第5話:匿名の救援者

 つまり、そういう経緯から学校へ通うことが決まった。


 千里はしみじみ思い出す。

 果たしてあれから一週間、地獄のような日々だった。

 顔に似合わずスパルタな助手の個別指導は、昼夜を問わず続けられ、普段使わない脳味噌には聞いたこともない情報が嫌というほど詰めこまれた。


 そうしてなんとか手に入れたのは、量子機甲兵ナノドールという兵器に関する基礎中の基礎の概論や、用語や、歴史や、条項や、最低限の知識である。その詰めこみが終わった直後は、疲労のあまり放心し生ける屍のように燃え尽きていたが、流石に三日も時間が経てば冷静になる余裕はできる。


 千里が編入されたのは、初等兵器科、第二学年の二組であった。

 実に大層な名前だが、この学科での三年間は実戦配備される以前の見習い期間を意味していて、丁度それは、日本の小学校における高学年に相当する。つまり、初等科の二年生とは外での小五のことなのだ。


 なぜ一年じゃないかといえば単純にコネの問題らしいが、十七才の不良からすれば、小四だろうが小五だろうが、ちょっとした発育以上の違いはない。


(ま、問題は山積みだかな……)


 頬杖を突きまどろむ千里は周囲にちらりと目をやった。

 そこは学園の教室だった。もちろん地上の学園ではなく、ジオフロントの第五階層、地下六キロという深淵にある初等兵器科の教室だ。


 こうしてぼんやり見る分には、そこは普通の学校に見える。

 はめ殺し窓に映るのは、投影で再現された地上のような風景と、あたたかみのある人工陽。仮にも軍事施設だからか、机に座る学友達は水兵のような制服を着ていた(ただし注釈しておくと、いわゆる「セーラー服」である)。


 なんとも世俗的だった。

 もし彼女達のスカートからコンセントに似た形のコードテイルが伸びていなければ、女学園にしか見えなかったろう。兵器少女と化した千里は、そんな風景のただ中に違和感もなく溶けこんでいた。


『で、あるからして、このことは――』


 教壇に当たる位置に立っているのは瓶底眼鏡の老人。

 ナントカ大のナントカ教授だ。

 正午前、健康的なお子様の胃が飯を食わせろと騒ぎ出す頃、二組の教室では座学の授業が行われていた。その名もずばり「兵器力学」。難解揃いの授業の中でも一際催眠力の高い、退屈極まる時間である。


(……あー、ねみぃ)


 千里は欠伸を噛み殺しながらナントカ教授をぼんやり見つめる。

 よく見ると、それは透けていた。


 別に死んでるわけではない。実は目の前でしゃべっているものは教壇の上に投影された幻視立体ホロオブジェなのだ。幻視ホロの老人は宙に手をやりながら〝初歩的な兵器力学〟とやらについて何やら熱弁を奮っている。


『まあキミ達も知るように、次元獣フラクタルが持つ〝量子外殻〟に三次元的な物理法則は、そもそも通用せんわけです』


 穏やかな声音で教授は言った。


『このことについて補足しますと、彼らにどんな重火器も――ミサイル、バルカン、クラスター、その他色々ありますが、どれ一つとして効果がないのは、これは彼らの姿そのものがこちらの位相に投影された相対的な〝影〟にすぎず、感覚的に捉えるなら、たとえば映画を見る時に、スクリーン向こうで起こったできごとが、こちらの世界になんの影響も及ぼさないのと同じ理屈なわけですな。もちろんキミらも知るように、キミ達だけは例外ですぞ? 量子装甲を纏うキミらは疑似的にではありますが、彼らと同じ性質をこの位相内に呼び出せるわけで、その時、位相の干渉幅が一時的に相対ハミルトンの閾値と等しくなるのは、別に我々じゃなくたって、サルでもわかることでしょう。まあ、もっとも、ここにいるみなさんに〝ハイゼンベルグ〟や〝シュレディンガー〟を語る必要はないと思いますが、一応補足しておきますと、そもそも〝兵器力学〟とはかなり単純な学問であって、世間一般に言われるような難しいものじゃないのです。顕著な例として挙げられるのは〝行列力学〟の基礎理論を築いたとされるマックス・ボルンの〝ハーバーサイクル〟なんかになるわけですが、これは極めて簡単な本で、ようするに――』


 一方、千里はあやうく意識を手放しかける。

 ……ナニ言ってんのか本気でわからん。

 というか本当に日本語だろうか?


 試しに周りを見回してみると、生徒達(小五相当)は誰もがピンと背筋を伸ばして教授の話を聞いており、中にはふむふむ頷きながらノート代わりの空中画面エアディスプレイにメモを取っている者もいた。


 完全なアウェイ状態だった。

 女子のスカートをめくったり、先生の尻にカンチョーしたりするような愛すべきバカ(つまり普通の子供)はどうやらここにはいないらしい。思わずハアッと溜息を吐くと、周りの肩がビクリと跳ねる。


 ビビんなくててもいいだろ、別に……

 思い、視線を戻した千里は教室がにわかにざわめき立っているのを感じた。

 見れば時間が停まったように幻視ホロの教授の動きが止まり、授業が中断されている。


(ん、なんだ?)


 思った瞬間、何かがこちらに飛んで来た。

 比喩表現の類ではない。

 耳をつんざく轟音とともに、ずっしりと重いが目と鼻の先に着弾したのだ。


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!?」


 衝撃で椅子から転がり落ちてしまった千里は、机に刺さった黒いもの――切り離された機械の義手うでを目を見開いて凝視した。


 ――なんだこれ!?

