ゾンビが出る前に本気で備えた男

如月 睦月

第1話 行動

ゾンビ映画を観た夜から、俺の世界は少しだけ歪んだ。


エンドロールが流れても立ち上がれなかった。

あれは作り話だ、と笑い飛ばせるほど、俺はもう若くなかった。


感染は広がる。

社会は脆い。

人はパニックになる。


そこまでは、現実のニュースと何も変わらない。


「……来るとしたら、突然だ」


それが俺の結論だった。


幸いにも、俺には時間と金がある。

両親の遺産は、人生を派手に狂わせるほどではないが、慎ましく生きる人間が“備える”には十分すぎる額だった。


問題は、どこに拠点を置くかだ。


都市部は論外だ。

人口密度が高すぎる。

ゾンビは音に集まる。


人が多い場所は、パニックと死体が量産され、結果として“餌場”になる。感染初期に行政が機能する可能性はあるが、それが崩れた瞬間、逃げ場はなくなる。


平地の郊外も微妙だった。


視界は開けているが、逃げる人間が集まりやすい。

人間はゾンビ以上に厄介だ。

追い詰められた人間は、理性より欲を優先する。

食料、武器、女、そして安全な場所。全部、奪い合いになる。


「……じゃあ、山か」


口に出してみると、意外としっくり来た。


まず、ゾンビは基本的に“楽な道”を選ぶ。

急斜面を登るのは困難だし、舗装されていない山道は足元が悪い。

腐敗が進めば進むほど、登坂能力は落ちる。

これは映画でも、専門家の考察でも共通している。


次に、人間だ。


山は不便だ。電気も水も簡単には手に入らない。

つまり、覚悟のない人間は最初から近づかない。

人が来ないというのは、最大の防御だ。


ただし、問題もある。


孤立しすぎると補給が途絶える。

怪我をしたら終わりだ。

冬になれば寒さが命取りになる。

熊や猪といった“生きた脅威”も無視できない。


山は万能ではない。


俺は地図を広げ、ペンで条件を書き出した。


・標高は高すぎない(積雪が致命的になる)

・車で麓まで行ける

・近くに沢か地下水の可能性がある

・周囲に集落が少ない

・見晴らしが良く、接近を早期に察知できる


「ゾンビ対策っていうより、要塞づくりだな……」


苦笑しながらも、胸の奥は妙に冷静だった。

恐怖で選んでいるのではない。

計算している。

だからこそ、これは現実味があった。


最後に、俺はもう一度考えた。


もし、何も起きなかったら?


そのとき、山に拠点を構えた俺は、ただの変わり者だ。

だが、誰にも迷惑はかけない。

静かな場所で、畑を耕し、本を読み、季節を感じて生きるだけだ。


「……悪くない」


そう思えた瞬間、迷いは消えた。


ゾンビが溢れる日が来ても、来なくても。

俺は山を選ぶ。


それは逃避ではなく準備。

世界が狂ったとき、最後に正気を保っている場所


――その候補地として、山ほど適した場所はない。


俺はペンで、ひとつの山に丸をつけた。

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