第8話 彼の焦り


通りの端で、

ケリーは

立ち止まった。


夕暮れの

風が、

外套の裾を

揺らす。


背後には、

治癒工房ルーメン


振り返らない。


振り返って

しまえば、

足が

戻ってしまう

気がした。


「……はあ」


短く

息を吐く。


胸の奥が、

落ち着かない。


声を

かけた。


それだけの

ことなのに、

心臓は

まだ

速い。


数日前まで、

ただ

遠くから

見ている

だけだった。


それで

よかった。


そう、

思っていた。


彼女が

働く姿を

見るだけで、

十分だった。


治癒の

光が、

柔らかく

広がる瞬間。


傷ついた

人々の

表情が、

和らぐ

あの時間。


彼女は、

誰かのために

立っている。


それが、

まぶしかった。


ケリーは、

元々

流浪の

護衛だった。


定まった

居場所を

持たず、

依頼が

あれば

動く。


人と

深く

関わらない

生き方。


それが、

楽だった。


期待しない。

失わない。


けれど。


治癒工房の

前を

通りかかった

あの日。


扉の

向こうで、

一心に

作業を

する

少女を

見た。


小柄で、

若くて。


それでも、

背筋は

真っ直ぐで。


視線は、

迷いなく

前を

向いていた。


「……強い」


最初に

浮かんだ

言葉が、

それだった。


守られる

側じゃ

ない。


誰かを

支える

側。


それが、

妙に

心に

残った。


それから、

通るたびに

足が

止まった。


理由を

つけて、

通りを

歩いた。


見ている

だけ。


それで

いい。


彼女には、

きっと

誰かが

いる。


そう

思っていた

から。


だが、

ある日。


店の

中から、

泣き声が

聞こえた。


夜遅く、

人通りの

少ない

時間。


偶然、

通りかかった

だけだった。


立ち止まる

つもりは

なかった。


けれど、

足は

止まった。


扉の

向こう。


抑えた

嗚咽。


胸が、

ぎゅっと

締め付けられた。


「……」


踏み込む

勇気は

ない。


けれど、

去ることも

できなかった。


彼女が、

一人で

泣いている。


それだけで、

胸が

痛んだ。


翌日から、

彼女の

様子は

変わった。


笑わない

わけじゃ

ない。


けれど、

何かを

置いてきた

ような

静けさ。


それが、

余計に

目を

引いた。


「……守る

必要は

ない」


「彼女は

強い」


何度も

自分に

言い聞かせた。


それでも、

目は

追ってしまう。


気づけば、

視線が

合う。


そのたびに、

慌てて

逸らした。


嫌われたく

なかった。


迷惑だと

思われるのが

怖かった。


流浪の

身には、

それが

染みついている。


居場所を

失う

恐怖。


だから、

距離を

保った。


遠くから

見て、

満足する

つもりだった。


なのに。


彼女が、

外に

出てきた

あの瞬間。


目が

合った。


逃げられ

なかった。


逃げたら、

もう

戻れない

気がした。


だから、

頭を

下げた。


それだけ。


それでも、

胸は

高鳴った。


次の日。


また、

見てしまう。


そして、

声を

かけられた。


「……何か、

ご用ですか」


あの声。


柔らかくて、

落ち着いて

いて。


責める

響きは

なかった。


胸の

奥で、

何かが

崩れた。


「迷惑でしたか」


あれは、

本心だった。


否定

されたら、

きっと

もう

来なかった。


けれど、

彼女は

否定

しなかった。


理由を

聞いて、

受け止めた。


凛としている。


そう

言ったとき、

自分でも

驚いた。


思っていた

ことが、

そのまま

口に

出た。


彼女の

表情が、

少し

和らいだ

気がした。


それが、

嬉しかった。


だから。


名前を

名乗った。


引き返せない

一歩。


ケリーは、

通りを

歩きながら、

自嘲する。


「……焦りすぎだ」


今まで、

誰にも

こんなことは

しなかった。


気になる

相手が

いても、

距離を

保った。


関わらない。


それが、

自分の

生き方だった。


なのに。


彼女の

前では、

それが

できない。


「……店を

手伝う

なんて」


ふと、

考えてしまう。


冗談の

ような

発想。


けれど、

胸の奥が

熱くなる。


彼女の

そばで、

役に

立てたら。


そんな

考えが、

頭から

離れない。


それは、

危険だ。


期待は、

痛みを

生む。


わかって

いる。


それでも。


ケリーは、

歩みを

止め、

夜空を

見上げた。


星は、

少ない。


それでも、

確かに

光っている。


彼女も、

きっと

そうだ。


静かで、

目立たない

けれど、

確かな

光。


「……次は」


次に

会ったら。


もう

少しだけ、

踏み込もう。


逃げずに、

話そう。


焦りは、

恐怖の

裏返し。


それでも、

動かなければ、

何も

始まらない。


ケリーは、

そう

自分に

言い聞かせ、

歩き出した。


その背中には、

決意と、

まだ

不器用な

期待が

混じっていた。

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