第2話 見てはいけない光景
ルーチェは、
その場から
動けずにいた。
足が、
地面に
縫い止められたように
重い。
夜風が、
頬をなぞる。
冷たいはずなのに、
何も感じない。
視線は、
月明かりの下の
二人から
離れなかった。
ロバートと、
王女リーン。
その組み合わせが、
現実だと
認めたくなかった。
「……夢、だよね」
声に出しても、
誰も答えない。
広場は静かで、
噴水の水音だけが
規則正しく響いている。
ロバートが、
少し身をかがめ、
王女の顔を
覗き込んだ。
リーンは、
困ったように
微笑む。
その仕草が、
胸に突き刺さる。
あんな顔を、
ロバートは
ルーチェにも
向けていた。
優しく、
甘く、
大切そうに。
それが、
今は
王女に向けられている。
「……やめて」
誰に向けた言葉か、
わからない。
二人の会話は、
距離があり、
聞き取れない。
それでも、
楽しげな雰囲気だけは
伝わってくる。
ロバートが、
何かを差し出した。
小さな、
装飾品のようだった。
リーンは、
目を見開き、
驚いたあと、
嬉しそうに
それを受け取る。
胸が、
ぎゅっと
締め付けられた。
あれは。
以前、
ロバートが
「いつか渡したい」と
言っていた品に
似ている。
ルーチェのために
選んだと、
言っていた。
「……嘘」
喉が、
ひりつく。
視界が、
少し揺れた。
思い出が、
勝手に溢れ出す。
店の閉店後、
二人で並んで歩いた
夜道。
他愛のない話。
未来の話。
「一緒に、
この街で
生きていこう」
そう言って、
笑ったロバート。
あの言葉は、
全部、
嘘だったのだろうか。
それとも、
王女を前にして
変わってしまったのか。
ルーチェには、
わからない。
ただ、
今、
ここにある光景が
答えだった。
ロバートが、
王女の手に
触れる。
指先が、
絡む。
その瞬間、
視線が
ばちりと合った。
ロバートが、
こちらを見た。
「……っ」
心臓が、
跳ね上がる。
ほんの一瞬。
けれど、
確かに、
目が合った。
ロバートの表情が、
凍りつく。
次の瞬間、
王女の前に
一歩出て、
こちらを
遮るように立った。
――気づかれた。
息が、
詰まる。
逃げなければ、
そう思うのに、
体が動かない。
ロバートが、
こちらに向かって
歩き出す。
その歩幅は、
迷いがない。
ルーチェは、
ようやく
後ずさった。
石畳に
足を取られ、
よろめく。
「待って」
低い声が、
響いた。
ロバートの声だ。
「……ルーチェ」
名前を呼ばれ、
胸が
強く痛む。
「どうして、
ここに?」
責めるようでもなく、
驚いたようでもない。
ただ、
困ったような声。
その態度が、
余計に
苦しい。
「それは、
こっちの
台詞だよ」
震える声を、
必死で
抑える。
「来るって
言ってた」
「なのに、
どうして……」
言葉が、
続かない。
ロバートは、
一瞬、
視線を逸らした。
その仕草が、
すべてを
物語っていた。
「……ごめん」
短い、
一言。
それだけ。
「説明は?」
思わず、
問い詰めていた。
逃げるつもりだった。
話すつもりなんて
なかった。
なのに、
口は勝手に
動いてしまう。
ロバートは、
深く息を吸い、
王女の方を
振り返った。
リーンは、
不安そうな顔で
こちらを見ている。
状況を
理解しているのか、
していないのか。
「彼女は……」
ロバートが、
言葉を選ぶ。
「王女リーンだ」
知っている。
そんなこと、
聞かなくても。
「それで?」
声が、
冷たくなる。
ロバートは、
小さく
肩を落とした。
「正直に言う」
その前置きが、
嫌だった。
「俺は、
彼女に
惹かれてしまった」
「王女と?」
「……ああ」
その一言で、
全てが
崩れた。
「だから、
ルーチェ」
ロバートは、
こちらを見て、
はっきりと
言った。
「別れてほしい」
夜の空気が、
凍りつく。
耳鳴りが、
した。
「……今、
なんて?」
聞き間違いで
あってほしかった。
「王女と
付き合うことに
なった」
「だから、
もう……」
言葉の続きを、
聞きたくなかった。
「待って」
思わず、
叫んでいた。
「私たち、
何だったの?」
「今までの
時間は?」
ロバートは、
苦しそうに
眉を寄せた。
「無駄だったとは
言わない」
その言い方が、
一番、
残酷だった。
「でも、
未来が
違った」
「王女と
出会って、
変わったんだ」
「……変わった?」
喉が、
詰まる。
「私より、
大事?」
問いかけは、
弱々しい。
答えは、
わかっているのに。
ロバートは、
沈黙した。
それが、
答えだった。
ルーチェの中で、
最後の何かが
切れた。
「……そう」
声が、
驚くほど
静かだった。
涙は、
出なかった。
ただ、
胸の奥が
空っぽになる。
「わかった」
それだけ、
言った。
ロバートが、
何か言おうと
口を開く。
けれど、
ルーチェは
背を向けた。
もう、
聞く必要は
ない。
振り返れば、
もっと傷つく。
それだけは、
わかっていた。
歩き出す。
足取りは、
ふらついている。
けれど、
止まらない。
背後で、
ロバートが
名前を呼んだ気がした。
無視した。
聞こえなかった
ことにした。
夜の街を、
ただ、
歩く。
涙は、
まだ出ない。
代わりに、
胸の奥で
鈍い痛みが
広がっていく。
「……私、
何を
信じてたんだろう」
自分の声が、
遠く聞こえる。
恋をしていた。
未来を、
信じていた。
それだけだった。
気づいたときには、
前に立っていた。
鍵を開け、
中に入る。
灯りを
点ける気力も
なかった。
その場に
座り込み、
膝を抱える。
ようやく、
涙が
零れ落ちた。
静かな店内に、
嗚咽が
響く。
誰にも
見られない場所で、
心が
音を立てて
壊れていく。
恋をして、
失って。
それでも、
生きていかなければ
ならない。
そのことだけが、
重く、
のしかかっていた。
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