世界が反転しただけだった

桐原悠真

第1話 相手の世界で、生きてみた

俺たちは、

父が海外赴任になり、

母がそれについていって出かけた、

その次の日の朝だった。


俺は、

妹が車にひかれそうになったのを、

とっさに助けた。


二人とも、無傷だった。


——よかった。

そう思った。


次の瞬間、

俺は妹になっていて、

妹は俺になっていた。


「お兄ちゃん……これ、どういうこと?」


「いや、知らん。」


それより先に口から出たのは、

どうでもいいような言葉だった。


「……無傷でよかったんじゃね?」


俺たちは、

とりあえず状況を整理するために、

家に戻ることにした。


このまま学校へ行ける状態じゃない。


それは、

言葉にしなくても、

二人とも同じことを思っていた。


玄関で靴を脱ごうとして、

俺は一瞬、動きを止めた。


この靴は、

俺のものじゃない。


俺は直人、十九歳。

妹の陽菜は、十六歳だ。


三つしか違わない。

でも、ずっと俺のほうが、

少しだけ分かっている側だと思っていた。


少なくとも、

昨日までは。


「お兄ちゃん……あのさ、まずごめん。

お兄ちゃんの勉強、できないから。」


「まあ、大学のはちょっと違うから、

なんとかなるよ。」


「そっか。」


少し間が空いてから、

陽菜が言った。


「……それより、友達とか、わからない。」


「適当にするしかないんじゃないか。」


「クラスだけ教えてくれ。

陽菜、二組だっけ?」


「三組だよ。」


「了解。

適当に友達と喋ってくるから、

とりあえず合わせておいて。」


「いつも一緒にいるのは、佳奈と亜樹。

亜樹が背が高いほうで、

しっかりしてる感じ。」


それから、少しだけ声が下がった。


「それと……篠田には気をつけて。

私、あの人のこと嫌いなの。

絡んできても、適当でいいから。」


「なあ、俺さ……思ったんだけど。」


少し言いにくそうに、

俺は言った。


「どうするよ。

トイレとか、風呂とかさ……なんか。」


「……まあ、仕方ないでしょ。」


陽菜は、

あっさりと言った。


「無駄に、

変なところ触らないでよ。」


「触るかよ。」


時計を見ると、

思ったより時間がなかった。


話し合う余裕なんて、

最初からなかったのかもしれない。


玄関を出た瞬間、

俺は自分の歩幅を失った。


「とりあえず、途中まで一緒に行くぞ。」


「お兄ちゃん、

大学までの道、わからない……。」


「マップで調べろ。」


「時間割、これ。

部屋はここ。」


直人は、

紙とスマホを差し出した。


「この地図見て、

この部屋に入ればいい。

適当に座って、ノート取ってくれ。」


「俺は……まあ、

行ったらわかる。」


少し間を置いてから、


「今日は、

さっさと帰ってこい。」


「じゃあな。」


そう言って手を振ったのが、

俺だったのか、

妹だったのか、

一瞬、わからなくなった。


久しぶりの高校だ。


三組に入る。

席は……どこだ。


「おはよう。」


亜樹と佳奈が、

いつも通りの調子で声をかけてきた。


「私、席どこだっけ?」


「さすが天然。」


そう言って、

笑いながら指をさされる。


「ここだよー。

席替えしたばっかじゃん。」


……そうだったらしい。


俺は席につき、

とりあえず話を合わせた。


授業は、余裕だった。


内容は、問題ない。

ただ——


何かが、違っていた。


「陽菜、

 今日ちょっと雰囲気違くない?」


「そうか?

