第3話 職人の矜持、板前の魂

1. 頑固者(がんこもの)の工房


​オルフェウス領の城下町、その外れに位置する一角から、規則的な鉄を打つ音が響いていた。


そこは、領内随一の腕を持つと言われる鍛冶職人、バロンの工房だ。


​「……できねえ。こんなもん、刃物じゃねえ。ただの鉄の針だ」


​バロンは、目の前に置かれた銀色の細長い金属を睨みつけ、吐き捨てるように言った。


彼の前には、七歳の少女リアナが立っている。護衛のエリーと商人ゼノを引き連れているが、その立ち姿は、百戦錬磨の戦士を前にした司令官のように堂々としていた。


​「バロン。できないのではなく、あなたが『やり方』を知らないだけではないかしら?」


​リアナの声は静かだが、挑発的だった。


バロンが困惑し、そして怒っている理由は、リアナが持ち込んだ一枚の「図面」にある。


​この世界の刃物は、両側から均等に刃をつけた「両刃(もろは)」が常識だ。叩き切る、あるいは押し切るための頑丈さが重視される。しかし、リアナが求めたのは、片側だけに傾斜をつけ、裏側をわずかに凹ませる『片刃(かたば)』という未知の構造だった。


​「お嬢様、聞いてくれ。刃をこんなに薄く、片側だけに削っちまったら、硬いものを切った瞬間にポッキリだ。しかも裏側を凹ませる(裏漉き)だと? 強度をわざわざ落としてどうする。俺は武器も打つ職人だ、こんなナマクラを打って名を汚すわけにはいかねえ!」


​バロンの怒声にエリーが身構えるが、リアナは一歩前へ出た。


​「バロン、あなたは『切る』ということを勘違いしているわ。あなたの打つ刃物は、力でねじ伏せるための道具。でも、私が求めているのは、食材の命に触れるための道具なの」


​「命に触れる……?」


​「いい? 食べ物の味を殺すのは、切れ味の悪い刃物による『圧迫』よ。食材の細胞を潰さず、繊維の隙間をすり抜けるように滑り込ませる刃。そのためには、裏側の凹みが不可欠なのよ。食材が刃に張り付かず、摩擦を最小限に抑えるためにね」


​リアナは、バロンが打った未完成の試作品を手に取った。幼い手にはまだ重いが、その重心のバランスを瞬時に見極める。


​「鋼(はがね)の質は最高よ。あなたの腕が本物なのは分かっているわ。……でも、あなたはまだ、この『片刃』が起こす奇跡を知らない。バロン、世界を広げたくはないかしら? 誰も見たことのない、究極の『切れ味』を、私と一緒に作り上げるのよ」


​バロンは、リアナの瞳を見た。そこには、七歳の子供が持つはずのない、数十年研鑽を積んだ者だけが持つ「本物の目」があった。


​「……チッ。わかったよ。あんたがそこまで言うなら、意地でも形にしてやる。だがな、お嬢様。もしこれで何も切れなきゃ、俺は二度とあんたの注文は受けねえぞ」


​「ええ。その代わり、もしこれが完成したら、あなたは『この世界で唯一、和包丁を打てる伝説の職人』と呼ばれることになるわ


前世で何度も繰り返してきた、職人同士の魂の交渉。リアナ(玲子)にとって、それは懐かしく、最も高揚する瞬間だった。



​2. 「柳刃」の降臨


​二週間後。


再びバロンの工房を訪れたリアナの前に、一本の包丁が差し出された。


​細長く、しなやかな曲線を描くその刃は、工房の火の光を反射して怪しく光っている。リアナが描いた『柳刃包丁』が、異世界の技術と鋼によって具現化された瞬間だった。


​リアナは、特注の細い柄を握り、その重みを確認した。


​「……完璧。バロン、あなた最高よ」


​「……へっ。その言葉、実際に何かを切るまで取っておきな」


​バロンは自信ありげに、そこに用意されていた「最も切りにくい食材」を指さした。


それは、皮が厚く、身が極端に柔らかい、この世界で「調理泣かせ」と言われる大きな完熟の果実だった。


​リアナは何も言わず、果実の前に立った。


包丁を構える。その瞬間、彼女の周囲の空気が変わった。


幼い令嬢の雰囲気は消え去り、そこには『板場(いたば)の支配者』が降臨していた。

​スッ、と。


腕の力ではなく、包丁自体の重みを利用して、刃を引く。


ただの一度。包丁の根元から先までを使い切る、流れるような一閃。


​バロンとゼノ、そしてエリーが息を呑んだ。


果実は、切られたことすら気づいていないかのように、元の形のままそこに鎮座していた。


​だが、リアナが果実を指先で軽く突くと。


ハラリ、と。


向こう側が透けて見えるほど薄く、均一な厚さの『果実の薄造り』が、幾重にも重なって倒れ込んだ。


切り口は鏡のように滑らかで、果汁一滴すら溢れていない。


​「な……なんだ、ありゃ……。俺の打った刃が、あんな……吸い込まれるように……」


​バロンが自分の手を震わせながら呟く。

リアナは満足そうに包丁を懐紙(に近い布)で拭い、鞘に収めた。


​「これが『切る』ということよ。食材の味を逃さず、舌触りを芸術に変える。……さあ、バロン。次はこれの『薄刃(うすば)』と『出刃(でば)』もお願いするわね。私のフルコースには、まだ道具が足りないの」


