君が忘れた、僕らの約束
@Setsuna_Zero
君が忘れた、僕らの約束
プロローグ
「柊くん、初めまして」
桜が散り始めた四月の午後、僕は信じられない言葉を聞いた。
目の前に立つのは、十八年間ずっと一緒だった幼なじみ、白石花音。彼女は少し困ったように笑いながら、僕に向かって手を差し出している。
「わたし、白石花音っていいます。よろしくね」
心臓が、ぎゅっと締め付けられる。
花音は僕のことを覚えていない。僕たちが一緒に過ごした時間も、交わした約束も、何もかも。
「……よろしく」
僕は震える手で、彼女の手を握った。
これが、僕たちの新しい物語の始まりだった。
第一章 記憶のない君
大学二年生の春。僕、柊真は人生で最も混乱した日々を過ごしていた。
「柊、お前マジで大丈夫か?顔色悪いぞ」
講義が終わった教室で、親友の拓海が心配そうに僕の肩を叩く。
「大丈夫じゃないよ。花音が……花音が僕のこと、覚えてないんだ」
「ああ、聞いたよ。事故だったんだってな」
二週間前、花音は交通事故に遭った。命に別状はなかったけれど、頭を強く打って記憶障害が残った。医者の話では、事故前の数年間の記憶が失われているらしい。
「記憶が戻る可能性は?」
「わからないって。戻るかもしれないし、戻らないかもしれない」
僕は深くため息をついた。
花音は僕の隣の家に住む幼なじみで、物心ついたときからずっと一緒だった。保育園も小学校も中学も高校も、いつも同じクラス。大学も同じところに入って、これからもずっと一緒だと思っていた。
それなのに。
「でもさ、逆にチャンスじゃね?」
「は?」
拓海がニヤリと笑う。
「だってお前、花音のこと好きだったろ?でも幼なじみって壁があって告白できなかったんだろ?だったら今なら、ゼロからやり直せるじゃん」
「そんな……」
言葉に詰まる。
確かに、僕は花音のことが好きだった。いや、今も好きだ。でも幼なじみという関係が長すぎて、どうしても一歩を踏み出せなかった。
「まあ、焦んなよ。まずは友達に戻るところからだろ」
拓海の言葉に、僕は頷いた。
そうだ。まずは、もう一度友達になろう。
その日の放課後、僕は大学の図書館で花音と待ち合わせをしていた。
「柊くん、お待たせ!」
明るい声と共に、花音が駆けてくる。ポニーテールが揺れて、彼女の笑顔が春の光に照らされている。
ああ、やっぱり変わらないんだな。
記憶を失っても、花音は花音だった。
「今日はありがとう。わたし、記憶がなくて色々わかんなくて。柊くんが案内してくれるって聞いて、すごく嬉しかった」
「気にしないで。僕たち、幼なじみなんだから」
「幼なじみ、かぁ」
花音は不思議そうに僕を見つめる。
「ごめんね。全然思い出せなくて。でも、柊くんはいい人だって、なんとなくわかるよ」
「……そう」
胸が痛む。
僕のことを「いい人」って。まるで初対面の人に対する感想みたいだ。
「ねえ、わたしたちってどんな幼なじみだったの?仲良かった?」
「うん、すごく。毎日一緒に学校行って、一緒に帰ってた」
「そうなんだ!じゃあ、わたしってどんな子だった?」
花音の目が輝く。自分のことを知りたくて仕方ないという顔だ。
「えっと……明るくて、いつも笑ってて。でも、たまに抜けてて、よく忘れ物してた」
「え、マジで!?」
花音が目を丸くする。
「今もそうなんだけど!やっぱりわたし、昔からそうだったんだ」
彼女は楽しそうに笑う。
その笑顔を見て、僕の心が少し軽くなった。
記憶がなくても、花音は花音だ。また一緒に過ごせば、きっと前みたいに……いや、前よりもっといい関係になれるかもしれない。
「ねえ柊くん、これからわたしに色々教えてくれる?わたしのこと、昔のわたしのこと」
「もちろん」
僕は笑顔で答えた。
「でも、無理に思い出そうとしなくていいよ。ゆっくり、新しい思い出を作っていこう」
「うん!」
花音がにっこり笑う。
