アナタのためのソナタ

レンフリー

第1話

目を開けると、見慣れた乳白色の天井が目の前に広がっていた。


眠りすぎてぼんやりとする思考のまま、ベッド脇に置いたスマホに手を伸ばす。


手の感触だけを頼りに充電コードを抜くと、ブルーライトの光が顔全体を照らした。


10:48


スマホの画面には、出社するには絶望的な時刻が表示されていた。


一瞬、まずいという考えがよぎったが、すぐに現状を思い出し、持ち上げた頭を枕に落とした。


そうだ、今は休んでるんだった。


医師から言い渡された、治療のための長い長いお休み。


少しでも有効活用しようと思っていたが、現状はこのざまだ。


朝は起きれない。食べるものはコンビニ弁当かスーパーの惣菜。

ゴミ出しは何度も忘れ、身だしなみを整える気力すら沸かない。


まともに生活すらできない、ダメ人間のような生活を送っている。


それもこれも、起きていてもやりたいことがないからだ。


会いに行ける友人がいなければ、やりたいと思う趣味もない。

テレビもパソコンもあるにはあるが、見たい番組もやりたいゲームも思いつかない。


つまりはまあ、暇を持て余しているわけだ。


「何か面白いことないかなぁ」


自分の声も久しぶりに聞いた気がする。

そのくらい、人と会話することもなかった。


このままだと、自分は引きこもって惰眠をむさぼるだけの家畜になり下がってしまう。

そう思っても、身体も心も、起き上がることを拒絶する。


与えられるのは、やることのない膨大な時間だけ。


自分のせいとは言え、社会に取り残されている気がしてならない。


「そういえば......」


少し前に、連絡をくれた友人のことを思い出す。


まだ私が長い休みに入る前。

たまたま私の勤める会社近くに用があったというので、一緒に飲みに行ったんだ。


ちょっとした近況を報告しあった後、なにかのゲームに誘われた、ような気がする。


何のゲームに誘われたのかまでは覚えていないが、誘われたことだけは覚えている。


「今さらだけど、誘いに乗ってみるかな」


私は上半身だけをベッドからゆっくりと起こすと、メッセージアプリを起動した。


この時、私は知らなかった。

この連絡が、私の人生をひっくり返すことになるだなんて――。



〇   〇   〇   〇   〇



「よう! 久しぶりだな、ラクガン」

「少し前にチャットで連絡したばかりだろ。えい――」

「おっと。この世界、『Eternal Eden』、通称『E2』の中では『らっきょ』と呼んでくれたまえ。リアルの名前は出すなよ?」

「⋯⋯りょうかい、らっきょ」


連絡を取ってから数日後。私は何故か、友人であるらっきょに頭につける変な機械を買わされ、バーチャル・リアリティ、所謂VRの世界に足を踏み入れることとなった。


いや、なんで?