​職人は、もはや何も言えなかった。ただ、自らが作り出した化け物のような刃物に魅了され、深く頷くしかなかった。



​3. 厨房の衝撃、あるいは「敗北」


​新しい「相棒」を携えてリアナが厨房に戻ると、料理長アロイスをはじめとする料理人たちが、期待と不安の入り混じった表情で迎えた。


​先日の『お吸い物』の一件以来、彼らはリアナを単なるわがまま令嬢ではなく、『未知の英知を持つ怪物』として畏敬の念を持って見ていた。


​「アロイス。道具が届いたわ。……今から、あなたたちが『素材を殺して調理していた』ことを証明してあげる」


​リアナは、厨房の中央にある、新しく削り直させた清潔な調理台の前に立った。


そこに用意させたのは、大きな塊の獣肉と、領地で採れたばかりの新鮮な野菜だ。


​「いい、よく見ておきなさい。あなたたちが使っているその『鉈』は、食材を叩き潰しているだけ。だから、肉は硬くなり、野菜は苦味が出るのよ」


​リアナは、柳刃包丁を抜き放った。


料理人たちから「おお……」と声が漏れる。見たこともない細身の刃物。


​彼女はまず、肉の塊に向き合った。


これまでの料理人たちは、重いナイフを何度も上下に動かし、ギコギコと「挽き切って」いた。しかし、リアナは違う。


刃を当て、手前に引く。それだけで、厚さ一ミリにも満たない肉の薄片が、吸い付くようにまな板の上に並んでいく。


​「なっ……! あの硬い肉を、まるでバターのように……!?」


​料理人の一人が叫んだ。


リアナは手を止めず、次に大根に似た野菜を手に取った。


始まったのは、和食の基本中の基本、『桂剥き(かつらむき)』だ。


​柳刃の鋭利な刃が野菜の円周を滑る。


リアナの手元から、紙よりも薄い、それでいてどこまでも続く一本の野菜の帯が、さらさらと流れるように繰り出されていく。


​「……信じられん。あんな薄く……それに、あの包丁。一回も止まらない……」


​アロイスは、その光景を食い入るように見つめていた。


彼は、自分がこれまで「最高の技術」だと思っていたものが、リアナの前では砂遊びのように稚拙なものに見えていた。


包丁が通った後の野菜の表面は、まるで宝石を磨いたかのように光り輝いている。


​「アロイス、これを食べてみなさい。あなたが今、あなたのナイフで切った野菜と、私がこの子で切った野菜よ」


​リアナが差し出したのは、調味料すらついていない、ただの野菜の欠片。


アロイスはまず、自分が切ったものを口にした。……いつも通りの、苦味と雑味があり噛み応えのある食材だった。


次に、リアナが切ったものを口に運んだ。


​「――っ!?」


​アロイスの表情が、劇的に変わった。


同じ野菜のはずなのに、口当たりが全く違う。

角が立ち、舌の上を滑らかに通り、噛んだ瞬間に新鮮な甘みが口いっぱいに広がる。苦味や雑味が一切ない。


​「……これが、道具の差だというのですか……?」


​「いいえ。道具の差だけではないわ。『食材に対する敬意』の差よ」


​リアナは、包丁を丁寧に置き、年かさの料理人たちを見渡した。


​「あなたたちは、腹を満たすための『餌』を作っていた。でも、私は人を幸せにするための『料理』を作りたい。……アロイス。この包丁の使い方は、一朝一夕には身につかないわ。でも、学びたいというのなら、私は惜しみなく教えるわよ。私の『わがまま』に付き合う覚悟があるならね」


​厨房に、沈黙が流れた。


それは、拒絶の沈黙ではない。


料理人たちが、自分たちのこれまで歩んできた道を振り返り、そして目の前の幼い少女が見せる『果てしない高み』に、魂を揺さぶられている時間だった。


​「……リアナ様」


​アロイスが、深々と頭を下げた。


続いて、見習いからベテランまで、全ての料理人が同じように頭を下げた。


​「どうか……。どうか、わたくしどもを導いてください。その、見たこともない料理の深淵へ」


​リアナは、フッと口角を上げた。


その顔は、やはり七歳の愛らしい令嬢のものではなく、新しい弟子を手に入れた時の、あの厳しい親方の顔だった。


​「いい返事ね。……じゃあ、まずはその汚れた鍋を、底まで磨き上げるところから始めましょうか。板場の基本は掃除よ。不潔な人間に、美味しいものは作れないわ!」


​「「「はいっ!!」」」


​厨房に、これまでになかった活気ある返声が響き渡った。



​4. ゼノの暗躍


​その様子を影から見ていた商人ゼノは、冷や汗を拭いながら、手帳に激しくペンを走らせていた。


​(……凄まじい。ただの料理の技術じゃない。これは、人間の心まで支配するカリスマだ……)


​ゼノは、リアナから託された「天響茸」のサンプルを抱きしめた。


リアナの技術が、伯爵家の料理人たちを『変えた』。


そして次は、この食材と、リアナが生み出す『味』が、領地全体を変える番だ。


​「ゼノ、何をボーッとしているの?」


​リアナがこちらを振り返る。


​「そろそろ、市場に『天響茸』の噂を流してもいいわよ。ただし、最初は限定的にね。……まずは、一番舌の肥えた、あるいは一番食に飢えている層から攻めましょうか」


​「承知いたしました、リアナ様。……準備は、全て整っております」


​異世界の食文化という巨大な壁に、今、一本の柳刃包丁が深い楔(くさび)を打ち込んだ。


料理改革の炎は、静かに、だが確実に領地中に広がろうとしていた。

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