第九話 事の発端はお前だろ
酷く冷えた空気に身を震わせた。
泡立った肌を抑えて、今一度ハッキリ告げる。
「聖杖、無くしたわ」
その言葉が落ちた瞬間、空気は完全に凍った。
「⋯どういう事?」
最初に反応したのはシタだった。
聞き返す声は低く、感情が追いついていないのがありありと分かる。
「無くした⋯って、どういう意味?」
「文字通りだよ」
短く答えると、今度はニールが一拍遅れて声を荒げた。
「ちょ、ちょっと待ってください!!?無くしたって、あの聖杖をですか!?」
「え、う、うん⋯」
その荒げぶりに俺は思わず身を引きたじろいだが、
ニールは頭を抱えてその場を行ったり来たりし始める。
「国宝級ですよ!?あれがないって事は、今後の戦闘で———」
「少し落ち着きなさい」
そんなニールを、シタが強めに遮った。
「〝無くした〟の詳細を聞いていないわ。落としたのか、奪われたのか。それとも⋯」
一瞬の間。俺は一息ついて思い出す。
灼熱の戦いだった。咆哮が鼓膜を貫く中、生き延びる為に迷わず選んだ行動。
「光炎龍と戦った時に」
「うん」
「⋯囮として、投げ捨てた」
そう言った瞬間、凍りついた空気は一拍遅れて固まった。
確かに勇者崇高なニールにとって、今の発言は地雷だったかもしれない。
「⋯え?」
ニールの声が、間の抜けた音で転がる。
「あの⋯あの神聖な聖杖を⋯囮に⋯?」
「うん」
軽く頷いたつもりだったが、どうやらその温度差が良くなかったらしい。ニールは、言葉を失ったまま立ち尽くしている。
「⋯そんなに驚く事?」
ニールが肩を掴んで答える。
「貴方って方は⋯!!聖杖の価値を知らないんですね!?」
あんな只の木の枝になんの価値があると言うんだ。
「売り払えばあの杖は一生遊んで暮らせる大金になるんです!!そんな事絶対させませんが!!」
息を切らして叫ぶニールに俺は苦笑した。
だが、この世界の奴らが一生遊んで暮らせる大金って一体どんな桁なんだ⋯!?想像を遥かに凌駕するだろう。
考えたくもない。
段々と、事の重さに心が軋む音がする。
「勇者の武器は勇者以外に使えないのだから、
もし誰かが拾ったとしても、それはただの枝ね。慌てなくとも大丈夫よ」
そんな俺達に、シタは冷静そうに言った。
「そうですけどぉ⋯!」
「それに、瑠衣が杖を囮にしなければ死んでいた⋯そうでしょう?」
細めた瞳からこちらに視線を送られ、俺は大きく頷いた。
そうだ、そうだ。
その通りです。だから俺は悪くありません。
「たまに良いこと言うな、シタ」
嬉しそうにシタを褒める俺を見て、ニールは大袈裟に肩を落とした。
そして咳払いを一つして、思い出したように口にする。
「⋯覚えてる限りですけど」
視線を上げ、こちらを見る。
「僕の馴染みの古武器屋があるので、そこの店主に勇者様の武器を作ってほしいと依頼してみましょうか?」
ニールの言葉が出ると、場の空気が少しだけ落ち着いた。
さっきまでの騒ぎが嘘のように、三人共次に何をするべきか考え始めているのが分かる。
勇者専用の武器、という言い回しは大袈裟だか、武器が必要なのは事実だった。
腰に手をやると、そこに何もない感覚がハッキリと伝わってくる。
聖杖を手放してから、こうして意識するのは初めてかもしれない。
異世界を共にしてきたものが無くなれば普通はもう少し早く気付くものなのだろうか。
「って、簡単に言うけど⋯本当に頼めるのか?」
お前は何だか弱そうだし⋯という考えは消して疑問だけを口にすると、
ニールは小さく頷いた。
「店主は変わり者ですが、きっと僕の頼みなら聞き入れてくださると思います!」
言葉がやけに自信に満ちていて、俺はますます不安に駆られた。
変わり者、という前置きがつく時点で、嫌な予感しかしないのだ。
しかもニールは古武器屋だと言っていた。
すなわち—————頑固一徹で説教が長いおじさんか、
あるいは靴を並べなかったとか些細な事でネチネチと絡んでくる
職人気質の店主がいる⋯という事だ。
どっちに転んでも、胃が痛い。
俺の不安は一気にマックスまで膨れ上がった。
息をためていると、ニールは机の端に腰を下ろして軽く咳払いをした。
「まぁ何であれ、今日のうちに動いたほうが良いのは確かです」
「⋯何で?」
「古武器屋のある街は、この街から出るとなると一週間はかかるからです」
「いっ⋯」
思わず声をあげてしまう。そんな所を抑えて、飲み込む。
一週間⋯今から、一週間⋯意外と遠いな。
でも、この世界はそういう事もあるのか。
いや、そういう事の連続か。
目を閉じれば思い当たる節はいくらでもある。
地図一つ取っても曖昧で、距離感は日本にいた頃のそれとは全く違う。
規模が違う。
討伐に行く時はいつも馬車だし街道が荒れていると迂回を余儀なくされることもある。
毎度驚いていては身が持たないだろう。
一先ずはぁ、と力の抜けた溜息を零す。
「⋯そう」
俺と同じ事を聞いたであろうシタが、そう言って床に腰を下ろした。
長い髪が肩から前に流れ落ちるのも気にせず、黙々とブーツの留め具を確かめている。
締め直し、足首を動かして感触を確かめ始める。
ぼーっと見つめていると、「ふむ」と、納得いったのか静かに立ち上がった。
「では、早く出発しましょう」
「えー⋯」
やっぱり平坦な声だ。けれど、その指先は僅かに軽やかで
仕草の端々に高揚が滲んでいる。
いつも通り冷静で凛としているが、それでも分かる様になった。
確かにシタは興奮していた。
なんなんだこの女。今からする事の何処の何に高揚しているんだ?