「いや〜、嬉しいねぇ。ラクガンがVRに興味を持ってくれて」

「興味を持ったわけじゃ⋯⋯。時間ができたから、前に誘ってくれたゲームに付き合うと言っただけだよ」

「でも、買ってくれたじゃん。HMD(ヘッドマウントディスプレイ)」

「頭に付ける機械のこと? まあ、買えるだけのお金はあったしね」

「なくても遊べるけど、あった方がより臨場感あふれるからな。むしろ、VRの本質はHMDを被らないとわからないとさえ言っても過言ではないだろう」

「そんな大げさな……」


ニッコニッコな笑顔で詰め寄ってくるらっきょから目を離し、周囲を見渡す。


たくさんの高層ビルが道に沿って整然と立ち並び、空中には電光掲示板が浮かんでいる。そしてはるか上空では、何頭ものクジラが優雅に空を泳いでいた。


まるで近未来を舞台にしたアニメかゲームの舞台だ。


空想の世界に迷い込んだような気がして、乾ききった心が潤い、少しだけソワソワとした気持ちが溢れ出そうになる。


けど、その前に。聞かなければいけないことがある。


「どうして君は、女の子の格好をしているんだ?」


私の記憶が正しければ、友人であるらっきょは自他共に認める男性だったはずだ。


だけど今、目の前にいるらっきょは、何故か女性の姿になっていた。


「どうせなら可愛い方がいいじゃん」

「けど、自分の分身だろ? リアルの性別と同じアバターを作るのが良いんじゃないの?」

「せっかくの仮想世界、リアルに縛られる必要はないのだよ?」


可愛らしいポーズを取るらっきょを、改めて見る。


アニメから抜け出してきたような白い髪は太ももまで伸び、動きに合わせてゆらゆらと揺れている。

サメのような大きな尾びれが髪の毛と共に揺れている様は、犬や猫を思わせる。


身長は私のアバターの胸くらいまでしかなく、顔立ちも少し幼い。


そんな美少女が、黄色いツリ目でこちらをジッと見つめたかと思えば、ギザ歯を見せながら二カッと笑う。


くやしいけど確かに、可愛い。


でも、中身は男だ。血迷うな、私。


「折角なら、ラクガンも女の子でアバターを作り直したらどうだ?」

「いや、私は男のままでいい」

「えー。楽しいのに」

「そこまで割り切れないよ」

「まあいいか。ラクガンのアバターもカッコよく仕上がっているしな」


笑いながらサムズアップするらっきょの言葉に導かれるように、私は近くに備え付けてあった鏡で自分の姿を見た。


茶髪の、目元の泣きほくろが特徴的な、優しそうな顔立ちの男性だ。


らっきょの女性アバターに比べると、顔は少し小さいだろうか。

もしくは、すらりとした身長のせいで、顔が小さく見えているだけなのかもしれない。


汎用アバターを少しいじっただけだが、すごくカッコよく見える。


カッコよすぎて、今更ながらに使うことに気後れしてしまいそうだ。


「普通のゲームで使う分には、カッコよさなんてそこまで意識しないんだけどね」

「気恥ずかしいか? 最初はそんなもんだよ」

「女性アバター使っている人の言葉とは思えないね」

「慣れれば癖になるぜ~」


そりゃまぁ君はそうだろう。今も私の隣で可愛いポーズを取って遊んでいるんだから。


というか、だ。


「そろそろ、これがどういうゲームなのか教えてほしいんだけど?」

「どういうゲームかって?」

「ほら、メインストーリーがあるのかとか、何をすればクリア扱いになるのかとか」


ゲームというからには、目的があるはずだ。

そう思いらっきょに訪ねたのだがーー。


「ねぇぞ。んなもん」

「はい?」


らっきょからは、予想外すぎる答えが返ってきた。


「ストーリーもクリア目標もなし。うーん、なんて言えばいいんだろう」


らっきょは腕を組みながらうんうん唸る。

そして、何か思いついたかのようにポンと手を叩いた。


「これはさ、VRを使ったSNSなんだよ」

「SNSって、青い鳥とかショート動画の奴とか?」

「そう。ネットを利用したコミュニケーション手段。その中でもVRを活用したものが、この『E2』だ」

「普通のSNSでもコミュニケーションはとれるけど、それとは違うの?」

