バッドハビッツ 改稿版
ponzi
第1話原病院退院
2020年10月6日。世界が目に見えないウイルスの脅威に晒され、誰もが閉塞感に喘いでいたその真っ只中、わたしはひとつの区切りを迎えようとしていました。群馬県伊勢崎市にある精神病院、原病院。そこはわたしにとって、荒れ狂う現実から身を守るための避難所であり、同時に自分自身と向き合うための聖域でもありました。
その日、わたしはついにその門を潜り抜けることになったのです。退院の条件は、厳しいものでした。「一発勝負」。二度とこの原病院には引き返せないという不退転の決意を持って、故郷である千葉県松戸市のグループホームへ向かう。それは、わたしにとっての新たな人生の、あるいは終わりのない「自分を試す旅」の始まりを意味していました。
ケースワーカーのキシダさんとトモヨちゃんが運転する自動車に荷物を積み込み、いよいよ出発の時。病棟の入り口には、これまでわたしを支えてくれた人々が集まってくれました。
「25年後、70歳になったら、またお世話になりに来ますよ」
わたしがそう軽口を叩くと、院長の原淳子先生は、優しく、けれど重みのある声で返してくれました。
「アナタのことは、一生面倒見るわ」
その言葉は、どんな契約書よりも心強く、わたしの孤独な魂を包み込んでくれるようでした。
副師長のスガくんも、わたしの冗談に付き合ってくれました。「25年後、スガくんが理事になった頃にまた会いに来るよ」と言うと、「俺もその頃には病棟のひとつも任されているかな」と笑い、未来の約束を交わしてくれました。担当看護師だったクリハラくんは、秋の気配が混じり始めた駐車場まで見送りに来てくれ、真っ直ぐな瞳で言いました。
「根岸さんのこれからの人生の成功を願っています」
車がゆっくりと動き出し、バックミラーの中で原病院の建物が小さくなっていく。
さらば、伊勢崎。さらば、わたしの安息の地。
車中、キシダさんとトモヨちゃんとの会話を楽しみながら、景色は群馬の山並みから、次第に慣れ親しんだ関東平野の住宅街へと変わっていきます。到着した松戸市のグループホーム「S松戸」では、サービス管理者のヨシオカさんという女性と、数人の世話人さんが温かく迎えてくれました。
案内された部屋は、6畳の個室でした。驚くほど清潔で、新しい畳の匂いが鼻をくすぐります。何より、そこには「自由」の香りが満ちていました。群馬ではコロナ禍による外出制限が厳しく、長い間、物理的にも精神的にも「缶詰」の状態に置かれていました。しかしここでは、最低限のルールさえ守れば、外の世界と繋がることが許されていたのです。
窓を開けると、松戸の風が吹き込んできました。
「ここで、もう一度やり直すんだ」
わたしは深く息を吸い込みました。これまでの25年間、そしてこれからの25年間。失った時間を取り戻すかのように、わたしの心には熱いエネルギーが湧き上がっていました。
しかし、この時のわたしはまだ気づいていません。この昂揚感こそが、再びわたしを翻弄する「バッドハビッツ」への入り口であることを。わたしはただ、手に入れたばかりの自由を噛み締め、どこまでも広がっていく未来に胸を高鳴らせていたのです。
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