第3話

「最近、いい調子じゃないですか」

「本当ですか!?」


現実世界の病院の診察室。


私は主治医の先生から、お褒めの言葉を貰っていた。


「今まではずっと寝てばかりと伺っていましたからね。部屋の中とはいえ、起きて活動を始めたのは良いことだと思います」

「ゲームですけどね」

「ゲームでもなんでも、意欲を持って動くことが大事ですからね」

「ありがとうございます」


私は小さく、ガッツポーズを取った。

意識しての行動ではなかったけれど、自分に良い影響を与えていたのであれば、良かった。


「ですが、やりすぎには注意してください。ただでさえ、今は体力が落ちている時ですからね」

「はい」

「もちろんですが、睡眠時間を削らないでくださいよ。規則正しい生活を心がけて下さい」

「はい」

「それはそれとして、ちゃんと外出もしてくださいね。やはり朝日を浴びることは大事ですから」

「は、はい」

「それと、できるのであれば運動も。散歩でも良いです。身体を動かすことは大事ですからね」

「⋯⋯はい」

「それとーー」

「まだあるんですね⋯⋯」


それからしばらく、先生から日常生活についての注意を事細かに告げられることになったのであった。



〇   〇   〇   〇   〇



薬をもらっての帰り道、スマホの携帯が鳴る。


手にとって見てみると、それは実家の母からのものだった。


通話に出るのが、少しだけ怖い。


仲が悪いわけではない。折り合いが悪いわけではない。


ただ少し、疲れてしまうだけだ。


私は、拒否したい気持ちを押し殺しながら、通話ボタンをタップした。


「もしもし?」

「あんた、会社休んでるって本当なの?」


開口一番、あいさつも無しに本題へずばりと切り込んでくる。

母の、いつもの話し方だ。


「……そうだよ。今は治療中」

「治療中って、家で寝ているだけでしょう! すぐに働けないの?」

「薬も飲んでいるよ。それに、先生からもしばらく休めって言われているんだよ」

「そうなの? 身体は問題ないんだから働けるものだと思うんだけど、違うのね」

「そういうものらしいよ」

「そ。じゃあ早く治しなさい。ただでさえあんた、職場のみなさんに迷惑をかけているんだから」

「……うん。わかってるよ」

「本当に分かってる? 長期で休むなんて、辞めさせられてもおかしくないんだからね」

「本当そうだね。職場には感謝しているよ。本当に」


母は、事実をずばずばと突きつけてくる。

その事実は、私が目を背けていたもので、一言一言が、私の罪悪感を搔き立てる。


もしかしたら、母のこういう態度はあまりよろしくないのかもしれない。


だけど、母が悪いわけじゃないのだ。悪いのはすべて、私なのだ。


罪の意識が胸の中で黒くもやもやしたものに形を変える。


「早く働きなさいね。男は、働いていないと意味ないんだから」


歩く足が、止まる。


意味がない。働いていないと、意味がない。


それは今の私が心の奥底で考えていたことだ。

働かないと意味がない。

働けないと意味がない。


職場に迷惑をかけてのうのうと生きているなんて、なんて恩知らずのひどい奴なんだろうか。


早く治さないといけないのに。早く元に戻らないといけないのに。


なのに今、どうして私はこんな自堕落な生き方をしているのだろうか。


昼ごろに起きて、ゲームをするか、ただ天井を眺めているだけの日々。


それに、どんな意味があるんだろうか。


「ちょっと? 聞こえてるの?」

「……わかっているよ」

「本当にわかってる?じゃあ、早く治しなさいね」

「うん、うん。わかったから」


通話が切れると、今まで我慢していたものがあふれ出るように、黒い感情が全身を覆い、何十キロもの重りが乗ったように感じた。


その理由が、暗く重くなった心にあることも、自覚している。


身体が重い。胸が苦しい。息苦しい。

様々な負の感情が胸の内側から湧き上がり、思考を阻害していく。


