第8話 嵐の夜の残業と、招かれざる「黄金の工務店」
その夜、王都は「百年に一度」と言われる猛烈な暴風雨に見舞われていた。
空は引き裂かれたような紫色の稲妻に覆われ、バケツを引っくり返したような豪雨が、魔法庁の白い外壁を叩いている。
ゴゴゴゴゴ……ッ!
地響きと共に、堅牢なはずの庁舎が揺れた。
「ひいいいっ! 揺れた! 今、また揺れましたよアレクさんんん!」
「落ち着けロック君。今の揺れは震度3相当だ。この地下フロアの耐震基準なら問題ない」
地下5階の営繕課オフィス。
新人職員のロックが机の下で震える一方、俺はいつものデスクで平然と
だが、俺の心中も穏やかではない。なぜなら今日は「金曜日」。本来なら定時退社して、家の布団でぬくぬくしているはずの時間だからだ。
「帰りたい……。なんで俺たちは、こんな台風の夜に残業してるんだ……」
「仕方ありませんよ。王都を覆う『大結界』が嵐の圧力で不安定になっています。もし結界に亀裂が入れば、俺たち営繕課が
そう。俺たちは現在、災害待機中なのだ。
勇者リーナとエルフのアリスは、ソファーの上で毛布にくるまって爆睡している。あいつらの神経の図太さはSランクだな。
その時だった。
エレベーターホールから、聞きなれない乾いた靴音が響いたのは。
カツ、カツ、カツ。
地下の魔窟には似つかわしくない、高級な革靴の音。
「――相変わらず、ここはカビ臭いな。貧乏人の匂いが染みついてやがる」
現れたのは、仕立ての良い白スーツに、
整えられた口髭。ニヤニヤと笑う口元には金歯が光っている。
そして胸元には、民間の最大手魔導ゼネコン『バベル建設』の社章が輝いていた。
「……ヴォルドか。どうして民間人がここにいる?」
「ハッ! 冷たい挨拶だな、元・同僚。再会を祝してハグでもどうだ?」
ヴォルド。
かつて俺と同じ魔法庁に所属していた男だが、公金を横領して解雇され、今は民間の建設会社で「
「庁舎の管理権限を持つガンドルフ部長からお呼びがかかったのさ。『今の営繕課の人員じゃ、この嵐は凌げない』ってな。
だから俺様たち『バベル建設』が、助っ人として来てやったんだよ。感謝しろ」
ヴォルドが指を鳴らすと、背後から屈強な
「おいおい……助っ人って、解体する気満々じゃないか」
「当たり前だろ? 『古くなった壁は壊して作り直す』。これが俺たちの美学であり、一番儲かる方法だからな!」
ヴォルドが高笑いする。その声で、ソファで寝ていたリーナが目を覚ました。
「んぅ……? うるさいなぁ……。誰これアレク、敵?」
「敵ではありませんが、味方とも言い難いですね。ただの守銭奴です」
俺が紹介すると、ヴォルドはリーナを見て、舐めるような視線を送った。
「おや、そっちの美人は勇者リーナ様じゃないか。噂通りいい体だ。
どうだい? こんな安月給の公務員なんて辞めて、ウチの会社に来ないか? 『解体アンバサダー』として、年俸1億ガルドで契約してやるぜ?」
「1億!?」
リーナが反応した。借金まみれの彼女には魅力的すぎる金額だ。
「そうさ。仕事は簡単だ。俺が指定した建物を、その聖剣でぶっ壊すだけ。
……あんな地味で冴えない
ヴォルドが俺を親指で指して嘲笑う。
俺は黙っていた。事実、公務員の給料は安いし、俺の仕事は地味だ。否定はできない。
だが。
リーナはむくりと起き上がると、不機嫌そうに寝癖を直した。
「……断る」
「あぁ? なんでだ? 金が欲しくないのか?」
「金は欲しいよ。喉から手が出るほどね。でもさ」
リーナは俺の隣に並び立ち、ヴォルドを睨みつけた。
「あんた、目が濁ってるもん。アレクはケチで細かくて口うるさいけど……『直す』ときは真剣だもん。建物を壊すことしか考えてないあんたとは、格が違うんだよ!」
……おや。
不覚にも少し驚いた。まさかこの脳筋勇者に、
俺は少しだけ口元を緩め、眼鏡を押し上げた。
「……交渉決裂のようですね、ヴォルド」
「チッ……! まあいい。すぐに吠え面かかせてやる。
緊急警報だ! 屋上へ来い、貧乏人ども!」
その時、庁舎全体に赤色灯が回転し、けたたましいサイレンが鳴り響いた。
ウウゥゥゥゥ――ッ!!
