転生したってのになんでこんな目に ~ハードモードの人生は転生してもハードモードでした~
じぇみにの片割れ
第1話 転生前日
その日もいつもと変わらない日常だった。
鏡の前で学生服に着替えて鞄を持ち、自室を出る。赤絨毯が敷かれた無駄に豪奢な廊下を進み、価値のわからない金細工の施された手すりを使って階段を降り、大仰な大扉が設えられた玄関に立つ。
隣には老執事。冷たい瞳がこちらを向く。
「いってらっしゃいませ」
坊ちゃま、と本来は続くはずの言葉はない。自分はすでにこの家の跡取りではなかった。
冷たい声に答えずに俺は玄関を出る。十数メートルほど進んでから正門にたどり着き、通る。
大げさな屋敷を構えた大げさな家柄。それが俺の血筋で、生まれ育った環境だった。
生まれに心から感謝したことはない。この家もこの世界も俺にとっては地獄のようなものだった。
通学路をひとりで歩く。周りじゃ友人たちと一緒に登校してる連中の楽しそうな声が聞こえてくる。まったく無関係な喧騒だった。
ひとりのまま学校にたどり着き、教室に向かって、席につく。
退屈な時間の始まりだった。
授業の全てが終わるまで、特筆すべきことは何もない。教師が役に立つんだか立たないんだか分からないことを偉そうに述べた後、何も考えずにそれをノートに書き写す作業をしただけだ。
授業が退屈なのは誰にとっても同じかもしれない。だが授業が終わりさえすれば他の連中には色々と楽しみがあるだろう。それが俺にはなかった。
特殊な生まれと育ち、無能の烙印を押された元跡取りに近づこうとする人間はいない。おかげで友達と呼べる相手はひとりもいなかった。
何もないまま帰路につく。ひとりで朝と同じ道を全く同じように帰り、玄関をくぐる。
出迎えはない。跡取りとして両親に期待されていた頃は、執事や女中が出迎えてきたものだが、今では誰も見向きもしない。
気にせずに自室に戻る。その途中、廊下で何人かの女中とすれ違う。普通なら挨拶があるはずだが、一切ない。それどころか目を合わせようともしない。
両親からの厳命だ。父と母は、俺を一切いないものとして扱え、としている。
何故そうなったのか。理由は簡単だ。
名家に生まれた以上、それに相応しい能力を示す必要がある。他の家じゃどうか知らないが、少なくともこの家ではそれが絶対の掟だった。
初等部にいる間は、その掟を俺は守ることができた。どういう試験だろうと高い点数を叩き出し、要求されることは全て十全にこなすことができた。
しかし中等部に入ってから異変が生じた。あるいは化けの皮が剥がれた、とでも言えばいいのか。俺は両親の期待に答えられないようになった。つまり、掟を守れなくなった。
父と母は、俺を不出来だと認識した。
名家に生まれた義務を果たせないのであれば、存在する価値はない、としたのだ。
結果として、俺の存在は家から抹消された。今となってはただ、生かされているだけの存在だ。
文句を言う権利は俺にはなかった。存在する価値を示せないのであれば、当然のことだろう、とまで思った。
それでも苦痛を感じずにはいられなかった。何故こうなってしまったのか、他にやりようはなかったのか、本当に自分が悪いのか。そんな馬鹿げた考えばかりが毎日頭の中を巡っては思考をかき乱してきた。
自室にいてもやることはない。勉学に励もうにも、机に向かっただけで嫌悪感で胸がいっぱいになる。やったところでどうにかなるわけがない、という思いで胸がいっぱいになる。
だから、何もできないままだった。俺はどこにも行けなかった。
夕食の時間になったので、食堂へと向かう。足取りは重い。今日は両親が家に揃っている日だ。
多忙を極める二人は滅多に家にいない。忙しさも理由だろうが、俺と顔を合わせたくないのだろう。それはこちらも同じことだった。
食堂にはすでに父と母がいた。なるべく顔を合わさず、視線を交わさず、それでいて不自然にならないよう慎重に慎重を重ねて、席についた。
運ばれてきた食事を前に、手が震える。食事のマナーも厳しく躾けられていた。だからこそ、両親の前で食事をとるのは恐ろしかった。
慎重にひとつひとつ料理を口へと運ぶ。カトラリーの小さな音が鳴る度に、何か言われるんじゃないかと震えが走った。
食事の小さな音だけが十分、二十分と続く。地獄のような時間はやがて、父と母が先に席を立つことで、終わりを迎えた。
ようやくこの極度の緊張から解放される。安堵したところに、久しぶりの父の声が聞こえた。
「食事もまともに取れない無能め」
初めからそうだったが、その後の夕食の味も俺は覚えていなかった。
これが俺の世界の全てだった。
家にも外にも居場所はなく、心情を吐露できる相手もいない。未来に希望はなくて、自分にはできることが何ひとつとしてなかった。
だから――そう。
俺が部屋の窓から飛び降りて死んだことを不思議に思う必要はないだろう。
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