ああ、このまま消えてしまいたい。


そんな気持ちが大きくなっていくのを感じる。


足に力が入らない。


このまま倒れこんでしまいたい。


だけど、今倒れたら色んな人に迷惑をかけてしまう。


だから、倒れるなら家の中だ。


「……帰らないと。迷惑は、かけられない」


そうつぶやき、いつもの倍近い時間をかけて、家路に続く道を歩く。


家につくと、靴のまま玄関で倒れるように床に這いつくばった。


少しだけキレイにしていてよかった。


そんな場違いなことを考え、また自己嫌悪に陥る。


それから私は、這うようにして布団の中へと転がりこんだ。


それから、寝るでもなく起きるでもなく、ただじっと、この苦しみが消え去るのを待っていた。


夕食は、食欲が無かったので抜いた。


お風呂も、シャワーを浴びる元気も無かったので、入らなかった。


ライブは、その日初めて休んだ。


サクマさんへの連絡だけは、なんとかできた。


『ごめんなさい。今日は休みます』


理由も何もない、シンプルな一言。


だけど、これ以上何か言葉を考えるだけの思考ができない。

送るだけ送って、スマホを布団の脇に置いておく。


何度か返事が来た音がなっていたような気もしたけど、見る元気は、無かった。



〇   〇   〇   〇   〇



この病気を発症したのは、数週間前のことだ。


原因は分からない。たぶん、心が折れてしまったのだろう。


当時、私には生きる目的がなかった。やりたいことも、叶えたい願いもなかった。


ただ漫然と、惰性で毎日をすごしていた。


仕事だって、働かなくちゃいけないから働いていた。生きていなくてはいけないから、生きていた。しなくてはいけないことをこなしながら、毎日を生きていた。


そんな日々でも、上手く行っていた。


上手く行っていると、思っていたんだ。


だけどふと、思ってしまった。この毎日は、後何年続くのだろうか、と。


やるべきことだけをやって、やりたいことなど何もない人生が、後何十年続くのか、と。


そう考えたら、怖くなった。


生きていることが、怖くなった。


だから、しんどくなった。


出勤すること、働くこと、食べること、寝ること。

生きること全てが、嫌になった。


嫌になったら、どんどんと、できなくなっていった。

できなくなって、だけど迷惑をかけられないからと頑張って。だけど身体がついてこなくて。


心も、身体も、思考すらも。自分自身で制御できなくなっていった。


私が病院にかけこめたのは、食事を取らない日が3日続き、職場で倒れた時だ。


その日から私は、病名と共に自宅で安静にする日々を送ることになった。


だけど、家族には私の不養生だと罵られた。


私は、どうすればよかったのだろう。



〇   〇   〇   〇   〇



気づくと、夜が明けていた。


眠っていたのかまどろんでいたのかさえ分からない。


ただ、昨日に比べれば、幾分か気分が晴れやかになっていた。


少し眠って、気が晴れたのかもしれない。


だけど、胸に去来したものは安堵よりも自分自身への嫌気だった。


こんな身体になってしまったことに、どうして、という黒い感情が湧きあがってくる。


「駄目だ駄目だ。こんな気持ち、持ってちゃだめだ」


握った拳で頭を何度も叩き、気持ちを落ち着かせる。


痛みが、少しだけ理性を回復させてくれた。


そう言えば、昨日は何か連絡が来ていたような気がする。


そう思いスマホを手に取るが、画面が映らない。


「あ~、充電してなかったか」


充電器に差し込む。


その間に食事でもしよう。


食欲はまだない。けど、昨晩は何も食べていなかったのだ。流石に何かを口にしなけれど、動くこともままならない。


賞味期限がギリギリになった食パンを、インスタントスープで流し込む。


