第2話 名前を呼ぶ声
認証リングは、確かにユウ=アラタの指にはまっていた。
銀色のリングが示すのは、
――正式な星骸適合者であるという証。
けれど、それを見た人々の反応は、
彼が思い描いていたものとは、少し違っていた。
学院の通路ですれ違う訓練生たちは、
一瞬だけユウを見て、すぐに視線を逸らす。
声をかけてくる者はいない。
祝福の言葉も、労いもなかった。
市民区画でも同じだった。
リングに気づいた人々は、距離を取るように道を空ける。
それは敬意ではなく、警戒だった。
――認められたはずなのに。
胸の奥に、小さな違和感が残る。
公には伏せられている。
だが、噂は噂として、すでに都市のどこかを巡っているようだった。
「出力が異常らしい」
「近づかない方がいい」
そんな断片的な言葉だけが、
ユウの背中に、見えない影を落としていく。
――世界は、何も変わっていない。
そう思った、その時だった。
高層通路を歩いていたユウの前に、ひとりの少年が立ちはだかった。
年齢は、ユウよりいくつか下だろう。
だが、身につけている制服は明らかに特別製で、
肩口には都市上層の紋章が刻まれている。
背後には、小型の護衛ドローンが静かに浮かんでいた。
「へえ……それが認証リングか」
少年は、わざとらしくユウを見上げて言った。
名前は、ルカ=ヴァレン。
その名を聞けば、都市に住む者なら誰もが分かる。
現3代目都市統括官の血縁者。
生まれた時から、特別な立場を与えられた存在。
ルカは胸を張り、誇らしげに笑った。
だが、その声はどこか軽く、空っぽにも聞こえた。
「まあ、すごいじゃないか。
問題児が、正式な適合者だなんて」
嫌味とも、羨望ともつかない言い方だった。
ユウは答えず、ただ少年を見返す。
その瞬間、ふたりの立場が、奇妙な形で重なって見えた。
ユウ=アラタ。
力を持ちすぎたせいで、恐れられる存在。
ルカ=ヴァレン。
立場を持ちすぎたせいで、縛られている存在。
片方は、力ゆえに孤独になり。
もう片方は、肩書きゆえに孤独になっている。
同じ都市にいながら、
まったく違う場所で、似た孤独を抱えた二人だった。
――正しく認められるって、どういうことなんだろうな。
ユウは、そんなことを考えながら、
目の前の少年と向き合っていた。
ルカ=ヴァレンは、しばらくユウを見つめたまま、口を閉ざしていた。
さっきまでの尊大な態度が、ほんの少しだけ揺らいでいる。
やがて、吐き出すように言った。
「……どうせ俺は、“ヴァレン家”だ」
その声は、思ったよりも低かった。
「名前なんて関係ない。
どうせ最初から、期待されてる役割は決まってる」
未来の都市統括官。
評議会の象徴。
次代を担う存在。
それは祝福の言葉として語られるが、
ルカにとっては、逃げ場のない枠だった。
「夢とかさ……考えたこともない」
「やりたいことがあっても、意味ないだろ」
ルカは、強がるように笑った。
「どうせ、俺は“選ばれる側”なんだから」
その言葉の端々に、
ユウははっきりとした苛立ちを感じ取った。
――自由なやつが、気に食わない。
自分は、最初から決められた道を歩かされているのに。
なのに目の前のこの男は、
恐れられながらも、自分の足で立っている。
「……ムカつくんだよ」
ルカは、視線を逸らして言った。
「お前みたいなのがさ。
何も背負ってない顔して、歩いてるのが」
ユウは、少しだけ眉をひそめた。
だが、怒った様子はなかった。
「背負ってないわけないだろ」
そう言って、ユウは肩をすくめる。
「ただ、他人に決めさせてないだけだ」
ルカが、はっとして顔を上げる。
ユウは続けた。
「お前さ。
名前で呼ばれたこと、あるか?」
思いがけない問いに、ルカは言葉を失った。
3代目都市統括官の血縁。
ヴァレン家の後継。
評議会の象徴。
――呼ばれてきたのは、いつも肩書きだった。
「……」
答えられないルカを見て、
ユウはそれ以上、踏み込まなかった。
子ども扱いもしない。
血縁で判断もしない。
ただ、ひとりの人間として、向き合っている。
それが、ルカには分かった。
その空気を、切り裂くように。
「――不適切だな」
低く、抑揚のない声が響いた。
二人が振り向くと、
通路の奥に、黒いコートをまとった男が立っていた。
評議会直属。
監察官――エビス=グレイ。
冷たい視線が、まずルカに向けられる。
「君は、都市の未来だ。
こんな場所で、無為な会話をする存在じゃない」
それは諭す声ではなかった。
命令に近い。
次に、その視線がユウへと移る。
「……そして君は、管理対象だ」
エビスの目が、認証リングを一瞬だけ捉える。
「星骸適合者ユウ=アラタ。
出力異常、過去に複数の問題行動あり」
淡々と、事実だけを並べる。
「君のような存在が、
次代の象徴に影響を与えることは好ましくない」
排除。
その意図は、はっきりしていた。
ユウは、エビスを見返す。
「ルカは、物じゃない」
静かな声だった。
「管理されるために、生きてるわけでもない」
エビスは、感情を動かさずに答える。
「意志は、秩序の後だ」
「秩序が崩れれば、都市は壊れる」
管理と秩序。
意志と選択。
相容れない価値観が、
この場で、静かにぶつかり合っていた。
ルカは、二人の間に立ち尽くしながら、
初めて思った。
――俺は、どっちを見てるんだ?
