【3】神が視えても福利厚生はありません
第7話
◆ ◆ ◆
月曜日の朝は、本当に遅刻しそうだ。
俺は出発八分前に起床し、悲鳴を上げて着替えて車に乗り込んだ。鞄に放り込んだパンを運転しながら食べ、間の悪い検問を笑顔で潜り抜ける。
そうして予定通り自分のデスクに出社し、はぁ、と脱力して座り込んだ。
週末から踏んだり蹴ったりだ。音楽を聴きすぎてまだ脳内で反芻している。
就業時間ギリギリに来た高斗が、心配そうに顔を覗き込んできた。
「おはよう内藤、大丈夫か? 実家で何かあった?」
「いや……それがさ……、週末、実家の神社を手伝うことになって」
就業を知らせるチャイムが響くが、こそっと同期に耳打ちする。状況が掴めず目を丸くする高斗に、簡単に事情を説明すると心底驚いていた。
「え、マジか。じゃあピュアベリのライブ、どうするんだ?」
「バイトでもいいから次を探さないと無理そう……」
「えぇ……! それは理不尽でしょお!」
「だよなだよな、お前は分かってくれると思ったよ……!」
俺は泣きそうになりながら、スマホを取り出してデスクの隅に置く。待ち受けもイメージ画像から変えて、推し本人の眩しい笑顔だ。
このご尊顔を拝んで仕事にあたらなければ、理不尽すぎてやっていけない。可能なら仕事用パソコンのトップ画面も推し一色にしたい。
しょげる俺の横で、高斗が憐れみの目を向けてくる。
「ど、どんまいすぎる、元気出せよ内藤。物販戦士は勝利してきたぞ」
「さすが高斗さま! 言い値で買おう」
「いやいや。……でも、そうか、暫く一緒に行けないのか……」
困ったな、と同期が呟く。
俺も一緒に行って推し語り出来なくて悲しい。せっかく周囲で数少ない同担なのに。
(……ん?)
高斗の顔を見ると、俺の心境とは少し違って見えた。
眉間に寄った皺が思ったより深い。苦笑いのような、誰かに対して憤るような、そんな横顔に見える。
高斗は目を瞬かせる俺に気がつくと、パッと表情を戻して眉尻を下げた。
「まぁでも、完全に行けないわけじゃないだろう? 平日のライブもあるし。有給とって行こうぜ!」
「お、おお? そうだな……?」
バシバシと背中を叩く同期に、俺は首を傾げながらも同意する。
どうしたのだろう。推し活が出来ないことより、もっと違う懸念を持っている気がした。
自分のデスクに戻り仕事を開始した高斗は、いつも通りのキツネ面だ。
俺は引っかかりを覚えつつ、パソコンの起動スイッチを押す。立ち上がり前の黒い画面を一瞥すれば、小さな丸い塊が肩越しから俺を見ているのが見えた。
「ぶほっ」
「うおわっ!? 内藤どうした!?」
勢いよく吹き出してしまい、驚いた高斗に答えられず振り返る。そこには綿毛のような丸に、素朴な顔が描かれた何かが浮遊していた。
なんだこれ。
物体は俺と目が合うと、ふわ、と上下に揺れた。線のように細く、黒い手らしき部分を振る。そうしてゆっくりと天井に消えていった。
思わず動向を目で追った俺は、慌てて周囲を見渡す。
違う。変な物体が一体だけじゃない。
同じような丸い綿毛や、人に近い形をしたもの。いや待て、完全に人と同じ姿もある。食べ物に手足が生え、足元を元気に走り回っている。文房具が飛び回り、蛍光灯をすり抜けていった。
俺の近くを浮遊する一部は、俺に挨拶するように笑顔を見せてくる。
なんだこれ。
「内藤、おーい、内藤清司くーん?」
高斗の片手が俺の前で揺れるが、目の前の光景は消えてくれない。
俺は愕然としながら、ギギギ、と錆びた歯車が回るみたいに同期を見た。
「な、なぁ、高斗。あの天井付近、虫でもいる?」
「え? 虫? どこ? やめろよ虫苦手なんだからさぁ」
自身の腕をさすってキョロキョロする高斗の目は、完全にあれらを素通りしている。仕事を始めて動き回っている人間も同様だ。
椅子からずり落ちそうな俺を、不審げに見て離れていくくらいである。
(う、嘘だろ……)
拝啓、旦那さんとばっくれた姉ちゃん。弟は変な物が見えるようになりました。
いや笑えんわこの状況――!!
◆ ◆ ◆
「俺に霊力を与えるようになり、下級神共が見えるようになったのだろう」
怒涛の平日を乗り越え、週末に社務所に駆け込むと、三色団子を食べるみやま様がそう言った。
テーブルには団子やおはぎ、らくがんや飴などが所狭しと広がっている。ぼりぼり食い過ぎだろこの神様。
「下級神ってなんですか!? めちゃくちゃ大変なんですけど!?」
勤務中は本当に大変だった。
俺に見えると分かった連中の一部が、デスクの周りに集まってしまうのだ。おかげで書類も見えないし、電話も取りづらい。おまけに普通の人間と区別が難しい個体もいて、危うくデカい独り言が爆誕するところだった。
冗談ではない。なんとかしてほしい。仕事もままならない。
その一心で説明すると、みやま様は面倒そうに団子の串を咥える。良い子は真似しちゃいけません。
「俺がこれだからな、無理だ」
「みやま様と関係あるんですか?」
「
「関係オオアリだよ、清司くん。本来なら清司くんを守る主上の結界が、機能してないってことだよ」
緑茶のおかわりを注いだ女子高生すみわちゃんが、神妙な顔で頷く。
俺はその気迫に気押され、無意識に喉を潤そうと湯呑みを持ち上げる。
そうして、なみなみ注がれすぎた緑茶に唇を突っ込んだ。あっつい!
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