「質が違う。文字だけの交流じゃなくて、声や身振り手振りを使って交流できるんだぜ。しかも、自分好みのアバターに変身して、な」


にやりと笑ってキメ顔を見せつけてくるらっきょを見て、なんとなくだが言いたいことがわかってきた。


文字や音声だけでもコミュニケーションは取れる。だけど、細かいニュアンスの違いや言葉で言い表しづらいニュアンスの情報は伝えられない。


けど、このVRの世界であれば、それが伝えられる。だって、アバターという身体を持っているから。


自分の代わりにアバターが身振り手振り、表情で言葉だけでは伝えきれない表現をカバーしてくれる。


それが、VRでのSNSの良さ、なのだろう。


「すごいぞ。全世界数千万人が利用していて、日本でも少しずつ人気が出始めている。話題の最新鋭だ」

「ゲームと聞いて遊びにきたんだけど……」

「もちろん、ゲームで遊ぶこともできるぞ。けど、その前に色々とできることを紹介しておいた方が良いと思ってな」


いらずら小僧のように、らっきょのアバターがにやりと笑う。


「すごいぞここは。SNSと言ったけど、ゲームの質もワールドの質も、そんじょそこらのゲームの比にならないくらいすっげぇから」


私はらっきょの笑顔につられるように、笑顔を返した。


「期待するよ。せっかく高いお金を出して買ったんだしね」

「おう期待しな。没入感ですごいことになるからな。大声出してもしらねぇぞ」

「それは勘弁。部屋の壁、そこまで厚いわけじゃないんだよ」



〇   〇   〇   〇   〇



そこから私は、らっきょに様々な場所、ワールドと言うらしい、を案内をしてもらった。


和のテイストをふんだんに取り入れた幻想的な神社。

サイバーパンクを意識したような、ギラギラとしたネオンがひしめく夜の歓楽街。

月面に作られた宇宙人の拠点も案内してもらった。


らっきょのおすすめというだけあって、どれもすごい世界、もといワールドだった。360度どこを見ても作りこまれていて、本当にこんな場所が現実に存在しているかのようなリアリティがあった。


手を伸ばせば石の質感を感じ、一歩歩けばコンクリートを踏みしめる感触を感じ、低重力の世界を本格的に楽しめる、夢のような世界。


だけど、どうしてだろう。


楽しくはある。あるのだけれど、いまいち乗り切れない自分がいる。


退屈なわけではない。つまらないわけでもない。きれいで素敵で未知に満ちている。すごいものを見せられていることは理解できる。心だって踊ることがある。


だけど、冷静な自分が、これは幻だと告げてくる。


これは作り物で、偽物。


自分と同じ、紛い物だと突き付けてくる。


きっと、この世界のせいでも、ましてや友人であるらっきょのセンスが悪いわけでもない。


ただ単に、私の心がおかしくなっているから、心から楽しめないのだろう。


それがすごく、心苦しい。


「どうだ? すっごいところだろ!」

「うん、すごい。すごい場所だよ」

「……おもしろくなかった、か?」

「そんなわけじゃないよ。本当に面白いと思っているよ」


いくつめかのワールドを巡り、今はどこかのホテルの一室のような場所で休みながら、興奮するらっきょに笑顔で返す。


不安そうな顔をさせてしまい、申し訳ない。本当に面白いと思っているんだよ。


だけど、どうしても心の声が止まってくれないだけなんだ。


ごめんね。


心の中で謝りながら、当たり障りのない理由を言い訳にする。


「だけど、本当に色々なワールドを見たからな。少し疲れちゃったのかも」

「あ~。確かにちょいとペースが早すぎたな。もしかしたらVR酔いでもしたか?」

「そこまでじゃないよ。けど、そろそろ良い時間じゃない?」

「マジで? うわっ! ホントだ!」


らっきょには悪いけど、私は彼ほどにこの世界にはハマれなかった。

きっと、らっきょに誘われて遊びに来ることはあっても、自発的に来ることはないだろう。


そう、思っていた。


「じゃ、最後に少し意匠を変えたものを見せて、今日は仕舞いにするか」


……私、良い時間って言ったよね?

まだ深夜と呼ぶには早いけど、結構遅い時間だよ?


