グリンドリンの物語
@SlownRain
プロローグ
夕暮れが、小さな町に重い濡れたマントのように降りてきた。
窓の外では雨が降り続いている。執拗で、気の滅入るような雨――グリンドリンのあらゆる道で、旅人を見送ってきた雨だ。
荒れた通りを一台の馬車が通り過ぎ、車輪が水たまりを跳ね上げた。泥水がガラスに飛び散り、外の景色をぼやかす。
家の中は暖かく、静かだった。
暖炉の火だけが、ぱちぱちと音を立てて薄暗さを追い払っている。
本はあちこちに散らばっていた。床に、窓辺に、椅子の背に。
混沌とした光景だったが、主人だけはそのすべてを把握していた。
部屋の中央で火が燃えている。
左には火かき棒と数本の薪。
さらに左には台所――古い彫り跡だらけの巨大な木製のテーブルが置かれていた。
かつて誰かがナイフで刻んだ場面、顔、出来事。
男は指先でその模様をなぞった。埃が指に溜まる。それを拭い、ふと微笑んだ。
静かで、どこか申し訳なさそうな笑みだった。
思い出は、こちらの意思など関係なく、温かな波となって押し寄せてくる。
棚を探る。
かつて生きていたかのような、濃い木目の長いキャビネット。進んで家の一部になったような木だ。埃は厚く、何年も積もっていた。
上の段には手作りのお守りがあった。糸、石、羽根。
一つ手に取り、掌で転がす。笑みが深くなり、あと少しで涙が滲みそうになる。
やがて、隣の棚で――瓶を見つけた。
「……よく隠したな」
満足げに呟く。
二階で床がきしんだ。誰かが寝返りを打っている。
(そろそろベッドを直さないとな)
そう思い、彼は部屋へ戻った。
書斎は期待外れだった。昨日、市場で買った本はすべて読み終え、心に残るものはなかった。
だが、部屋の隅の机には、いつも転がっているスエードの袋がある。
再び二階から物音がし、上段の本が崩れ落ちた。
彼は気に留めず、自分の本に目を向けた。古いインク瓶と、年季の入った羽ペンが添えられている。
羽根はすり減り、軸は固くなっていた。それでも捨てるつもりはなかった。
最後のページを開き、数行を書き加える。
そして、点を打つ。――人生の一章を閉じる、最後の筆致のように。
本と瓶を抱え、暖炉の前へ。
外では、まだ雨が降っている。
栓を抜き、一口飲んだ。
グロッグ。
安酒で、旅人の酒。錆びた樽と、遠い港の味がする。
だが、体を温めたのはアルコールではなかった。
思い出だった。
足を火に伸ばし、本を膝に乗せる。
表紙には、こう書かれていた。
『グリンドリンの物語』
彼は少し考え、魔法のペンで「物語」の文字を消す。そして、書き直した。
『グリンドリンの放浪記』
第一話:立ち止まった魔法使い
その瞬間、背後で足音が弾けた。
「クヴィジおじいちゃーん!!」
五歳ほどの小さな盗賊が二人、勢いよく背中に飛びつく。
彼は驚いてグロッグをこぼしそうになったが、すぐに笑った。静かで、温かい笑いだ。
「じいさんじゃないって。まだ四十だぞ、お前ら……」
だが、子どもたちはもう本に夢中だった。
姉の少女が膝に登り、弟は横にぴったりくっつく。
「ねえ、これなに? 読んで」
「うん、これ読んで!」
彼は別の、もっと簡単な本を取ろうと立ち上がりかけたが、二人にがっちり捕まえられる。
「これ! これ!」
溜め息をつき、笑って降参した。
この馬鹿げていて、でも愛しい「クヴィジおじいちゃん」という呼び方には、いつも勝てない。
二人を座らせ、最初のページを開く。
「じゃあ……話そうか。
グリンドリンを旅した魔法使いの話を。
不可能を成し遂げ、数えきれない苦難を味わった者たちの話を。
呼びもしない、引き留めもしない。
ただ、歩くことだけを許す世界の話だ」
彼は軽く咳払いをし、ページをめくった。
そして、読み始めた。
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