正直、今は食事に興味が持てないし、今口にしているものが美味しいのかさえよくわからない。ただ、胃の中に食べ物を流し込むことだけに意識を向けていた。


5分程度で終わらせた朝食の後、改めてスマホを手に取る。


電源がつく程度には充電できてたらしい。液晶画面に光が灯り、止まっていた通知が鳴り出した。


スパムメール、いつ登録したのか覚えていないメルマガの通知に混じって、サクマさんから返信が届いていることに気が付いた。


『急にお休みって珍しいね。体調でもくずしちゃった? 大丈夫』


こちらを気遣うメールに、申し訳なさが先にでてしまう。


遅くなったが、返事を返す。


『すみません。もう大丈夫です。心配おかけしました』


返信をして、スマホを充電器に戻す前に、通知音がなる。


確認すると、サクマさんからだ。返信、早いんだな。


『大丈夫って、本当に? 昨日はあれから返信も無くて、心配したんだよー』

『本当にすみません。次は行けますから大丈夫です』

『そういうことじゃなくて。君が心配なんだよワタシは』


どうしてサクマさんは、私の欲しい言葉を言ってくれるんだろう。


家族にもらえなかった労わりの感情が、サクマさんのメールから感じられる。


甘えてしまいたい。吐き出してしまいたい。


自分が抱えているものについて、全てしゃべって楽になりたい。


でも、そこまで甘えられない。


彼女は、他人だ。


VRという少し特殊な場所で出会っただけの他人にすぎない。


だけど、ああ、だけど。


どうしてこんなにも、彼女に甘えたくなってしまうのだろうか。


スマホが震える。


私が返信する前に、サクマさんが送ってきてくれたらしい。


『体調には問題ないんだよね。じゃあ、今日会える?』


会ったら、甘えてしまいたくなる。だから、会いたくない。

だけど、今はひどく、独りが心細い。


迷惑をかけることになるであろうことに対する申し訳なさと、彼女と会えることに対するうれしさが葛藤する。


悩んで、悩んで、悩んだ。


30分悩み続け、結局ーー


『大丈夫です』


淡泊な一文で、彼女と会うことを決めたのだった。



〇   〇   〇   〇   〇



「ごめんごめん。またせちゃったかな」

「いえ、全然」

「うっそだー。20分前にはインしてたじゃん」

「それは……私が暇なのが悪いんですよ」

「悪いことじゃないと思うけどなー」


その日の夜。私はいつものVR空間でサクマさんと相対していた。


いつもの新宿駅ではない。森の中にある湖畔のワールドだった。


周囲にはキャンプ道具が並べられており、空には満月が浮かんでいる。


サクマさんの選んだワールドだけど、とても静かな場所だ。


「ここはさ、演奏の練習をするのに使っているワールドなんだ。静かできれいで、いいところでしょ」

「はい。キレイなところだと思います」

「でしょでしょ~」


ニコニコとした笑顔を私に向けるサクマさんを見ていると、申し訳ない気持ちが湧きあがってくる。


自分がサクマさんの大切な場所に踏み入れてしまったこと。

ここまでしてくれる彼女に、何も返せていないこと。


何より、自分のような何もできない存在に、時間を使わせてしまっていることが、ひどく、申し訳ない。


「ねぇ? リアルで何かあった?」


急に核心に切り込む彼女の言葉に、ドキリとする。


「どうして……?」

「なんとなく? けど、何かがあったんだろうなって思っているよ」

「そんなに、私の表情ってわかりやすいですかね」

「私が、ラクガンくんをずっと見ていたから、だよ」

「見ても、おもしろいことなんかありませんよ」

「むふふ、そうでもないよ〜」


彼女は手を後ろに組んだまま、私に笑いかける。


「ライブの時はワタシより先にインスタンスに入って場所取りをしているし、お願いしてる写真だってキレイに取ってくれてる。あれ、かなり吟味してるでしょ? いっぱい写真撮ってるのに、届く枚数が少ないから、すぐわかっちゃった」

