第6話 それからの日常

 学校でも家でも、もう美結に嫌なことをする人物はいなくなった。

 毎日が楽しい。確信できる。幸せとは誰からも傷つけられない事であると。

「よーし、今日はハンバーグにしようかな。」

 キッチンの前に立ち、冷蔵庫から食材を取り出す。

 鼻歌交じりに玉ねぎを切っていく。これ以上ない幸福の中で一つ気掛かりな事がある。

「お母さん、どこに行ったんだろう。」

 あれからお母さんの姿を見ていない。それでも、リビングの机には生活費が置かれている。それも最低限ではなく、余裕を持った金額が。

「まあ、数日返ってこないことも多かったし。お金が置いてあるってことは、私がいない間に帰ってるってことだし。」

 数分の思考で結論を出し、料理に集中する。美結にとってはお母さんとはその程度のことだったのだ。

「よーし、今日も楽しい一日が始まるぞ。」

 拳を突き上げ、自分を鼓舞していく。ああ、何て世界は美しいんだ。


 一生の中で最も幸福な時間を過ごしている美結。

 学校でも家でも誰にも邪魔されない。遠巻きにしか見られてばかりだったクラスメイトも徐々に話ができるようになった。休み時間には友達と遊び、登下校は心が弾む。

 だが、気になることがある。

「まただ。」

 歩みを早め、曲がり角を利用して後方を覗き込む。すると20代後半ぐらいの男性がこちらを見ていた。視線が合うと、ギョッとした顔をして、逆方向に逃げていった。

 その男を始めて見たのは、母が居なくなった次の日。家の前でキョロキョロしているのを発見した。

「あのー、すいません。」

 声を掛けると慌てた様に逃げていく。

 直接何かをする訳ではないが、家の近くをうろついたり、後ろをついて来たりする。

 完全なるストーカーではあるが、被害が出ている訳ではないので、相談するのも気が引ける。そもそも話したこともないので、ストーキングされる理由もない。

 最初は気になっていたが、不思議なもので時間が経つともうどうでも良くなった。

 何よりも今が楽しいのだから。


「ねえねえ結美。今日はね。こんなことがあったんだよ。」

 興奮気味に美結が話し出す。

「そうだね。楽しかったね。」

 目を細めて、その笑顔を撫でる。

「でも、最近結美があんまり遊んでくれないじゃん。」

「ごめんごめん。ちょっと忙しくてね。」

 目を逸らして、誤魔化す。

「でも、大丈夫。美結が必要な時には必ず傍にいるから。」

「それに、最近お母さんも見てないし、何してるんだろうね。」

 声と表情に元気がなくなっていく。一瞬結美が目を丸くしたが、急いで取り繕う。

「だ、大丈夫だよ。きっとどこか行ってるんだよ。」

「まあ、お金も置いて行ってくれてるけど、その金額も増えてるのが、逆に何というか…。」

「心配?」

「まあ、あんなんでもお母さんだからね。ってどうしたの?」

 不格好な笑顔で応える美結を見て結美が涙を流す。

「どうしたの?何?えっ?」

「大丈夫、大丈夫。」

 顔を背け、美結から距離を取ろうとする。だが、美結も逃さない。

「今の生活は嫌?」

「うううん。ちょっと心配になっただけ。」

「ご、ごめんね。最近、幸せそうだったから、上手くいってると思ってて…。」

「大丈夫だよ。でも、何か知ってるの?」

 結美は首を横に振る。

「知らない。でも、このままの方が幸せなんじゃないかと思って。」

「私は幸せだよ。それは結美がいるから。」

 今度は美結が結美を抱きしめ、慰める。

「いつも結美が私のために頑張ってくれてるのは知ってるよ。ありがとう。」

 結美が泣き止むのに十数分かかった。


「ったく、恥かしいところを見せてしまったな…。」

 とぼとぼと母さんの部屋だった場所に結美が入る。

 化粧道具や派手な服がそこら中に埋め尽くされる中に異質なゴミ袋がある。それを拾い上げ、憎しみのこもった声で言い捨てる。

「お前って愛されてたんだな。妬けるぞ。」

 処分に困っていた骨を片づけることを決意した。

「ああ、次はあの男をどうにかしないとな。」

 結美の目は獲物を狙う猛禽類のそれだった。

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