『緊急事態発生。緊急事態発生。王都大結界、上層第3セクターに亀裂発生。嵐が庁舎を直撃します!』
ついに恐れていた事態が起きた。
俺たちは全員、屋上へと駆け上がった。
「なっ……! なにこれぇッ!?」
屋上に出た瞬間、アリスが絶叫した。
そこに広がっていたのは、この世の終わりのような光景だった。
頭上に広がる半透明のドーム――王都を守る『大結界』に、巨大なヒビが入っている。
そこから雨風が滝のように浸入し、さらに雷雲の中から、狼の姿をした
「結界が持たない! 魔獣が入ってくるぞ!」
「どきな! プロの仕事を見せてやる!」
ヴォルドが前に出た。
彼は黄金のヘルメットを被り直し、部下たちに怒鳴り散らす。
「野郎ども! ヒビ割れた箇所を『特級ミスリル樹脂』で埋めろ! 固まる前に魔力で焼き付けろ!」
「「「オウッ!!」」」
バベル建設の作業員たちが、高価な修復材を亀裂に塗りたくっていく。
だが、風の勢いが強すぎる。塗ったそばから樹脂が剥がれ落ち、吹き飛んでいく。
「くそっ! なんで固まらねえ! ええい、もっと厚塗りしろ! 予算は気にするな!」
「社長! 無理です! 裂け目が広がってます!」
パリパリパリィン!
乾いた音と共に、ついに結界の一角が崩壊した。
開いた大穴から、
「グルアァァァッ!!」
「ひぃぃっ!? やばい、来たよ!」
リーナが聖剣を抜いて応戦しようとするが、足場は濡れて滑り、暴風で体が煽られる。
「くぅ……! 飛べないからあそこまで届かない!」
「私が魔法で迎撃します! ……きゃあっ!」
アリスが杖を構えるが、至近距離に落ちた落雷に驚いて尻もちをつく。
現場は大混乱だ。
ヴォルドも腰を抜かし、金メッキのヘルメットが風で飛ばされる。
「お、俺様たちの技術が通じないだと……!? これは
「――諦める? それがプロの台詞かよ」
静かな、しかしよく通る声が、暴風雨を切り裂いた。
俺だ。
俺は飛ばされそうになるネクタイを押さえながら、崩壊する結界の真下へ歩み出る。
「ア、アレク!? 危ないよ、死ぬ気!?」
リーナが叫ぶ。
俺は彼女を振り返らず、懐から愛用の道具を取り出した。
ボロボロになった魔法庁の職員証と、一本の『万年筆』だ。
「ヴォルド。お前たちのやり方は『治療』じゃなくて『厚化粧』だ。傷口を塞ぐだけじゃ、この圧力には耐えられない」
「なんだと!? じゃあどうするってんだ!?」
俺は、雨に濡れた眼鏡をゆっくりと外した。
「簡単なことだ。圧力が強すぎるなら……『逃がせば』いい」
俺の目が、蒼く発光する。
スキル――【
視界の中、空を覆う結界の全てが、数式と幾何学模様のワイヤーフレームに変換される。
見えた。嵐のエネルギーの
「ロック、ガンドルフ部長に繋げ! 庁舎内の全予備電源を、俺の万年筆に回せ!」
「は、はいぃっ!」
「リーナ! 俺の肩を掴んでいろ! 風で飛ばされないように
「重しって言わないで! ……でも、分かった!」
リーナが俺の背中にしがみつく。彼女の熱と、Sランクの魔力が俺に流れ込んでくる。
条件は整った。
俺は空に向かって、万年筆を指揮棒のように振るった。
「――
俺が空に図面を描くと、そこから光のラインが走った。
割れた結界を無理に塞ぐのではない。亀裂の形を変形させ、風の通り道を作る。
柔よく剛を制す。
結界自体を、風を受け流す流線形へとリアルタイムで書き換えていく。
「な、なんだアレは……! 空の形が変わっていくぞ!?」
ヴォルドが目を見開く。
さらに、侵入しようとしていた雷獣に対し、俺は万年筆を突きつける。
「不法侵入者にはお帰り願おうか。――『
庁舎の避雷針の魔力を逆流させ、空中の雷獣に向かって放出した。
バチィィィン!!
