第2話

「待て!」


高らかな退場宣言(ナーナリアの心の中では)を決めた瞬間。


背後から、エドワード王子の焦ったような声が追いかけてきた。


「(……まだ何かありましたの?)」


ナーナリアは、心底面倒くさそうに振り返った。


そこには、信じられないものを見るような目で立ち尽くす、元婚約者の姿があった。


「ナーナリア! 貴様、私に捨てられたのだぞ!」


王子が、わなわなと震えながら詰め寄ってくる。


「わかっているのか! 婚約破棄だ!」


「はい。確かに承りましたわ」


「なのに、なぜ! なぜ貴様は平然としている!」


「平然と、ですか?」


ナーナリアは、首をこてんと傾げた。


「(だって、嬉しくてたまりませんもの。平然を装うので精一杯ですわ)」


「王子……もうおやめくださいまし……」


王子の隣で、ヒロインのリリアが涙目で袖を引いている。


(ああ、健気なヒロインですこと)


「ダメだリリア! 私は、この女の反省した顔を見るまでは許さん!」


エドワード王子は、完全にヒートアップしていた。


「ナーナリア! 貴様の敗北だ! 私に謝罪し、リリアに土下座するなら、今からでも……」


「反省?」


ナーナリアは、王子の言葉を遮った。


「いったい、何についての反省を求めていらっしゃるのですか?」


「決まっている! リリアへの数々の嫌がらせと! そして、私を裏切ったことだ!」


「裏切った?」


(裏切ったのは、そちらではございませんこと?)


ナーナリアの視線が、ふと王子の背後にあるデザートテーブルに吸い寄せられた。


そこには、美しい三段重ねのケーキスタンド。

輝くような赤いベリーが、雪のような生クリームの上に鎮座している。


「……殿下」


「な、なんだ!」


「あそこの新作ケーキ、もうお召し上がりになりました?」


「……は?」


王子が、間の抜けた声を出す。


「いえ、ですから。あそこのケーキですわ。とても美味しそう」


「き、貴様……!」


「あ。あちらのショコラ・オペラも捨てがたいですわね。このわたくしを待っているかのよう」


「ふ、ふざけるなあああ!」


王子の絶叫が、パーティー会場に響き渡った。


「人が、真剣に話をしているのに! ケーキだと!?」


「真剣なお話は、もう終わったのではなくて?」


「まだだ! 貴様が泣いて謝るまでは!」


「(この人、わたくしが泣いて謝るところを見たかっただけですのね……趣味が悪いですわ)」


ナーナリアが冷めた目で見ていると、ついに主役が動いた。


「うぅ……ひっ……」


リリアが、その場にへなへなと泣き崩れた。


「もう……やめてください……!」


「リリア!」


王子が慌てて駆け寄る。


「私のせいで……私のせいで、ナーナリア様が王子に……!」


(出ましたわ、被害者ムーブ)


「ナーナリア様の仰る通りです! 私が、王子のおそばに寄ったから……!」


「そんなことはない! リリアは悪くない!」


王子がリリアを抱きしめ、ナーナリアを睨む。


「ほら見ろ! リリアがこんなに苦しんでいる!」


「…………」


周囲の貴族たちが、遠巻きにこの茶番を見ている。


((おい、見たか? 侯爵令嬢、眉一つ動かしてないぞ))


((というか、ケーキ見てないか?))


((王子、必死すぎでは……))


((リリア様、またあのパターンね……))


「冷ややかな周囲の目」が、リリアと王子に突き刺さる。


だが、二人は自分たちの世界に没頭していて気づかない。


「さて」


ナーナリアは、侍女にだけ聞こえる声で呟いた。


「ねえ、アマンダ。今からあそこのケーキを強奪してくるのは、マナー違反かしら」


「(ため息)……お嬢様。それはマナー違反というより、強盗でございます」


「ちっ。仕方ありませんわね」


ナーナリアは、残念そうに肩をすくめた。


そして、抱き合う二人に向かって、はっきりとした声を出す。


「劇場型の痴話喧嘩は、どうぞ皆様のいなくなった後でごゆっくり」


「ち、痴話喧嘩!?」


「では、わたくし、愛犬が本当に、本気で待っておりますので」


ナーナリアは、今度こそ完璧なカーテシーを披露した。


「エドワード殿下、リリア様。どうぞ、末永くお幸せに」


「ま、待て! ナーナリア! 私の話は!」


王子の悲痛な叫び。

しかし、ナーナリアはもう振り返らない。


(ああ、ケーキ……)


(わたくしの、ベリーたっぷりのケーキ……!)


(きっと、ケルベロスが家で暴れていますわ。早く帰らないと)


「な……なぜだ……」


王子の震える声が、遠ざかる背中に投げかけられる。


「なぜ、泣かない! なぜ、すがらないのだ……!」


それが、エドワード王子の最大の「誤算」。

彼は最後まで、ナーナリアが自分に執着していると信じて疑わなかったのだ。


「(泣く? なぜですの? 婚約破棄おめでとうパーティーですのに)」


ナーナリアは、軽い足取りで会場を後にした。

もちろん、頭の中は「いかにして侍女の目を盗み、帰り道でケーキを買うか」でいっぱいだった。

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