「確かに、私はまだ起きていられるけど、らっきょは大丈夫なの? 明日、朝辛くない?」

「まさか。今からが一番活気づく時間だぜ?」

「マジか」

「おう、マジマジ」


笑いながら言い切るらっきょは、私には見えないメニュー画面を操作して、別ワールドへの通り道、ポータルを開く。


縦に長い楕円のポータルに描かれているのは、どこか見たことのある景色だ。


「これって……」

「すぐにわかるよ。さぁ、入った入った」


急かされるままに、私はポータルへ触れる。


世界が四角いポリゴン状に分解され、真っ青な空間に置き換わる。


目の前にはワールドのダウンロード状況を知らせるバーが、少しずつ伸びていく。


数十秒ほど立つと、そのバーが100%を示した。


視界は真っ白に染まり、つい、目を閉じてしまう。


目を開けると、そこには先ほどまでのホテルではなかった。


というか、見たことがある。この場所はーー


「ここって、新宿駅?」

「そ、リアルを再現したワールドってわけ」


そう、目の前に広がっているのは、新宿駅南口の風景であった。

目の前には国道20号線が通っており、国道を挟んだ向かいには、バスタ新宿も再現されている。


そしてここには、先程までいなかった人人人で溢れていた。


「さっきまで人がいなかったのに、どうしてこんなに人がいるの?」

「さっきまでは、フレンドしか入れない設定でワールドを立てていたんだよ。んで、ここは誰でも入ることのできる公共(パブリック)エリアに参加したってわけ」

「見せたかったのは、この人混み?」

「まさか。ほら、聞こえてくるだろう?」


何を、と聞く前に聞こえてくるものがあった。


それはギターの音。ギターのリズミカルな音に合わせるように、誰かの歌声が響く。


地面に座り込んだ人ごみの先で、いかついタトゥーを全身に刻んでいる男性アバターが、ギターを片手に弾き語りをしていた。


周囲を見渡せば、同じように座り込んでいる人と、楽器を持つ人達があたりに点在している。


つまり、ここはー。


「ストリートミュージシャンがいるの?」

「そう。常に誰かが歌ったり演奏したりする。そういう場所だ」

「みんな、有名な人なの?」

「まさか。アマチュアばっかりだよ」


でも、楽しい雰囲気だろ。そう言いたげな顔でらっきょは私を横目で見る。


その顔に応えるように、笑顔を返す。


私は改めて、周囲を見渡す。


会話の声は聞こえない。ただ、歌声と楽器の音だけが響いている。


観客は目を閉じて浸っている人もいれば、カメラを持って演奏風景を撮っている人もいて様々だ。


だけどみんな、誰かの演奏に熱中していた。


確かに、悪くない。悪くない雰囲気だ。


先程までの綺麗なワールドも悪くはなかった。


だけど、このワールドは、ここで音楽を聴くことは、綺麗なワールドを眺めているのとはまた違った感覚がある。


私は今、ここでちゃんと生きている。


この不特定多数の中の一人として、社会の中に確かに存在している。


そう思えて、少しだけ、心地が良かった。


私はらっきょと共に、ストリートライブの会場をぐるりと一周することにした。


「複数人が一緒にライブをしているんだね」

「おう。音の距離減衰効果で、少し離れるだけで隣の音が聞こえなくなるからな。つっても、一緒にできて6組くらいじゃないか」


本当にいろんなライブがある。


複数人で組んだ本格的なバンドや、ラジカセを持ち込んでのボーカルだけのライブ。


楽器も様々だ。メジャーなギターやDJ機器を持ち込んでいる人。どこの国の楽器かもわからないもので演奏をしている人もいる。


観客の多い少ないはあれど、どの演奏にも聞いている人がいて、どこも活気にあふれている。


聞いているだけで、沈んでいる心が強制的に上がってくる。


なんというか、楽しい空間だ。熱気に溢れた場所、と言ってもいいかもしれない。


「あれ? ここだけ人がいないね」

「ありゃホントだ」


そんな時、一箇所だけ不自然に空いている空間があった。


そこはバスタ新宿側の歩道。マルイ方面に向かう道の途中。車止めのようなもので通行止めがされている、ワールドの端。


そこで、一人の女性アバターが、ピアノの弾き語りを行っていた。


不思議と絵になる光景だった。


白のオーバーサイズのTシャツに黒いジャージズボンというストリートファッションに身を包んだ女性が、脚のついた電子ピアノを演奏していた。


歌声はきれいなソプラノ。女性らしく澄んだ、綺麗な歌声だ。


ピアノの鍵盤を見ながら歌う彼女の顔は、海のような深い青色の髪にさえぎられて見えない。


それでもなお、静かに歌うその姿は、とても絵になる光景であった。


最もその歌はーー


「……なんというか、たどたどしいな」

「言わないであげなよ。いや、まぁ……うん」

「何か言ってやれよ」

「察して」


音楽に詳しくないので、この演奏がうまいのか下手なのかはよくわからない。


けど、時折演奏が止まっているところや、自信なさげな歌声から、まぁ、あまり上手くはないのだろう。


そもそも、目線が合わない。ライブしているのに観客と目線が合わないのは良いのだろうか?