そのとき、僕は決めた。
もう一度、花音と関係を築き直そう。今度は「ただの幼なじみ」じゃなく、ちゃんと一人の女の子として、彼女を見よう。
第二章 もう一度、君と
それから僕は、毎日花音と一緒に過ごすようになった。
「柊くん、これ見て!カフェラテアート!」
大学近くのカフェで、花音が嬉しそうにスマホを向けてくる。
「へえ、かわいいね」
「でしょ!写真撮ろう」
彼女は僕の隣に座って、セルフィーを撮る。
「はい、チーズ!」
カシャッとシャッター音。
「わあ、いい写真!柊くん、笑顔下手だけど」
「え、そんなこと言う?」
「だって本当だもん」
花音がクスクス笑う。
この何気ない会話が、たまらなく嬉しい。
記憶を失う前の花音は、こんなに無邪気に僕に絡んでこなかった。長年の付き合いで、お互いに遠慮がなくなりすぎていたのかもしれない。
でも今は、新鮮な気持ちで向き合える。
「ねえ柊くん、わたしたちって高校のときも一緒だったんだよね?」
「うん」
「どんな感じだったの?」
「えっと……いつも一緒にいたけど、お互い恋愛相談とかしてたかな」
「え!わたし、他の男子のこと好きだったの!?」
花音が驚いた顔をする。
「まあ、一時期ね。でもすぐ失恋してた」
「柊くんは?柊くんも誰か好きな子いた?」
「……いたよ」
今も、目の前にいる。
「誰!?教えて!」
「それは秘密」
僕が笑うと、花音が頬を膨らませる。
「ずるい!わたしのこと教えたのに」
「いつか教えるよ」
「いつかっていつ?」
「そのうち」
「はっきりしない!」
花音がテーブルを叩く仕草をするけど、その目は笑っている。
こういう他愛もないやり取りが、僕はたまらなく好きだった。
「柊、お前ら最近仲良すぎじゃね?」
ある日、拓海がニヤニヤしながら言った。
「え、そう?」
「そうだよ。昼休みも放課後も、ずっと一緒じゃん。周りから付き合ってるって噂されてるぞ」
「マジで?」
「マジで。ていうか、お前告白したの?」
「してないよ」
「なんで!?絶対今がチャンスだって」
拓海が肩を揺さぶる。
「だって、まだ早いよ。花音、やっと僕に慣れてきたところだし」
「お前、優しすぎんだよ」
「そうかな」
「そうだよ。でもまあ、それがお前の良いところでもあるけどな」
拓海は呆れたように笑った。
確かに、告白するタイミングはあったかもしれない。
でも僕は、焦りたくなかった。
花音との時間を、もっと大切にしたかった。
五月に入り、新緑の季節になった。
「柊くん、今度の土曜日空いてる?」
講義の後、花音が僕に聞いてくる。
「多分空いてるけど、どうしたの?」
「実は、お母さんがね、柊くんを食事に誘いたいって」
「え、おばさんが?」
「うん。わたしのこと、昔から知ってる人と話したいって。柊くんのお母さんも一緒にどうかって」
「そっか。わかった、聞いてみる」
その晩、母に話すと、母は嬉しそうに頷いた。
「花音ちゃん、大変だったものね。私たちにできることがあれば、何でもするわ」
母は花音のことを、自分の娘のように可愛がってくれていた。だから花音の事故を聞いたときは、母も泣いていた。
土曜日、僕と母は白石家を訪れた。
「いらっしゃい、真くん、お母さん」
花音の母、白石さんが笑顔で迎えてくれる。
「お邪魔します」
リビングに通されると、花音が料理を運んできた。
「柊くん、これわたしが作ったの!」
「へえ、すごいじゃん」
テーブルには手作りの料理が並んでいる。
食事をしながら、母たちは昔話に花を咲かせていた。
「真くんと花音ちゃん、小さい頃は本当に仲良しだったのよ」
「花音がいつも真くんの後ろをついて回ってて、可愛かったわ」
「そうそう、二人でよく秘密基地作ってたわね」
懐かしい話を聞きながら、花音は楽しそうに笑っていた。
「わたし、そんなことしてたんだ……」
「全然覚えてないけど、なんか楽しそう」
花音が目を細める。