ただの移動だろう。
「勇者様の準備が整い次第、宿を出ましょう。道中は食料の確保が困難ですから、今のうちに僕が調達してきます!」
「えーー⋯」
ニールはその様子を横目で見ながら、肩掛け鞄を抱え直した。
俺は意気揚々とするそいつと何故か乗り気のシタに取り残されながら、
呆然と薄っぺらい敷布団に鎮座していた。
この少しの温もりに包まれていたいのは確かだが、これも杖を無くした天罰なのかもしれない。
※
宿を出た瞬間、二人が荷を持って待っていた。
ニールは大袋に山盛りの食料を抱え、シタは革の鞄を担いでいた。
「⋯なんだよ、お前ら。ムカつく顔しやがって」
愚痴を吐き捨てながら二人の背中を越して進むと、「はて」と自身の頬を確かめるように揉んでいるニールが見える。
「馬車を取りましょう」
「そうですねっ、でも空いている馬車がありますでしょうか?真っ昼間ですからどこも出ている気が⋯」
キョロキョロと周囲を見渡しているニールは、心底純粋そうだった。
太陽の光に照らされて、余計に眩しく見える。
コイツを見ていると、何か心にくるものがあった。
羨ましさなのか妬みなのか知らないが、一体何なんだろうか。
唾を吐きかけたくなる。
(ケッ)
———。
「—————えっ?満席?」
ニールの困ったような声が、広場に大きく響いた。
真昼間ということもあり、武器屋のある街へ向かう馬車は
どれも既に予約済みらしい。
「ええっ⋯ど、どうしよう⋯」
地図を握り締めて途方に暮れるニールを見て、俺の良心がほんの少しだけ軋んだ。
「シタぁ、歩いて行ったらどんくらいかかる?」
「馬車を使って一週間なら、徒歩では最低一ヶ月ね」
「は!?それは無理!そこまでして武器要らねぇし!」
反射的に叫び、勢いのまま腕を大きく振る。
軋みかけた良心は、そこで完全に引っ込んだ。
一ヶ月。数字にした途端、気力がごっそり削られる。
いくら何でも、歩く距離じゃない。
「でも⋯勇者様⋯」
ニールが困ったように眉を下げる。
「聖杖が無いままでは、今後の旅はかなり危険です。魔物に遭遇した時、囮にする物すら⋯」
「もう囮にする前提で話すか!」
思わず突っ込むと、ニールは「あっ」と口を押さえた。
「す、すみません⋯」
そのやり取りを、シタは黙って聞いていた。
腕を組み少しだけ視線を落とす。
「シタ——⋯」
「私は、徒歩でも良いと思うの」
「は?」
強く出た声に構わず、俺はもう一度確認する。
「は?」
「遠いのは事実よ。でも、私達に立ち止まっている暇なんてあるの?」
淡々とした声だった。
彼女のブーツの先が、僅かに向きを変える。
まるで既に歩き出す方向を決めているかのように。
「時間は過ぎるのよ。その間にら魔王軍はどんどん勢力を高めていく。」
その言葉は、強くも弱くもなくただ正しい音程で落ちてきた。
風が吹き抜け、髪の先が僅かに揺れる。
乾いた空気が肌に触れて、歩く事の現実を思い出させた。
「いいの?」
幼子をあやすような声色に俺は気色悪さを感じる。
「いや⋯知らんし⋯」
迷わせた視界に、ニールが不安そうにこちらと彼女を見比べているのがチラリと映る。
助けを求めるように視線を上げると、ニールは驚いてそっぽを向いた。
喉元に一筋の汗が滴り落ちている。
言い出しっぺの癖に、事の発端の癖に。
何黙ってんだよ。俺だってシタの事怖いよ。
やっぱり、こいつらといる限り、俺に拒否権はなかった。
「⋯分かった。歩くよ」
そう言った自分の声は、思ったより落ち着いていた。
クズ勇者と魔和魔王〜魔王を倒さないクズ勇者は今日も元気に生き延びちゃうぞ!〜 鍋蓋山めふさん @ricotaros
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