと言うほどのものでもなかった。
値段相応の完成度で大人でも満足いく仕上がりになっていてとても気に入っていたのだが、何故かその顔は壁の方に向けられていた。
深夜零時前になると動画鑑賞をやめて床につく。
ベッドの中でしばらくぼうっと考え事をしていた。今後の身の振り方についてだ。上手く考えはまとまらなかったが明日気分転換に外でも歩いてから決めることにして眠ることにした。
次の日は休日だった。
◇
公園のベンチに座ってぼうっと時間を過ごしていく。
起床してからすぐに外出する準備を整えて散歩に出かけた。たっぷりと三時間ほど街を歩いて回り活動する人々を眺めた。
今も座りながら公園で遊ぶ親子連れや自分と同じようにベンチに座って日差しを浴びている老人などを眺めている。
久しぶりに会社ではない社会を見たような気がした。
思えば大学を出てから仕事に関連した人間関係しか築けていなかった。昼も夜も休みもなく働いて、こうして穏やかな休日を過ごしたのも一体いつ以来だろう?
自分の人生を振り返り自省をする。やがて一つの結論に至る。
(会社を辞めよう… )
辞めてもっと社会に関わりのある仕事に就こうかと考えた。久しぶりに実家に帰って両親と話し合ってみるのもいい。何か展望が開けるかも知れない。
心が決まると立ち上がって歩き出す。
とりあえず昼飯にしようかと考えた。もう直ぐ十二時をまわるだろう。公園の芝生ではレジャーシートにお弁当を広げた家族連れが少し早めの昼食を楽しんでいる。
公園を離れてあまり人通りも車通りも少ない道路を歩いていく。信号にさしかかると赤信号で止まる。
青に変わって歩き出そうとした時だった。かなりの速度で一台の車が走ってくる。この道では通常出すことがない速度だ。
うなり声を上げて赤信号の交差点に進入していく。
このまま進めば横断歩道へ踏み出していた江尻を跳ね飛ばすのは確実だ。
「うわっ! 」
直前で気付いて反射的に後ろに跳ぶ。ギリギリを掠めていき風が体を撫でる。
勢い余って尻餅をつくことになった。
「痛ってて… 」
自分をひき殺そうとした自動車を確認してやろうとして通り過ぎた方向を見る。そこで異変に気付く。
通り過ぎたのは馬車だった。黒い客室を備えた高級そうな見た目で身分の高いものが乗っていると思わせる。もっとも混乱している江尻にそこまでのことは判らなかったが。
混乱中であっても気付くこともある。
自分が倒れている場所がアスファルトから石畳に変わっている。周囲の建物もヨーロッパのような石造りのものに変化している。街並みそのものがさっきまでいた場所とまったく異なる。
(これは夢か…? )
白昼夢を見ているのではないかと思った。あるいは本当はあの車に跳ねられていて病院のベッドにいるのか死んでいるのかしているとも思えた。
その可能性に江尻がぞっとしている時、通り過ぎていった馬車が道の真ん中で止まる。御者台から誰かが降りて来て江尻に歩み寄っていく。ひどく立腹しているようだ。いきなり現れた江尻に通行の邪魔をされたと考えているらしい。
「なんだ貴様はっ! どなたの馬車だと心得ている! 」
ドスドスとした早足で近づきながら怒鳴りつけてくる。
混乱のさなかにあって怒鳴られたところで余計に混乱するだけだ。立ち上がることも出来ずに周囲を見回している。
そこへ狭い路地からフードを被った小柄な人物が江尻の元へ走り寄ってくる。
「立って走って… 」
「えっ… 」
その人物は江尻の腕を取ると無理矢理に立たせて走らせる。体格差はかなりあるのだが、それをものともせずに引っ張っていき路地裏の中を走っていく。
「待てっ! 」
後ろから声がするが遠ざかっていきやがて聞こえなくなる。どうやら撒くことが出来たようだ。
人がいない安全な場所まで来る。江尻は息を切らしているが謎の人物の方はまったく息を乱していない。江尻が息を整えるまで待ってくれる。
「君は誰なんだ? ここは一体? 」
ようやく息を整えるとフードを被った人物に疑問をぶつけることが出来た。見るからに怪しい風体の人物だったが今の状況では他に頼れる人物はいない。
「立ち話も何ですから落ち着いて話が出来るところに移動しましょう 」
その人物は更なる場所変えを提案してきた。
江尻はそれをいぶかしむ気持ちもあったが若い女性の声であったことに意外さと驚きを禁じ得なかった。
自分をここまで引っ張ってきた力強さから男性かと思っていた。小柄な人物であったからなおさらだ。
そのことが気になって質問に答えられずにいた。
そんな江尻にフードの人物は怒るでもなく理解を示してくる。
「ああ、すみません。顔を隠したままでは怪しいですよね? 警戒して当然です。いま顔を見せますから、、、」
そう言ってフードを脱ぐ。
中から現れたのは美しい少女だった。
透き通るようなプラチナブロンドの直毛が太陽光を反射して煌めいている。大きな青い目は吸い込まれそうな深みを感じさせる。筋が通っていて小ぶりな鼻は上品さをたたえる。血色の良い白い肌は内側から溢れるような生命力を感じさせる。
江尻は一目で心を掴まれてしまった。
普通であれば
「私の名前はクローディアと申します。あなたのお名前をうかがってもよろしいでしょうか? 」
「あ、ああ… 俺は江尻キョウスケと言う… ここは一体どこなんだ? 君は一体…? 」
「それに答える前に場所を変えましょう。少し長くなりますので… 私に着いてきてください 」
そう言うとキョウスケに背を向けてどこかに向かって歩き出す。
キョウスケは置いていかれまいとその後ろに素直に着いていった。
どの道、信用して着いていくしかこの状況に説明がつかないと自分に言い聞かせていたが、実際は彼女のことを信頼してのことだった。疑うことなく着いていく。
連れてこられた場所は一軒の民家だった。何の変哲もない西洋建築の家だ。外観も中も至って普通、質素な印象を受ける。家財道具も最低限のものだけ備えられている。
二人は居間兼ダイニングにある椅子にテーブルを挟んで座り、落ち着いて話が出来る体勢になる。キョウスケはとにかく状況を把握しようと食いつくように質問を始めた。
「それで、ここは一体どこなんでしょうか? 日本ではないみたいですが… 」
多少落ち着けたことで丁寧な口調で質問する余裕が出来た。自分よりも明らかに年下であるクローディアだが気品のある物腰から身分の高さを感じる。こちらが教えてもらう立場もあって最低限の礼節ぐらいは整えようと判断した。
そんなキョウスケにクローディアは
「……落ち着いて聞いてください。ここはあなたのいた世界とは異なる世界なんです 」
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