食事が終わった後、花音の母が真剣な顔で僕に言った。
「真くん、いつもありがとう。花音のこと、支えてくれて」
「いえ、僕は……」
「あの子、記憶がなくて不安だと思うの。でも真くんがいてくれるから、笑顔でいられる。本当に感謝してるわ」
母の目が潤んでいた。
「おばさん……」
「これからも、花音のこと、よろしくね」
「はい」
僕は力強く頷いた。
帰り道、母が僕に言った。
「真、あんたは優しい子ね」
「そうかな」
「花音ちゃんを大切にしてあげて。でも、無理はしないでね」
「うん」
母の言葉が、胸に染みた。
第三章 距離が縮まる日々
六月になり、梅雨の季節がやってきた。
「うわ、雨降ってきた!」
大学からの帰り道、突然の雨に僕たちは走り出した。
「柊くん、傘!」
「一緒に入ろう」
僕は傘を広げて、花音に差し出す。
「ありがと」
二人で一つの傘に入る。
肩が触れ合う距離。花音のシャンプーの匂いがする。
「ねえ柊くん」
「ん?」
「わたしたち、昔もこうやって傘に入ってた?」
「うん、よくね」
「そっか……」
花音が小さく呟く。
「思い出せなくて、ごめんね」
「謝らないで。花音が悪いわけじゃないから」
「でも……」
「それに、今こうして一緒にいられるだけで、僕は嬉しいよ」
花音が顔を上げる。
「柊くん……」
雨音だけが聞こえる。
「ねえ、柊くん」
「何?」
「わたし、柊くんと一緒にいると、すごく安心するんだ」
心臓が跳ねる。
「それって……」
「記憶はないけど、体が覚えてるのかな。柊くんといると、ホッとする」
花音がにっこり笑う。
ああ、だめだ。
もっと好きになってしまう。
その夜、僕は一人で考え込んでいた。
このままでいいのだろうか。
花音は記憶を失っている。僕のことも、昔のことも何も覚えていない。
そんな状態で、僕の気持ちを伝えていいのだろうか。
それは、卑怯じゃないだろうか。
でも。
でも、僕は花音が好きだ。
ずっと好きだった。
スマホが鳴る。
花音からのメッセージだった。
『今日はありがとう。傘、助かった!』
『また明日ね』
『おやすみなさい』
可愛いスタンプと一緒に送られてきたメッセージを見て、僕は思わず笑顔になる。
やっぱり、好きだ。
記憶がなくても、花音は花音だ。
僕が好きになった、あの子だ。
七月に入り、夏が本格的にやってきた。
「暑い〜!」
花音が扇子で顔を仰いでいる。
「アイス食べに行く?」
「行く行く!」
僕たちは大学近くのアイスクリーム屋さんに向かった。
「柊くん、わたし何味が好きだった?」
「ストロベリー」
「へえ、じゃあそれにする!柊くんは?」
「バニラ」
「地味〜」
「いいじゃん、定番で」
二人でアイスを食べながら、川沿いの遊歩道を歩く。
「ねえ柊くん、夏休みどうする?」
「え、特に予定ないけど」
「じゃあ、一緒にどこか行かない?」
花音が期待に満ちた目で僕を見る。
「いいよ。どこ行きたい?」
「海!」
即答だった。
「わたし、海行ったことあるのかな?」
「あるよ。子供の頃、家族で一緒に行った」
「そうなんだ。じゃあ、もう一度行きたいな」
「わかった。じゃあ計画立てよう」
「やった!」
花音がぴょんと跳ねる。
その姿が可愛くて、僕は思わず笑った。
夏休みに入ってすぐ、僕たちは海へ向かった。
「わあ!海だ!」
砂浜に着くなり、花音は駆け出した。
「花音、危ないよ!」
僕も後を追う。
波打ち際で、花音は目を輝かせていた。
「きれい……」
青い空と海。白い砂浜。
「ねえ柊くん、泳ごう!」
「うん」
海に入ると、冷たい水が気持ちいい。
花音は嬉しそうに泳いでいる。
「柊くん、見て見て!」
彼女は平泳ぎをして、僕に近づいてくる。
「上手じゃん」
「体が覚えてるのかも」
花音が笑う。
太陽の下で輝く彼女の笑顔。
ああ、この瞬間を、ずっと忘れたくない。
夕方、僕たちは砂浜に座って夕日を眺めていた。
「きれいだね」