「それは、サクマさんに任されたからですよ」

「そうかもね。でも、そういうまじめなところとか、真剣なところを見ていると、ああ、この人はこんなに私のために動いてくれるんだぁって、うれしくなっちゃうんだ」


全く、予想外の反応だった。

自分は、出来ないなりに頑張ってはいた。いたけれども、そこまで評価されるものではないと思っていた。


素人の写真で、素人の付き添い。迷惑をかけないように、ということばかり考えていた。


だけどサクマさんにとって、この邪魔かもしれない行為に、きちんと評価をくれた。


それがひどく、うれしかった。


「そんなラクガン君が、急に理由も言わずに休むだなんて、何かあったのかなって思って当然じゃない」

「……すみません」

「怒っているわけじゃないよ。ただ心配なだけ」


そんなサクマさんを心配させてしまったことに、やはり、申し訳なさを感じてしまう。


だけどサクマさんは、もっと驚くようなことを告げてきた。


「だって君は、私を救ってくれた人だからね」


一瞬、誰のことを言っているのか分からなかった。


救う? 誰が? ……誰を?


「君だよ、ラクガン君。君が私を救ってくれたんだ」

「救うなんて、私は、何も」

「君がライブを聴きに来てくれた日はね。私にとって最後のライブになる予定だったんだよ」

「最後、ですか?」

「そっ。観客がだれもいないライブなんて、寂しくて辛いだけだったしね。一週間がんばった。けど、集まらなかった」


サクマさんはなんて事ないように話す。


だけど私にとっては予想外で、開いた口が塞がらなかった。


「だからあの日、だれも来なかったら止めようと思ってたんだ。音楽を辞めて、この世界からもさよならして、現実で面白くもない日々を過ごそうと思っていたんだよ」


だけど彼女の言葉は真剣そのものでーー


「それなのに、君が聴きにきてくれた。それだけじゃない。私の下手な演奏を、褒めてくれた」


私がしたことが、あの日から私がやったことがーー


「嬉しかったんだ、すごく。ライブやってて良かったと思った。音楽、辞めないで良かったと思った」

「そして次の日も来てくれた。それに、アドバイスもくれたね。ワタシ、ライブって言うからには歌がないといけないと思っていたから、予想外のアドバイスだったんだよ」


ちゃんと、誰かの力になっていたのだとーー


「アドバイス通りにしたらまた人が増えた。また、私に楽しい思い出をくれた。だからまだ、私はこうして音楽を続けられている。ワタシにとって君は、暗闇から救ってくれた救世主だったんだ」


ーー知ることが、できた。


「そんな君が、何か苦しそうにしている。だから、力になりたいんだ」

「……そう言ってもらえるだけで、私にとっては充分救われてますよ」

「ワタシはまだ、何も返していないよ?」

「いいえ、充分に返してくれています」


自分が、必要だと言われること。

自分が、誰かの力になれていたということ。


それだけで、救われた。


ああ、そうか。そうだったのか。


私はただ、誰かの力になりたかった。


誰かのために生きている実感が欲しかっただけなのだ。


それが今、手に入った。


いや、既に手のひらの中にあったことに今、気づいた。


だからもう、私は、救われていたのだ。


「だから、サクマさん」

「なぁに、ラクガン君」

「まだ私は、あなたのそばにいて、いいですか?」


彼女は、笑顔で応えてくれた。


「もちろんだよ、ラクガン君。ワタシには、君が必要なんだ」



〇   〇   〇   〇   〇



VRSNS『E2』は今日もにぎわっていた。その中でも常に人であふれかえっているのは、新宿駅南口を再現したバーチャル新宿駅。


目の前には国道20号線が通っており、国道を挟んだ向かいには、バスタ新宿も再現されている。


ここには今日も、路上ライブをする人と、演奏を聴きに来る人であふれている。


そんな場所の一角。ワールドの隅の隅。


そこに小さな人だかりが形成されつつあった。


ひとりは海のような深い青色の髪とピンク色の瞳が特徴的な少女のアバターを身にまとい、もう一人は目元の泣きほくろが特徴的な、優しそうな顔立ちの男性アバターが立っていた。


「今日も楽しもう、ラクガン君っ」

「はい、サクマさん」


そして今日もまた、演奏が始まるのだった。

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アナタのためのソナタ レンフリー @renfree

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