 ――なんなんだ!?


 混乱で脳が揺れる中、静まり返った教室にコツコツという足音が響き渡る。


「いい度胸だな転校生、私の前でよそ見とは」


 そう言いながら見下ろしてきたのは軍服を纏う女の影。


「貴様は自殺志望者か?」


「……いやいやセンセ、誤解だよ」

 すると女は厚手のブーツでカツンと床を踏み付けた。

 その左腕の腕章には「特務教官」の文字。

 この冷血な若い女――クラス担任の霧島きりしまは、ナノドール達の監視者にしてこの教室の支配者だった。鋼鉄の義手を掴んだ彼女は、それを自らの腕章の下に嵌めながら値踏みするような目で千里を見てくる。


「これが何かは知ってるな?」


「ああ知ってる。昔持ってたぜ、そういうおもちゃ?」


「どうやら顔に食らいたいらしい」


「ちょ、冗談だよ! 降ろせって!」


 生体機甲兵用懲罰義手――彼女の体の一部であるそれ――は、早い話がロケットパンチだ。

 NC兵器に分類されるこの物騒な鉄のカタマリは対ナノドールに開発された特殊武装の一つであり、彼女を含む各クラスの教官達に一つずつ支給されているものだった。頑丈さが取り柄の千里とて、こんな拳をまともに浴びれば首から上が吹き飛びかねない。


「アレだ、ほら、別によそ見とかしてねぇよ。ちょっくら肩がこったから首回してただけだって」


「船を漕いでいるようにも見えたが?」


「集中しすぎっとああなんだよ」


「では貴様は真面目に授業を聞いていたのだな」


 がっちりと肩を掴まれた千里は「ああ」と頷いた。

 すると霧島は表情を変えず「では答えろ」と電子黒板こくばんを指差す。


「ラヴマン域での波動関数はウォーラン軸の座標を示す……これはわかるな?」


「お、おぅよ」


「では条件数が百以上の時、軸の位相値はいくつになる?」


「…………? なんて?」


「わからんか? 授業を真面目に聞いていたのなら欠伸が出るような問題だが?」


 霧島はスッと目を細めた。

 千里はどっと冷や汗をかく。

 算数すらも怪しい不良にとっては魔法の呪文がごとしであった。


「どうした【サウザンド】? 早く答えろ」


「ん、まあ、別に答えてもいいけど、こんな簡単のでいいのかホントに? もっとムズいのでもいいんだぜ?」


「いいから答えろ」


「あー、ヒントある?」


「言うまでもないが条件数は正の値だ」


「……っ。あー、なるほどー」


 どうやら誤魔化せないらしい。

 詰んでいることを悟った千里は、それでも一縷の望みをかけて横目にちらりと視線をやるが、目が合った数人の生徒達からはあからさまに目を逸らされてしまった。


 手を差し伸べる者はいない。

 どいつもこいつも知らん顔。


(くそっ、白状な連中めぇ~~ッ!)


 苦虫を噛み潰した表情になる千里は視線を前へと戻した。

 自身を見下ろす隻眼に慈悲の光は微塵もない。


「答えを聞こう」


 ひんやりとしたものをピタリと額に押し当てられ、事態はいっそう深刻になった。鋼鉄の拳が軋む音が鼓膜に冷たく木霊する。


(ちくしょうなにか手はねぇか!?)


 拘束から逃れようとするように千里は首輪に手をやった。

 汗ばんだ指がぬるりと滑る。

 はっ、としたのはその時だった。そのアクションがきっかけとなり、待機状態の空中画面エアディスプレイが突如眼前に起動したのだ。


「ちょっと待て!」


 甲高い声で叫んだ千里は、そのコンソールに浮かんでいたもの――宛名不明の暗号チャット――を、霧島からは視えないように目だけを動かし読み上げた。

「答えは〝0〟だ!」

「その根拠は?」

「つまりアレ……ラヴマン域の条件が、あー、なんだぁ? 位相を……収束? させるから」

 すると沈黙が訪れた。

 教室中の目という目が固唾を呑んでこちらを見ている。

 見当違いの答えだったのだろうか? ふいに鉄拳こぶしが振り上げられ千里は体を固くした。


(ッ、これまでかっ!)


 しかし痛みはやってこない。

 呆気にとられて見上げると、振り上げられた彼女の腕は展開していたパーツが折り畳まれて通常の状態に戻っていた。

 教官はフンと鼻を鳴らし無言でそれを下に降ろす。


「今後は真面目に授業を受けろ」


 吐き捨てるようにそう言った彼女はロボットを思わせる機敏な動作で元いた場所に戻っていった。ややあって幻視ホロの教授が動き出し、張りつめていた教室に再び時間が戻って来る。


 千里は、ふうっ、と息をつき、席にどっかり座った。

 危機一髪とはこのことだろう。


(にしても、なんちゅう先公だよ……)


 大穴の開いた机を見つめた千里は、その惨状を作り出したデタラメな力に呆れてしまった。もし誰か――この教室の生徒の一人――が、秘密回線を経由してコッソリ答えを教えてくれなければ、こうなってたのは自分の頭の方だったろう。


(サンキュー、ナナシノゴンベエさん!)


 千里は両手をすり合わせ、この教室のどこかにいる救いの主に感謝する。

 そうして、それから数十分、催眠力に抗いながら(少なくとも表向きだけは)授業を真面目に受けたのだった。

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