「うん」
オレンジ色に染まる空。
「ねえ柊くん」
「ん?」
「わたし、幸せだよ」
花音が僕を見る。
「記憶はないけど、今が幸せ。柊くんと一緒にいられて、嬉しい」
胸が熱くなる。
「僕も」
「え?」
「僕も、花音と一緒にいられて嬉しい」
花音が微笑む。
「ありがとう」
そのとき、僕は言おうと思った。
好きだって。
ずっと好きだったって。
でも。
「柊くん?」
「……ううん、何でもない」
結局、言えなかった。
まだ早い。
まだ、タイミングじゃない。
そう自分に言い聞かせた。
第四章 揺れる心
八月。
僕たちは相変わらず一緒に過ごしていた。
映画を見たり、カフェでお喋りしたり、図書館で勉強したり。
ありふれた日常が、とても幸せだった。
でも。
「柊、お前いつ告白すんの?」
拓海が痺れを切らしたように言う。
「まだだよ」
「まだって、もう四ヶ月経ってるぞ?」
「わかってる」
「わかってないだろ。お前、花音が他の男に取られたらどうすんの?」
「え……」
「花音、めちゃくちゃ可愛いし明るいから、モテるぞ?実際、何人か声かけられてるの見たぞ」
ドキッとする。
確かに、最近花音の周りに男子が増えた気がする。
「焦れよ、マジで」
拓海の言葉が、胸に刺さる。
その日の午後、僕は花音と一緒に大学の中庭にいた。
「柊くん、聞いて聞いて」
「ん?」
「今日ね、先輩に告白されちゃった」
時が止まった。
「……は?」
「サッカー部の先輩。名前は……えっと、忘れちゃった」
花花音はケロッとした顔で言う。
僕の心臓は、ドクドク音を立てている。
「それで、何て答えたの?」
「断ったよ」
「え……」
「だって、わたし今、恋愛とかよくわかんないもん」
花音が首を傾げる。
「記憶がないから、恋ってどういう感じなのかわかんなくて。好きとか、よくわかんない」
「そっか……」
安堵と同時に、複雑な気持ちになる。
花音は、恋愛感情がわからない。
それって、僕のことも……?
「でも」
花音が続ける。
「柊くんといると、ドキドキすることはあるよ」
「え」
「これって恋なのかな?それとも、幼なじみだから安心してるだけなのかな?」
花音が真剣な顔で僕を見つめる。
「柊くん、どう思う?」
何て答えればいいんだ。
「それは……花音が自分で見つけるものだと思う」
「そっか」
花音は少し寂しそうに笑った。
その夜、僕は眠れなかった。
花音がドキドキするって言った。
それって、どういう意味だろう。
僕のことを、意識してくれてるんだろうか。
それとも、ただの勘違いなんだろうか。
スマホを見ると、拓海からメッセージが来ていた。
『明日、大事な話がある。昼休み、屋上で』
何だろう。
不安な気持ちのまま、僕は眠りについた。
翌日の昼休み、僕は屋上に向かった。
「拓海、何の話?」
「あのさ……」
拓海が珍しく真剣な顔をしている。
「俺、花音のこと好きかもしれない」
頭が真っ白になった。
「……は?」
「お前と一緒にいる花音を見てて、いいなって思ったんだ。明るくて、素直で、可愛くて」
「待って、待って。お前、何言って……」
「だから、俺も花音にアタックしようと思う」
「ふざけんな!」
僕は拓海の胸ぐらを掴んだ。
「お前、俺が花音好きなの知ってるだろ!」
「知ってるよ。でも、お前いつまで経っても告白しないじゃん」
「それは……」
「花音はフリーだ。誰が好きになったっていいだろ」
拓海の目が、本気だった。
「ごめん、柊。でも、俺は本気だ」
僕は拓海を突き放した。
「勝手にしろ」
屋上を飛び出す。
心臓がバクバクしている。
拓海が、花音を好きだって。
親友が、ライバルになった。
第五章 告白
その日の放課後、僕は一人で家に帰った。
花音からメッセージが来ていたけど、返信できなかった。
何て言えばいいのかわからない。
家に着いて、部屋に閉じこもる。
ベッドに倒れ込んで、天井を見つめる。