いつもと同じじゃね?」


(……しまった。)


陽菜は、

そんな喋り方をしない。


「なんかさ、

 いつもより大人っぽい。」


「クール系だよね。」


亜樹が言った。


「キャラ変?」


佳奈が、

面白がるように言う。


やばい、と思いながら、

俺は適当に返した。


「まあ、

 いい感じだろ?」


——無理だ。


俺は、心の中で思った。


ごめん、陽菜。

勉強はできるけど、

お前の真似は、無理だ。


絡んできた男がいた。

篠田だ。


——こいつか。

陽菜が、

「嫌い。」と言っていた男。


「園田、おはよう。」


「ああ、おはよう。」


名前を呼ばれた瞬間、

一拍、遅れた。


「……お前、なんか変じゃないか?

雰囲気。」


「そうか?

 そんなことないと思うが……。」


(……しまった。)


それなのに。


俺と篠田は、

そのまま普通に話していた。


笑って、

相づちを打って、

会話が続いた。


「マジかー。

 お前さ、今日、結構おもしろいな。」


「そうか?」


——おかしい。


俺は、

特に嫌な感じもしなかった。


むしろ、

普通に、

気が合っていた。


……どうすればいいんだ。


俺は、

そう思っていた。


——こいつ、距離、近いな。


あ……

そういうことか。


陽菜のこと、

好きなんだ。


悪いが、

中身は俺だ。


「お前、距離近いんだが。

女、引くぞ。」


言ってから、

一瞬、空気が止まった。


「それ、

 モテないから。

 やめたほうがいい。」


「……え。」


篠田は、

少しだけ目を泳がせた。


「悪い。」


「ああ。

 気にしてないからな。」


俺は、

普通に接したつもりだった。


いつも通り、

相手のためを思って、

線を引いただけだ。


——でも。


後になって、

気づいた。


これは、

陽菜じゃない。


陽菜は、

きっと、

こんな言い方をしない。


やべぇ、と思って、

俺は言った。


「篠田……さっきの、悪かった。」


「別に?」


「そうか。

 ありがとう。」


それから、

普通に話した。


正直に言えば、

俺は、

こいつと話しているほうが、

気楽だった。


——そして。


俺の中の

“クール系女子”は、

止まらなかった。


変な女に絡まれても、


「……ああ、そう。

 で?」


「別に、

 男、取ってないから。」


相手が何か言いかける前に、

続けた。


「ていうかさ。

 知らないけど。」


「そんな暇あるなら、

 本人のところ行ったほうがいいと思うぞ。」


「きっと、

 お前のことのほうが好きだろうし。」


「誤解だと思うから、

 ちゃんと話したほうがいい。」


言い切って、

俺は背を向けた。


「お兄ちゃん、

 ちゃんとやってる?」


『問題ないぞ。』


「本当?」


『ああ。』


——LINEだった。


「じゃあな。」


一方で、

陽菜のほうは。


大学では、

普通にコミュ力が高かった。


「園田くんって、

 結構話しやすいよね。」


そう言われて、

陽菜は、少しだけ引っかかった。


——ん?


「お兄ちゃん、

 いつも優しいけどな。」


それだけ言って、

深くは考えなかった。


陽菜は、

何も計算せず、

何も守ろうともせず、

ただ普通に話していただけだった。


そして、

なぜか数日後。


俺は、

周りの女たちから、

「かっこいい」と言われてしまった。


そして、

そのことを伝えた。


「……悪い。」


少し間があって、

陽菜は言った。


「問題ないんじゃない?」


「とりあえず、

そのクール系キャラで行くしかないよ。」


「お兄ちゃん、

無理でしょ………。」


そう言って、

小さく笑った。


「でもさ。

そういうところ、

私は嫌いじゃないんだよね。」


妹ながらに、

格好いいと思ってた。


「だからさ。

お兄ちゃん、

モテたよね。」


「そうか?

知らんよ。」


「篠田は面倒だったから、

ちょっとアドバイスしておいた。」


「……撃退したから。」


「ありがとう。」


俺たちは、

元に戻る方法を、

まだ探していなかった。

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2026年1月14日 21:00
2026年1月21日 21:00
2026年1月28日 21:00

世界が反転しただけだった 桐原悠真 @yumastory

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