夕暮れの教室

へり

夕暮れの教室

「……お、おーい……起きてぇ……」


 机に突っ伏して幸せそうに眠る彼に向けておそるおそる呼びかけてみるも反応はない。教室の窓から差し込む夕日でオレンジに染まった彼の横顔はとても幸せそうで、無理に起こすのは憚られた。


 とはいえ、もう六限の終わりから一時間程は経っている。大体の生徒は既に部活へ向かうか帰宅している時間帯だ。かくいう私も委員会の当番を終えて帰ろうというところだった。


 私が起こさずともその内目覚めるだろうけど、放っておくのも気が引けた。心を鬼にして先程よりもう少し大きな声を出そうと思ったその時。


「……!」


「わひゃあっ!」


 突然目を開いて顔を上げた彼が立ち上がり、そのままきょろきょろと周りを見渡した。何かを探しているような仕草だったが、やがて動きを止めると正面に向き直りゆっくりと息を吐く。


 と、ここで彼は漸く私の存在に気づいたようで、目を丸くして私を見た。


「……あれ、図書委員ちゃん?」


「……お、おはよう」


 口元に当てていた両手を慌てて下ろしながら私は何とか返事をする。若干声が上擦ったような気がして顔が熱くなるが、ぽやっとした表情で「おはよー」と笑う彼の様子を見る限り気づかれてはいないらしい。とりあえず、私はそう思うことにしておいた。


「えっと、どうして教室で寝てたの?」


「あー、こいつに話があったから待ってたんだけど……もう部活いっちゃったかもね……。荷物無くなってるし……」


 彼は隣の席へ目を向けながらそう言って困ったように指先で頬を掻いた。そこに普段座っているのはテニス部の女の子だ。スポーティーで元気な良い子。仲が良いのか楽し気に話している様子をよく見かける。


「そ、そうなんだ……遊びのお誘いとか……?」


「んー、そんな感じかな。今度買い物に付き合ってもらおうと思ってさ」


「……っ! へ、へぇ……」


 それは、デート?


 口から出かけた質問を無理やり飲み下す。それは流石に踏み込みすぎだろう、部外者が無神経につつくべきじゃない。そんな理論を並べ立てて、鎌首をもたげる好奇心と僅かな胸の痛みから目を逸らした。


 それでも、どうにも気分は晴れてくれなかった。小さくて、けれど重たい黒が胸の奥にある気がしてならない。それがひどく煩わしく思えた。


「もうすぐ妹が誕生日だからプレゼント用意したくてさ、女の子側の意見も聞きたいんだよね」


「あ……そ、そっかぁ!」


 なんだ、妹さんのためだったのか。無意識にほっと溜息を吐くと共に、二人の関係性を変に勘ぐってしまったことに赤面する。顔の熱を冷ますためにぱたぱたと手で扇ぎながら、それならば納得だと心中で頷いた。


 ……いや、でも待とう。二人で出かけるという部分が変わらないのなら、やはりそれはデートの可能性があるのでは。というか今更だが、どうして私はそんなことを気にしているのだろう。


 そんな風にぐるぐると頭を回しながら話していたのが災いしたのか。


「よ、よかった……私てっきり二人が付き合ってるのかと……。だけど、それなら私にも可能性は残ってるよね……安心したぁ……」


「…………ぇ」


「…………あれ?」


 自分が無意識に発した言葉を一瞬遅れて脳が理解する。えっと、もしかして私今とんでもないこと言った?


 仮にこれが恋愛漫画でもあったのなら私の言葉は相手に届かないのだろうが、残念ながらここは現実なので先程のは彼にばっちり聞こえていたらしい。そして、その意味も。


 彼は目をまん丸にして赤面していた。緩くウェーブした茶髪から覗く耳まで真っ赤になっている。それを見た瞬間、どうしようもなく恥ずかしさが沸き上がり勝手に言葉が溢れ出した。


「いや、その! 今のは違くてね!? ほら、仲良しの女の子多いし、見た目もかっこいいからそういうの慣れてるのかなって! 決して私が隣に居たいとか思ってる訳じゃなく……! その、ね!? そういうことなの!」


 何の弁明にもなってないし、何なら墓穴を掘っているまである。今なら棺桶までセット売りだ。お買い得だね。


 現実逃避して思考を明後日の方向へ飛ばしつつ、無理やり口角を上げて笑う。苦し紛れの笑い声が虚しく教室に響いた。


「…………別に、慣れてないよ」


 唐突に、彼が蚊の鳴くような声で呟く。


「……へ?」


「……だから、女の子とのそういう関係。……慣れてないって」


「……あっ。そ、そう……なんだね……?」


「…………あのさ!」


「は、はいっ!」


 大声を出した彼に驚き、返事の声が裏返った。でも、彼に真っ直ぐ見つめられた私にはそれを気にする余裕はない。きっとまた、頬が紅潮しているだろう。私はそれ以上何も言えずに言葉の続きを待った。


「……良かったらだけどさ、図書委員ちゃんが付き合ってくれない? ……その、買い物」


「…………えっ!?」


 さっき以上に赤くなった彼の急なお誘いに、私はどう答えればいいか迷ってしまった。


 だって、この流れでそう言ってくれるってことはそんなのもう。いやでも、そんな奇跡みたいなことあり得るのかな。私の頭はもう、沸騰寸前だった。


 言葉にならないうめき声を垂れ流しながら数秒、私の返答は。


「……よ」


「え?」


「よろしくお願いしますぅ~~~~!!」


 了承。それから逃走だった。


 背後で彼が何か叫んでいた気もするけど、私は無心で廊下を駆け抜けていく。廊下を走ったら危ないだとか、そんなことすら今の私には考えられなかった。


 ふと横を向くと、窓ガラスに反射して自分の顔が見えた。口元がだらしなく緩んでいて、まるで嬉しいことがありましたと主張しているみたいだ。


 そして、顔も、耳も、首も。その全てが火照ったように赤く染まっていて。


「——ゆ、夕陽のせいだからぁっ!!」


 私は、誰に向けてでもなくそう叫んで疾走を続けるのだった。




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