拓海の言う通りだ。
僕は、ずっと逃げていた。
花音に気持ちを伝えることから。
傷つくのが怖くて。
関係が壊れるのが怖くて。
でも、このままじゃ本当に花音を失ってしまう。
スマホが鳴る。
花音からの着信だった。
「もしもし」
「柊くん、どうしたの?今日、急に帰っちゃって」
「ごめん、ちょっと用事があって」
「そう……」
花音の声が、心配そうだ。
「ねえ、明日会える?」
「うん」
「じゃあ、放課後。いつもの場所で」
「わかった」
電話を切る。
明日、伝えよう。
僕の気持ちを。
翌日。
一日中、心臓が落ち着かなかった。
講義も上の空。
拓海とは目も合わせなかった。
そして、放課後。
僕は図書館の前で花音を待っていた。
「柊くん、お待たせ!」
花音が駆けてくる。
「ごめんね、待った?」
「ううん、大丈夫」
「それで、話って?」
花音が首を傾げる。
深呼吸する。
「あのさ、花音」
「うん」
「僕……」
言葉が出てこない。
心臓が、破裂しそうなくらいドキドキしている。
「僕、花音のことが好きだ」
時が止まった。
花音が、目を見開いている。
「昔から、ずっと好きだった。でも、幼なじみだから言えなくて」
「柊くん……」
「花音が記憶を失って、最初はどうしていいかわからなかった。でも、もう一度一緒に過ごして、やっぱり好きだって確信した」
「待って……」
花音が戸惑ったように手を上げる。
「記憶がない今の私を好きなの?それとも、昔の私を好きなの?」
「両方だよ」
僕は真っ直ぐ花音を見つめる。
「記憶があってもなくても、花音は花音だ。僕は、君が好きだ」
花音が唇を噛む。
「わたし……」
「答えは今じゃなくていい。でも、僕の気持ちだけは伝えたかった」
「柊くん……」
花音の目に涙が浮かんでいる。
「ごめん、困らせるつもりじゃなかった」
「ううん、困ってるんじゃなくて……」
花音が涙を拭う。
「嬉しいの。すごく、嬉しい」
「花音……」
「でも、わたし、よくわかんないんだ。恋って何なのか。好きって何なのか」
「わかってる。だから、焦らなくていい」
「本当に?」
「うん」
僕は優しく笑った。
「ゆっくり考えて。僕は待ってるから」
花音が、小さく頷いた。
それから一週間、花音からの連絡はなかった。
僕は毎日、スマホを見ては溜息をついていた。
「柊、元気出せよ」
拓海が声をかけてくる。
「……お前、花音に告白したの?」
「してない」
「え?」
「お前が告白したって聞いた。だから、俺は身を引くことにした」
拓海が苦笑いする。
「俺、最低だよな。親友の恋路を邪魔しようとして」
「いや……」
「でも、お前の覚悟を試したかったんだ。本気なのかって」
「覚悟……」
「お前、本気だったな。だから、頑張れよ」
拓海が僕の肩を叩く。
「ありがとう」
「礼はいらねえよ。ただ、花音を幸せにしてやれよ」
「うん」
僕は力強く頷いた。
その夜、スマホが鳴った。
花音からだった。
「もしもし」
「柊くん……」
「花音、どうした?」
「会いたい。今から、いつもの公園来てくれる?」
「わかった。すぐ行く」
僕は家を飛び出した。
公園に着くと、花音がブランコに座っていた。
「花音」
「柊くん……」
花音が顔を上げる。
泣いていた。
「どうしたの?」
駆け寄る。
「わたし……考えたの。柊くんの気持ちについて」
「うん」
「わたし、記憶がないから、昔の柊くんを知らない。昔の私も知らない」
花音が涙を流しながら言う。
「でも、今の柊くんは知ってる。優しくて、いつも私のそばにいてくれて」
「花音……」
「わたし、柊くんが好き。今の私が、今の柊くんを好きなの」
心臓が跳ねる。
「本当に?」
「うん」
花音が笑顔で頷く。
「だから、付き合ってください」
「花音……!」
僕は花音を抱きしめた。
「ありがとう」
「こちらこそ」
花音も僕を抱きしめ返してくれる。
星空の下、僕たちは確かに結ばれた。