そんな事を考えてしまう。


そういう状況を鑑みれば、彼女の周りに人がいないのも納得してしまう。


けどーー


「ライブ始めたばかりならこんなもんじゃね? 他のも聞きに行こうぜ」

「あ~~、先に行ってて。私はもうちょっと、聞いてるから」

「……ナンパでもする気か?」

「なんでそうなるの?」

「いやだって、ぶっちゃけ他の人の演奏の方がすごいじゃん。なんでこの人の演奏を聞きたいんだ?」


本人を目の前にしてよく言うよ。


けど確かに、らっきょの言う通りだ。


彼女よりも上手い人はたくさんいた。というか、ここにいる人の中で彼女の演奏が一番劣っていると思う。


だけど、なぜか惹かれてしまう。


何故かは分からない。だれも観客がいないことへの同情なのかもしれないし、彼女を通して別の何かを見ているのかもしれない。


ただ、放っておくのは嫌だと思った。彼女を置いてこの場を立ち去ることは、自分の何かを否定するようで、何故かできない事だと思った。


私はらっきょを置いて演奏が良く聞こえる位置まで近づき、彼女のライブに耳を傾ける。


やっぱり、上手いとは思えない。


歌詞に惹かれるものもなければ、歌声に惹かれるわけでもない。


容姿は優れているのかもしれないが、ここにいる人はみんな容姿に優れている。そもそも、顔は髪の毛で隠れていて見えやしない。


それでも、何故か彼女の演奏に聞き入ってしまう。


他の人と何が違うのだろう。


先ほど聞いた人たちの演奏風景を思い出す。


そして気付く、彼女と他の人達の違い。


彼女には、余裕がないのだ。


他の人は、何か余裕があったように思う。


時折観客の方を見ては、笑いかけたり反応を探りながらライブを披露していた。


それは演奏に対する観客の反応を観察し、より反応の良い演奏や曲調に変えるためのもの、なのかもしれない。


だけど彼女は、こちらを見ない。見る余裕もなさそうだ。


ただ、目の前のキーボードに、歌に、必死になっている。


その姿に、どこか見覚えがある。


それは、毎日遅くまで残業をしていた自分だ。


誰にも頼ることができず、ひとりデスクにかじりついて仕事を進めていた自分だ。


あの時の悔しさやしんどさ、疑問や孤独が、今、ありありと思い浮かぶ。


そして時折感じるのだ。今、自分は何のために頑張っているのだろうか、と。


彼女も今、そんな思いを感じているのだろうか。


それとも、そんなことが気にならないくらい、集中しているのだろうか。


聞き始めてから数分。演奏が終わる。


私は自然と、拍手を送っていた。


反応があるとは思わなかったのだろう。彼女の肩が驚きで飛び上がる。


そしてようやく、私の方を見た。


「ーーえ?」


私たちの方を見て、ピンク色の瞳を大きく見開く。


ライブをしているのに、観客がいるとは思わなかったのだろうか……。


ただ、そういう反応をされるとこちらも困ってしまう。


なんというか、このまま何も言わないのもおかしいだろう。けど、こういう時って何て言えば良いんだ?

らっきょに助けを求めようにも、彼は私の後方にいる。


「演奏、良かったです」


結局、私の口からは当たり障りの無い言葉しか出てこなかった。


こんな言葉しか出てこない自分が嫌になる。

でも、彼女にとってはそれで十分らしい。


起き上がりこぼしのように、何度も何度もぺこぺこと頭を下げてくる。


「わ、ワタシなんかの拙い演奏を聞いてくれて、ありがとうございます」


彼女も自覚があったようだ。実際、上手いとは言えない出来だと思う。


だけどーー


「いえ。勇気、もらえましたから」


これは、本心だ。


あの日のような夜を迎えているのは自分だけじゃない。自分と同じような感情をもって頑張っている人が、仲間がいる。そう思うだけで、少しだけ心が軽くなった。


「演奏、聴かせてくれてありがとうございます」


本心からのお礼。


彼女は、笑顔を作ることで応えてくれたのだった。

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