クズ勇者と魔和魔王〜魔王を倒さないクズ勇者は今日も元気に生き延びちゃうぞ!〜

鍋蓋山めふさん

プロローグ  【痛む指、その証】


「姉ちゃん、俺学校行く。」


もう恐らく、三年も引きこもり不登校だった弟の瑠衣が突然そんな事を言うものだから 私は驚いて朝食の味噌汁を盛大に吹き零してしまった。

噎せながらも私は弟に向かって問いかける。


「ど、どうして?」


応援してあげられたら良かった。 

でも、今の私にそんな余裕は無い。何故なら、目の前の弟が三年前の弟とはまるで別人かのように堂々たる佇まいでいたからだ。


三年前の弟は根暗そのもの、目を合わせるのも恥ずかしい人間だった。

その人間の姉として生きる私は、家の中に居ても、なんなら

瑠衣が珍しく一階のリビングに降りてきたときも 

会話することが無かった。

だが、そんな暗い弟は何処へ行ったのだろう。


私の目の前に立つ男は、知らない人だ。

真っ直ぐ私の目を見て自身に満ち溢れているではないか。


「気が変わったんだ。今なら行けるからさ。」


瑠衣はそう言い残した後スクールバッグを肩にかけ、玄関へと去っていった。

私は瑠衣の言った言葉の意味が分からなく、ポタポタと落ちる雫を呆然と眺めていた。


どうして、あんなに自身が湧いているのだろう。

ーー私は、弟のことを何も知らない。

好きな食べ物も苦手なものも。最近どんな音楽を聴いているのかも。

同じ家に住んでいるはずなのに、瑠衣はいつの間にか遠くへ行ってしまっていた。

だから、何故彼が引きこもるようになってしまったのかもわからない。


朝、玄関で靴を履く弟の背中を見つけても、声を掛ける勇気が出なかった。

「行ってらっしゃい」と言えば何かが壊れてしまいそうで、逆に、

黙っていれば今の距離のままいれる気がした。


でも、それはただの逃げでしか無かった。


ーーキィィィ、と小さく聞こえた音に心臓がドクンと跳ねる。

ハッと思い出したように私は裸足のまま廊下を駆け、玄関へ向かう。


もう閉まりきる寸前の扉。その僅かな隙間に、指を突っ込んだ。

ぎり、と嫌な音がして痛みが走る。それでも構わず、力任せに扉をこじ開けると

弟の驚いた顔がこちらを向いた。


「待ってーー!」


どうして今まで、何も聞かなかったんだろう。

どうして’’お姉ちゃん’’なのに、気付かないフリをしてきたんだろう。

自問自答を繰り返すほど、胸の奥が締め付けられていく。


言葉を探せば探すほど、何もしてあげれない自分が浮き彫りになっていく。

それでも沈黙だけはーーー選べない。


「 頑張れ!! 」


思わず強めに出た声は、私なりのケジメだ。

今まで瑠衣を傷付けた分、とびきりの励ましを飛ばしてやる!

姉として、今の私にできることはきっと、これくらいだ。


肝心の瑠衣は、きょとんとした顔で私を見たまま暫く動かなかった。

やがて何かを噛み締めるように、自分の顎へ手を伸ばす。

また暫くして、彼はふっと顔を上げ真っ直ぐに私の瞳を見つめてくる。


「……なっ、何……?」


気圧され裏返った私の声は届いていないように、


「……あぁ、行ってくる。」


そう言って、瑠衣は踵を返した。


ーー妙に大人びた声を出すんだなぁ。


短い言葉。「行ってくる」と、たったそれだけなのに、

瑠衣の目的地が果てしなく遠く感じる。

あなたは、いつの間にそんな余裕を手にしたの?


私はそんな見違えた背中を見送ったまま、胸の奥に小さな不安を残して

そっと扉を閉めた。

音がやけに静かに聞こえる。


「…帰って、くるかなぁ」


誰に聞かせるでもなく、静かに零れ落ちた言葉。

当たり前の願いほどどうしてこんなに脆いのだろうか。

その時。どうやら服についていたのか、味噌汁の残り香が微かに漂ってくる。


私はそれから逃げるように後片付けをするため、静かな玄関に背を向けた。











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