第六章 幸せな日々
九月。
僕たちは恋人になった。
「柊くん、あーん」
学食で、花音が僕の口におかずを運んでくる。
「ちょっと、恥ずかしいって」
「いいじゃん、カップルなんだから」
花音がニコニコしている。
周りの視線が痛いけど、まあいいか。
「柊たち、ラブラブだな」
拓海が苦笑いしながら言う。
「うるさい」
「でも、良かったな」
「うん」
僕は心から笑った。
花音と付き合い始めて、毎日が輝いて見えた。
一緒に授業を受けて。
一緒にランチして。
一緒に帰って。
ありふれた日常が、特別なものになった。
「ねえ柊くん」
ある日、花音が言った。
「私たち、昔はどんな関係だったの?詳しく教えて」
「えっと……仲はよかったけど、恋人じゃなかった」
「どうして?」
「僕が臆病だったから」
「そうなんだ」
花音が考え込む。
「じゃあ、昔の私は柊くんのこと好きだったのかな?」
「さあ……どうだろう」
実は、わからない。
花音が僕のことをどう思っていたのか、告白する前には聞けなかった。
「もし昔の私が戻ってきたら、また関係変わっちゃうのかな」
「え……」
「記憶が戻ったら、わたし、変わっちゃうのかな」
花音が不安そうな顔をする。
「変わらないよ」
僕は花音の手を握った。
「記憶があってもなくても、花音は花音だ。それは変わらない」
「本当に?」
「本当に」
花音が安心したように笑う。
でも、僕の心には小さな不安があった。
もし記憶が戻ったら。
花音は、どうなるんだろう。
十月に入り、大学は学園祭の準備で賑わっていた。
「柊くん、学園祭で何やる?」
「うちのクラス、カフェだって」
「じゃあわたしも手伝う!」
花音が目を輝かせる。
「でも、花音のクラスは?」
「お化け屋敷だけど、わたしシフト少ないから大丈夫」
「そっか。じゃあ一緒にやろう」
学園祭当日。
僕たちのクラスカフェは大盛況だった。
「いらっしゃいませ!」
花音が元気よく声を出す。
その笑顔に、お客さんたちもニコニコしている。
「花音、人気者だな」
「そうだね」
拓海と一緒に、僕は微笑ましく見ていた。
夕方、学園祭が終わった後。
「疲れた〜」
花音がベンチに座り込む。
「お疲れ様」
僕も隣に座る。
「でも、楽しかったね」
「うん」
花音が僕にもたれかかってくる。
「柊くん、ありがとう」
「何が?」
「いつも、わたしのそばにいてくれて」
「当たり前だよ。僕たち、恋人なんだから」
「そうだね」
花音が幸せそうに目を閉じる。
この瞬間が、ずっと続けばいいのに。
そう思った。
第七章 失われた記憶
十一月。
紅葉が美しい季節になった。
「柊くん、見て!きれい!」
花音が落ち葉を拾って、僕に見せる。
「本当だ。きれいだね」
僕たちは公園を散歩していた。
「ねえ、写真撮ろう」
「いいよ」
花音がスマホを構える。
「はい、チーズ!」
カシャッ。
「わあ、いい写真!」
花音が嬉しそうにスマホを見る。
その姿を見て、僕は幸せを噛みしめた。
この日々が、ずっと続きますように。
でも。
その願いは、脆く崩れ去った。
十一月の終わり。
「柊くん……」
花音が突然、僕の名前を呼んだ。
いつもと違う、真剣な声だった。
「どうしたの?」
「わたし……思い出したの」
時が止まった。
「え……」
「記憶が、戻ってきたの」
花音が僕を見つめる。
その目は、いつもと違っていた。
「全部、思い出した。柊くんとの思い出も、事故の前のことも」
「そう……」
僕は何と言えばいいのかわからなかった。
「それで……」
花音が言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「わたし、混乱してるの」
「混乱?」
「記憶がない私は、柊くんを好きだった。でも、記憶が戻った今の私は……」
花音が俯く。
「わかんないの。どっちが本当の私なのか」
胸が締め付けられる。
