第1章:いざ、ブラック魔王城へ


「サトウさん……。やっぱり、今からでもキャンセルできませんか?」



魔王城へと続く『絶望の橋』を渡りながら、骨田さんがカクカクと膝を鳴らして震えている。無理もない。この橋の周囲に漂う重圧は、単なる魔力ではない。行き場を失った労働者たちの「怨念」と「疲労」が物理的な霧となって視界を遮っているのだ。



「キャンセル料は一〇〇パーセント頂戴しますが、よろしいですか?」



「い、いやだ! あんな高い金、自分の骨を削って(物理的に)貯めたのに!」



「では、行きましょう。ビジネスに私情は禁物です。それに――」



俺は新品の革靴で、ドロドロの溶岩地帯を闊歩した。



普通なら一歩で靴底が溶ける熱量だが、伝説の仕立屋が施した「断熱・防汚魔法」のおかげで、足元は冷房の効いたオフィスのように快適だった。



「――この惨状を放置して帰るのは、元・営業マンのプライドが許しません」



城門までのわずかな道のり。そこは、現代のブラック企業さえ「ホワイト」に見えるほどの労働地獄だった。



頭上では、岩石の翼を持つガーゴイルたちが、自重の三倍はある巨大な建築資材を運んでいる。一匹がふらりと高度を下げた。



「おい! 止まるな! 納期は明日だ、落ちるなら荷物を置いてからにしろ!」



上空でムチを振るう監視役の悪魔が、労いの言葉一つなく罵声を浴びせる。ガーゴイルは口からよだれを垂らし、白目を剥きながら羽ばたきを再開した。



「墜落事故の予兆(ヒヤリハット)が放置されていますね。労働安全衛生法があれば、即刻業務停止命令が下るレベルです」



道端では、洗浄担当のスライムが真っ白に干からび、ゼリー状の体を震わせていた。



「……あ、あと三時間……。三時間寝かせてくれ……」



「サトウさん、あれ……一ヶ月前からあそこで掃除しっぱなしなんです。魔王様が『城が汚れていると運気が下がる』と仰って以来、水分補給(魔力供給)すら許されず、一人で城中の廊下を磨かされ続けて……」



「過労による魔力枯渇……。サビ残を通り越して、魂の搾取ですね」



さらに歩を進めると、城壁を修復中のサイクロプスが、巨大な岩を担いだまま立ったまま気絶していた。その足元には、壊れたハンマーと「努力・根性・魔王愛」と書かれた血塗れのハチマキが落ちている。


 

俺の胸ポケットにある銀色の魔導ペンが、周囲の『不当な労働環境』に反応して熱を帯びる。



かつて、俺を使い潰したあの会社もそうだった。「代わりはいくらでもいる」「会社のために死ぬ気で働け」。そんな言葉が、この禍々しい城の至る所から聞こえてくるようだ。



「止まれ! ここをどこと心得る。汚らわしい人間と、脱走兵のスケルトンめ!」



城門の前。鼻息から火の粉を散らす巨大なミノタウロスたちが、交差させた槍で道を阻む。その眼圧は並の冒険者なら失禁して逃げ出すレベルだが、俺は微塵も怯むことなく、内ポケットから漆黒の名刺ケースを取り出した。



「お疲れ様です。サトウ退職代行サービスの佐藤と申します。本日三時、骨田様の雇用契約解除、および未払い賃金精算に関する代理人として、最高経営責任者――魔王様との拝謁予約(アポイントメント)をいただいております」



「ア、アポ……? 何だそれは、人間界の攻撃魔法か!?」



「『相互合意に基づく面会予約』のことですよ。既に貴公の上官である死霊騎士(デスナイト)殿には、内容証明代わりの伝書鳩を送付済みです。これを通さない場合、御社は『正当な理由なき代理人交渉の拒絶』として、さらなる法的リスクを負うことになりますが……。ミノタウロスさん、あなた、個人で賠償責任を負う覚悟はありますか?」



スキル【強制示談(コンプライアンス)】が静かに発動する。



ミノタウロスたちの脳裏に、俺の後ろに控える「逆らえば魂が法的に消滅する、巨大な天秤の影」が過った。



「……ッ! お、奥へ通せ! 責任者を呼んでこい!」



俺は乱れたネクタイを締め直し、地獄の釜のような城内へと、静かに、しかし力強く一歩を踏み出した。

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