雷が雷を打ち消し、スパークと共に魔獣が霧散する。
「うおおおっ! アレクすごーい! まるで空の指揮者だ!」
背中のリーナがはしゃぐ。
俺はさらに集中力を高める。嵐のエネルギーそのものを、結界の修復エネルギーへと変換循環させる循環システムを構築。
「完了だ。……
カッ!!
王都の上空に巨大な魔法陣が展開され、砕けた結界が一瞬で再生した。
風の音が消える。
雨が止む。
さっきまでの暴風雨が嘘のように、屋上には静寂が戻っていた。
「はぁ……はぁ……。まあ、こんなもんだろう」
俺はよろめきながら、胸ポケットから眼鏡を取り出してかけ直した。
さすがに魔力の大半を持っていかれた。立っているのがやっとだ。
呆然としているヴォルドの前に、俺はフラフラと歩み寄る。
「……見たか、ヴォルド。これが『営繕』の仕事だ。金を使わなくても、頭を使えば直せる」
「……ぐぬぬっ! 化け物め……!」
「さあ、帰ってくれ。俺はまだ、日報を書かなきゃならないんでね」
ヴォルドは悔しそうに歯ぎしりをし、部下を引き連れて逃げるように去っていった。
「覚えてろ! 次は必ず俺たちが勝つからな!」という、三流悪役のような台詞を残して。
「アレク……」
リーナが、キラキラした瞳で俺を見上げている。その頬は少し紅潮していた。
「なんか、今のアレク……すっごく……」
「ん? なんですか」
これはもしや、フラグというやつか?
嵐の中での共闘、背中を預けた信頼感。もしかして、「カッコよかった」とか言われる流れか?
「すっごく、ピカピカしてたね! さすがアレク、頭が!」
「…………は?」
リーナが指差したのは、俺の頭だった。
そこには、さっきの雷撃の余波で、髪の毛がアフロのように逆立ち、さらに静電気で微かに発光している俺の頭部があった。
「ププッ! まるで発光するタンポポですよアレクさん!」
アリスまで吹き出した。
「……あのな。誰のせいでこんな髪型になったと思ってるんだ」
俺が脱力していると、リーナがにへらっと笑い、ボサボサの俺の頭をワシャワシャと撫でた。
「でも、助かったよ。ありがとう、アレク。
やっぱりあんたは、世界一の『修理屋さん』だね!」
その笑顔に向けられた信頼だけは、どうやら本物のようだった。
俺は溜息をつき、静電気でバチッと指を弾かれながら、呟いた。
「……そのセリフ、
嵐は去った。
だが、翌朝になって「結界のデザインが前衛的すぎてダサい」という市民からのクレームが殺到し、俺が始末書を書かされることになるのは、また別の話だ。
(続く)
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