「花音……」
「ごめん。少し、時間が欲しい」
「時間……」
「自分の気持ちを整理したいの。待っててくれる?」
「もちろん」
僕は無理に笑った。
「ゆっくりでいいから」
花音が小さく頷く。
そして、僕たちは別れた。
それから、花音は僕を避けるようになった。
メッセージを送っても、既読がつかない。
電話をかけても、出ない。
大学で顔を合わせても、すぐにどこかへ行ってしまう。
「柊、大丈夫か?」
拓海が心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫じゃない」
「花音、記憶戻ったんだって?」
「うん」
「それで、どうなったんだ?」
「わかんない。避けられてる」
僕は力なく笑った。
「もしかしたら、終わりなのかもしれない」
「バカ言うな」
拓海が僕の肩を掴む。
「まだ終わってない。花音だって混乱してるんだ。待ってやれよ」
「でも……」
「信じろよ、花音のこと」
拓海の言葉が、胸に響く。
そうだ。
信じよう。
花音を。
僕たちの関係を。
最終章
十二月に入り、冬がやってきた。
僕は毎日、花音のことを考えていた。
彼女は今、何を思っているんだろう。
記憶が戻って、僕のことをどう思っているんだろう。
ある日、母が僕に言った。
「真、花音ちゃんのお母さんから聞いたんだけど」
「何?」
「花音ちゃん、記憶が戻ったんですって」
「うん、知ってる」
「それで、すごく悩んでるみたい」
「……そうなんだ」
「あんた、ちゃんと話した?」
「話そうとしたけど、避けられてる」
母が優しい目で僕を見る。
「真、花音ちゃんは記憶が戻って、きっと色んなことに気づいたんだと思う」
「気づいた?」
「あの子ね、事故の前、あんたのことが好きだったのよ」
「え……」
心臓が跳ねる。
「でも、幼なじみだから言えなかったんですって。あんたと同じね」
「花音が……僕を?」
「ええ。だから今、混乱してるんじゃないかしら。昔の気持ちと今の気持ち、どっちが本物なのかって」
母の言葉が、胸に染みた。
「真、花音ちゃんを信じてあげて。あの子は、ちゃんと答えを出すわ」
「うん……」
僕は頷いた。
十二月の半ば。
初雪が降った日。
スマホが鳴った。
花音からだった。
『会いたい。今から、いつもの公園で待ってる』
僕は急いで家を飛び出した。
公園に着くと、花音がブランコに座っていた。
雪が静かに降っている。
「花音」
「柊くん……」
花音が顔を上げる。
その目は、泣いていた。
「ごめんね。避けちゃって」
「ううん、いいよ」
僕は花音の隣に座った。
「それで……答えは出た?」
「うん」
花音が深呼吸する。
「わたし、記憶が戻って思い出したの。昔から柊くんが好きだったこと」
「花音……」
「でも、言えなかった。幼なじみっていう関係が壊れるのが怖くて」
花音が涙を流す。
「そしたら、事故に遭って。記憶を失って」
「うん」
「記憶がない私は、素直になれた。柊くんを好きって、ちゃんと言えた」
花音が僕を見る。
「だから、わかったの」
「何が?」
「昔の私も、今の私も、同じ。柊くんが好き」
僕の目から、涙があふれた。
「ずっとずっと、好きだったの。でも、気づくのが遅かった」
「花音……」
「だから」
花音が僕の手を握る。
「これからも、ずっと一緒にいてくれる?」
「もちろん」
僕は花音を抱きしめた。
「ずっと一緒にいるよ。約束する」
「約束……」
花音が何かに気づいたように目を見開く。
「そういえば、わたしたち、昔約束したよね」
「約束?」
「小学生のとき。ずっと一緒にいようって」
「……ああ」
思い出した。
小学校の卒業式の日。
桜の木の下で、僕たちは約束した。
「ずっと一緒にいようね」
花音が言った。
「うん、約束」
僕が答えた。
あの日の約束。
「柊くん、わたしたち、約束守れたね」
「うん」
「これからも、ずっと」