監察官エビス=グレイは、一歩前に出た。
「理解してもらおう」
低く、感情のない声。
誰かを説得するというより、
結論を通告するための声だった。
「ルカ=ヴァレンは、都市の未来だ」
視線が、少年へと向けられる。
「個人の感情は、不要。
迷いは、統治の妨げになる」
続けて、ユウを見た。
「君のような不確定要素が、
彼の価値観に影響を与えることは許されない」
個性。
自由。
選択。
それらは、エビスの中では、
秩序を乱すノイズでしかなかった。
「未来とは、設計するものだ」
「偶然に委ねていいものじゃない」
ルカは、何も言えずに立っていた。
胸の奥に、重たい何かが落ちていく。
――やっぱり、そうなんだ。
その瞬間だった。
「……はは」
乾いた笑い声が、空気を切った。
ユウだった。
「すごいな。
そこまで自信満々に、人の人生を語れるの」
エビスの眉が、わずかに動く。
「挑発か?」
「いや」
ユウは、肩を回す。
「ただ、分かりやすいなって」
次の瞬間、
ユウの足元で、空間が揺らいだ。
「なっ――」
制御が甘い。
出力も、少し高い。
だが、止めなかった。
光が弾け、
ユウと同じ姿をした“何か”が現れる。
分身は、咳払いを一つして、
やけに大げさな身振りで胸を張った。
「――市民諸君」
声色は、妙に威厳めいている。
「都市の未来は、我々が管理する!」
「感情は不要! 個性は排除!」
「従え! それが幸福だ!」
通路に、妙な沈黙が落ちた。
分身はさらに続ける。
「君は未来だ!
だから考えるな!
感じるな!
……名前も、いらない!」
ルカが、思わず目を見開いた。
エビスの表情が、はっきりと歪む。
「……ふざけるな」
「ふざけてるのは、そっちだろ」
ユウは、分身を見ながら言った。
「こんなのが“未来”なら、
俺は要らないね」
分身は、大仰に敬礼すると、
ぱっと霧散した。
残ったのは、
静まり返った空気と、
胸の奥を揺さぶられた感情だけだった。
ユウは、ゆっくりとルカの前に立つ。
視線を合わせて、言う。
「なあ」
優しい声だった。
「誰かの未来になる前に、
お前は“お前”になれよ」
ルカの喉が、ひくりと鳴った。
都市の象徴。
ヴァレン家の血縁。
未来の統治者。
それらの言葉が、頭から滑り落ちていく。
「……」
そして、初めて。
「……俺は」
小さく、震えた声で。
「ルカだ」
名前を、口にした。
ただそれだけなのに、
胸の奥が、熱くなった。
エビスは、その様子を見て、
ゆっくりと息を吐いた。
「……実に、非効率だ」
だが、その言葉には、
先ほどまでの確信が、わずかに欠けていた。
制度と個人。
その衝突は、
この瞬間、はっきりと形になった。
しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。
通路に残っているのは、
冷えかけた緊張と、まだ揺れている感情だけだった。
ルカ=ヴァレンが、そっと息を吐く。
「……あんたさ」
ユウを見上げて、言う。
「無茶苦茶だな」
その声には、さっきまでの棘はなかった。
「でも……嫌いじゃない」
ルカは少し照れたように視線を逸らし、
それから、はっきりと言った。
「なあ。
しばらく……俺の面倒、見てくれよ」
それは、命令でも依頼でもない。
ただの、素直な言葉だった。
ユウは一瞬、きょとんとした顔をしてから、
肩をすくめる。
「勝手にしろよ」
「……それって、先輩としての返事か?」
「知らねえ。
でも、名前で呼ぶくらいは、する」
ルカの口元が、わずかに緩んだ。
その瞬間、
ユウ=アラタは気づいていなかった。
自分がもう、
誰かの進む方向を照らしていることに。
少し離れた場所。
都市中枢区画のモニターには、
通路の様子が静かに映し出されていた。
画面の前に立つのは、
現3代目都市統括官――アーク=ヴァレン。
無言のまま、
少年の背中と、その隣に立つユウを見つめている。
「……」
部下が、慎重に声をかける。
「監察官エビス=グレイより、報告が入っています。
星骸適合者ユウ=アラタは――」
「分かっている」
アークは、短く答えた。
危険な存在だ。
制御が難しい。
都市にとって、予測不能。
そう判断する理由はいくらでもあった。
だが。
モニターに映るルカの表情は、
今までに見たことのないものだった。
肩書きのない、
ただの少年の顔。
アークは、何も言わずに画面を消した。
肯定も、否定もしない。
それが、彼なりの答えだった。
ユウ=アラタは、帰路につきながら、
ふと空を見上げた。
相変わらず静かで、冷たい。
市民の視線は、まだ距離を保っている。
恐れも、噂も、消えてはいない。
ユウは、まだ孤独だ。
世界は、まだ彼を完全には受け入れていない。
それでも。
――ルカの言葉が、頭をよぎる。
「俺は、ルカだ」
その一言が、
なぜか胸の奥に、残っていた。
ユウは、小さく息を吐く。
「……まあ、悪くないか」
自分でも気づかないうちに、
誰かの人生に、足跡を残している。
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