気づいたら私は“噂”でした 〜悪役令嬢を破滅させる側です〜
酔子
プロローグ
「曇りか。つまらない」
ガラス越しに呟くのは、この国で大臣を任されている男だ。
仕事一筋30年。歳を重ね、月を眺めながら煙草を食らうのが日課である。
ごほっ、がはっ
部屋が煙たくなると妻に叱られそうだ。バルコニーへの扉を開けた、その時。
「こんばんは」
突然の声に見回すと、手すりに寄りかかる人影がある。
「っ誰だ!ここは3階だぞ、どうやって…」
雲がすうっと動いて月を顕(あらわ)にした。浮かび上がったのは人形のように可愛らしい少女。
真っ白なロリィタ服に、長い銀色の髪がふわりと揺れる。
「お手紙を届けに参りました。どうぞ」
非現実的な光景に思わず見惚れた男は、差し出された一通の封筒を受け取った。
彼が開くと、そこにはたった1行。
『大臣は可愛いものが大好きで、ベッドにぬいぐるみを置いている』
「んごふっ!!な、何なんだ君は!」
「大丈夫ですか?聞いたことない咳の音がしましたねぇ———私は良いと思いますよ、ぬいぐるみ」
「違う、あのクマはだな…うわっ」
タバコの火が封筒に移り、慌てる男に少女はコロコロと笑う。
「では…ふふっ、良い夜を。ああ苦しい…」
彼女は、軽やかに手すりを乗り越え闇夜に溶けた。
◆◆◆
「ただいまー!ノルマ達成したよっ!今日も生き延びちゃった」
誰もいない家に向かって叫ぶ虚しさよ。
私は足首を振って短いブーツを玄関に落とし、レース編みの手袋を適当に置いた。
ドレッサーの前で頭につけていたハチマキのようなリボンを解く。片目を覆っている銀髪をかきあげる。いつも通りなんだけど。
(銀髪、やっぱり見慣れないね。カツラみたい…)
ゴーン、ゴーン———
0時を知らせる時計が鳴る。
「夕ごはん食べ損ねちゃったか。まあいっか、死なないし」
⏯️一時停止。
ちょっと待った!
この主人公、謎だらけでしょう?説明してくれる人を一緒に呼ぼう!
せーのっ…「「ミニ『噂』ちゃーん!」」
ぴょんっ
『はーい♪呼んだ?呼んだよねぇー?』
ミニ『噂』ちゃん、主人公の紹介をして。
『いいよ♪お名前は『噂』ちゃん。みんなに『噂』が書かれた手紙を配っているよ!』
どうしてそんな事をしているの?
『それはねぇ、1日3通、届けないと死んじゃうノルマがあるからだよ♪裏を返せば、それ以外では死なないんだって』
じゃあ、銀髪がカツラみたいって言ってるのは?…実はハゲてて本当にカツラだったり?
『違うよっ!主人公はね、転生してきちゃったんだよ。黒髪で生きていた前世があるから慣れないんだろうね♪マジでカツラじゃないからねっ!』
⏯️再生
私は転生者。
至って普通のアラサー会社員だったのに。ある日寝て、起きたらこの家にいた。
カップ麺のゴミが転がるアパートの一室。木で作られた可愛い部屋。
セールで数年前に買った(気がする)地味な服。真っ白なロリィタ服。
「もう寝よう」
のろのろと歯磨きを始める。全部が不思議すぎてあまり気にしていなかったが、水、火、服、家。全部最初から揃っていた。うがいをして、再び鏡を見つめる。
何年も染めていないパサついた黒髪。艶々の銀髪。
いつの間にか水分とハリを失った平凡な顔。人形のように整った少女の顔。
対照的な全部が、ここはもうあの世界ではないと、もう私は私ではないのだと訴えかけてくる。
「私は何なんだろうね。人間じゃない、生きているのかすら怪しい」
ふわふわのベッドに身を沈める。その心地よさが、逆に息苦しかった。不快なら、痛かったら、苦しかったら、生きているのだと実感できるのに。
◆◆◆
「白い少女、ですか?」
大臣は家で雇っている護衛に詰め寄った。夜勤明けの護衛はあからさまに『帰らせてくれ』という顔をしている。
「ああそうだ。見なかったか?…本当に護衛していたんだろうな?」
「当然です。ひっっと晩中、いっっ睡もせずに立っていました」
「でもあいつは来たんだっ!それで、ぬぃ…重大な秘密をだな!」
「きっと疲れてるんですよ。お昼寝でもなさってください」
取り残された大臣は上着のポケットに忍ばせた、手のひらサイズのウサギのぬいぐるみを握りしめた。
「あの小娘っ…絶対に見つけ出してやる…」
———
あなたの家のベランダには『噂』ちゃんが立っていましたか?早くクマちゃんのぬいぐるみを隠したほうがいいですよ。
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