「ああ、ずっと」
雪が降り続ける中、僕たちは抱き合っていた。
エピローグ
春が来た。
桜が満開の季節。
「柊くん、写真撮ろう!」
花音が僕の腕を引っ張る。
「はいはい」
僕たちは桜の木の下で、写真を撮った。
あの事故から、一年が経った。
花音は記憶を取り戻し、僕たちは本当の意味で結ばれた。
「ねえ柊くん」
「ん?」
「わたし、幸せだよ」
「僕も」
「記憶を失って、色々大変だったけど」
花音が僕を見つめる。
「あの経験があったから、今がある。柊くんと結ばれたのも、記憶を失ったから」
「そうだね」
「だから、後悔してないの。あの事故も、記憶を失ったことも」
「花音……」
「全部、わたしたちに必要なことだったんだと思う」
花音が笑顔で言う。
「ありがとう、柊くん。わたしを見つけてくれて」
「見つけたのは花音の方だよ」
「え?」
「記憶を失った花音が、もう一度僕を選んでくれた。それが嬉しかった」
「柊くん……」
花音の目に涙が浮かぶ。
「泣くなよ」
「だって、嬉しいんだもん」
僕は花音の頭を優しく撫でた。
「これからも、ずっと一緒だよ」
「うん」
「何があっても、君のそばにいる」
「わたしも」
花音が僕にキスをした。
桜の花びらが舞う中、僕たちは静かに抱き合っていた。
あの日、花音が僕の前に現れて「初めまして」と言ったとき。
僕は世界が終わったと思った。
でも、違った。
それは、新しい始まりだった。
記憶を失った花音と、もう一度関係を築いていく過程で、僕たちは本当の気持ちに気づいた。
お互いに好きだったこと。
ずっと一緒にいたかったこと。
そして、これからもずっと一緒にいるという約束。
「ねえ柊くん」
花音が僕の手を握る。
「この先、また何か大変なことがあっても」
「うん」
「二人なら乗り越えられるよね」
「もちろん」
僕は強く頷いた。
「僕たち、最強のコンビだからね」
「幼なじみから恋人になった、最強のコンビ!」
花音が明るく笑う。
その笑顔を見て、僕は思った。
ああ、この子と出会えて本当によかった。
記憶を失っても、また僕を好きになってくれて、本当によかった。
「花音、大好きだよ」
「わたしも、大好き」
桜が舞い散る。
僕たちの新しい春が、始まった。
そして、ある日。
花音が僕に、一枚の写真を見せた。
「これ、見つけたの」
それは、小学校の卒業式の日の写真だった。
桜の木の下で、僕と花音が笑っている。
「わたしたち、小さいね」
「そうだね」
「この日、約束したんだよね。ずっと一緒にいようって」
「ああ」
花音が写真を胸に抱く。
「わたし、この約束、一生守るね」
「僕も」
「じゃあ、新しい約束もしよう」
「新しい約束?」
花音が僕の目を見つめる。
「いつか、結婚しよう」
心臓が跳ねる。
「それって……」
「プロポーズじゃないよ。約束」
花音が笑う。
「いつか、柊くんからちゃんとプロポーズしてね。それまでは約束」
「わかった。約束する」
僕は花音の手を握った。
「いつか必ず、君にプロポーズする」
「待ってるね」
花音が幸せそうに笑った。
【完】
あとがき
記憶を失った幼なじみとの再会。
それは、悲しい出来事だったけれど、同時に新しい始まりでもありました。
二人は、もう一度お互いを知り、もう一度恋に落ちました。
そして、本当の気持ちに気づきました。
記憶があってもなくても、人を好きになる気持ちは変わらない。
大切なのは、今一緒にいること。
そして、これからも一緒にいると決めること。
柊と花音の物語は、ここで一区切り。
でも、二人の未来は、これからもずっと続いていきます。
桜舞う春に始まった二人の新しい物語。
それは、きっと幸せな結末へと続いているはずです。
君が忘れた、僕らの約束 @Setsuna_Zero
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